第2話 ライバル?鳳凰院蓮司登場!
茶助が修家を決めた日の昼休み。
噂は、校内を駆け巡った。
「茶助が出家するらしい」
「マジで?」
「先生に勧められたんだって」
「どこの寺?」
「知らない。でも、本人は本気らしいよ」
「さすが茶助くん……普通の人とは違う……!」
さらに、茶助のスマートフォンには大量のメッセージが届いていた。
『出家って本当?』
『お寺に行っちゃうの?』
『LINEできなくなったらどうしよう』
『私、毎日お参りする!』
なぜか、女子たちはうっとりしていた。
その噂を聞きつけた男が一人。
二年A組。
出席番号33番。
成績、286位/286人中。
女子人気ランキング、1位/286人中。
鳳凰院蓮司――通称、レン。
茶助とは、校内の女子人気を争う最大のライバルである。
レンは、いつも背筋を伸ばしていた。
制服の着こなしは完璧。
髪型も完璧。
女子への微笑み方も完璧。
ただし、勉強だけは完璧ではなかった。
レンの周囲には、今日も女子が50人。
一方、茶助の周囲には45人。
レンはその人数差を確認すると、満足そうに腕を組んだ。
「今日は俺の勝ちだな」
「五人差か」
茶助は、スマートフォンを操作しながら答えた。
「誤差じゃないか?」
「誤差ではない! 五人というのは、五つの愛だ!」
レンは胸に手を当て、堂々と言い切った。
周囲の女子たちが「レン様ー!」と歓声を上げる。
茶助のスマートフォンが震えた。
『今、レンくんと一緒?』
『二人で何話してるの?』
『茶助くん、ちゃんとこっち見て!』
茶助は画面を確認しながら、ちらりと答案を見た。
「でも俺、成績ではお前より一位上だよ」
レンの笑顔が消えた。
「……それは言うな」
「事実だけど」
「事実だから言うな!」
「女子人気はお前が一位だけど」
「それも言うな!」
「事実だから?」
「事実でも言うな!」
レンは机を叩き、勢いよく立ち上がった。
「俺はな、茶助! 女子人気で一位を取るために、日々たゆまぬ努力をしている!」
「そうなんだ」
「朝は鏡の前で笑顔の練習を三十分!」
「へえ」
「昼は女子の名前と好きな食べ物を暗記!」
「勉強よりできてるね」
「放課後は、女子に送るLINEの文章を一時間かけて考えている!」
「それは努力なの?」
レンは拳を握りしめた。
「努力だ! 俺は常に、女子たちの視線と通知を背負っている!」
「通知は背負うものなの?」
「軽く言うな!」
そのとき、近くにいた女子が声を上げた。
「レン様、茶助くんが出家するって本当ですか?」
レンは、すっと女子のほうを向いた。
「本当だ」
「どうしてですか?」
「茶助は、俗世の煩悩を捨てるつもりなのだろう」
レンは一度、茶助を見た。
茶助はスマートフォンを見ていた。
『出家しても、私のこと忘れないでね』
「……あれが?」
「たぶん」
レンは腕を組み、しばらく考えた。
そして、突然、机の上に片足を乗せた。
「ならば、俺も出家する!」
「なんで?」
茶助が顔を上げる。
レンは、まっすぐ茶助を指差した。
「お前だけ先に出家なんて、許せるか!」
「いや、勝負するところじゃないだろ」
「勝負だ!」
「寺で?」
「寺でもだ!」
「何を競うの?」
「どちらがより多くの女子に惜しまれるか!」
「出家の目的が違うよ」
レンは拳を握りしめ、熱く語り始めた。
「俺は茶助、お前に勝ちたいんだ! 女子人気でも、出家人気でも、何でもいい! お前が先に注目を浴びるのが気に入らない!」
「出家人気って何?」
「知らん! だが、あるはずだ!」
「ないと思う」
「俺が作る!」
レンの宣言に、女子たちはなぜか拍手を送った。
茶助のスマートフォンが、また震えた。
『レンくんも出家するの?』
『二人ともお寺に行くの?』
『どっちを応援すればいいの?』
茶助はその画面を見て、少しだけ困ったように笑った。
「レンって、変だね」
「お前にだけは言われたくない!」
こうして。
成績最下位クラスの二人の男子高校生が、なぜか出家をめぐって競い合うことになった。
* * *
その日の放課後。
職員室では、緊急会議が開かれていた。
机の上には、茶助とレンの進路希望調査票が並べられている。
希望進路。
欲田茶助――出家。
鳳凰院蓮司――茶助に続いて出家。
薔薇園教頭は、調査票を持つ手をわなわなと震わせた。
「アナタ、コレどういうことなのヨ!」
声を上げたのは、薔薇園教頭だった。
黒縁眼鏡。
髪型は見事な二八分け。
高級そうなスーツに身を包み、普段は優雅に振る舞っている。
ただし、想定外の事態が起きると、口調が一気にオネエになる。
「十七歳の生徒が二人も出家って! そんな進路、聞いたことないわヨ!」
「すみません……」
アカギは椅子の上で小さくなっていた。
普段は生徒に強く出る彼も、薔薇園教頭の前では完全に借りてきた猫である。
「でも、最初に言い出したのは俺じゃなくて……」
「アナタでしょ!」
「……はい」
「しかも、よりによって進路指導の場で! 冗談を言う場所と相手を選びなさいヨ!」
「はい……」
「返事だけはいいのね!」
「すみません……」
「謝るくらいなら、最初から言わないの!」
「はい……」
「だから返事だけはいいって言ってるでショ!」
アカギはさらに肩を縮めた。
薔薇園教頭は、進路希望調査票を机に置き、両手を広げた。
「うちの学校は進学校なのよ。進学実績だって大事なの。毎年、東京大学38名、京都大学25名、海外の名門大学にも多数……」
「はい……」
「そこに、出家が二名って何よ!」
「……すみません」
「アナタはもう謝らなくていいの!」
薔薇園教頭は、勢いよく立ち上がった。
その拍子に、眼鏡がずれた。
「毎年、学校案内には華々しい進路実績を載せているのよ? 東京大学38名、京都大学25名、海外大学12名。そこへ突然――」
教頭は、壁に貼られた進学実績一覧を見つめた。
東京大学 38名。
京都大学 25名。
海外名門大学 12名。
そして、その下に新しく項目を追加した。
『○○寺 2名』
「…………」
薔薇園教頭の口元が引きつった。
「ぷっ……」
誰かが笑いをこらえた。
教頭の眼鏡が、きらりと光る。
「今、笑ったのは誰?」
職員室の空気が凍った。
「わ、笑ってません!」
「ア・カ・ギ先生!! アナタ、これは単なる失態などではありませんヨ! 学園の秩序を根底から揺るがす、前代未聞の大事件なんですッ! それを笑ってばっかり! このまま説得できなければ、責任を取ってクビよ、クビィーー!! 即刻解雇! 教員生命の完全終了ですワーーッ!!」
薔薇園は、世界の終焉を目の当たりにしたような顔で叫び、真っ赤になって全身を震わせた。
その瞬間――。
「……あ」
誰かが小さく声を漏らした。
さっきまでの「2:8分け」が、ぺろんと崩れたのだ。右に流れていた髪がめくれ上がり、つるりとした頭皮が一瞬だけ姿を現す。
本人は気づかない。
「この重大事態を、アナタは一体どう受け止めているんですかッ! まさか、事の深刻さがまるで理解できていないのではありませんでしょうネェーーッ!?」
薔薇園が叫ぶたび、髪は左右に揺れた。
「1:9分け!」
「0:10分け!」
「……2:8分け!」
職員室に、妙な沈黙が落ちる。
誰も笑ってはいけない。
そう思った直後、
「……先生」
一人の教師が、口元を押さえて呟いた。
「なんですかッ!」
「いえ……その……髪が……」
「髪型などという些末な問題を論じている場合ではありません! 今はもっと重大で、深刻で、取り返しのつかない――」
「……なんでもありません」
しかし、もう限界だった。
「フッ……」
「ククッ……」
「ブフッ……!」
あちこちから、笑いをこらえる声が漏れる。
「な、なんですかアナタたちはァーー!! この非常事態に笑うとは何事ですかッ!」
薔薇園がさらに震えた。
髪が跳ねる。
「2:8分け!」
「1:9分け!」
そして――
「3:7分け!」
「…………」
職員室全体が凍りついた。
本人は、学園の未来を憂うあまり、頭頂部の異変にまったく気づいていない。
もう誰にも止められない。
この場で薔薇園を止められるのは――
ただ一人。
学園長だけだった。
「まあ、落ち着きたまえ」
低く、よく通る声が響いた。
職員室の入口に、巨大な影が立っていた。
現れたのは、学園長・鬼龍院鉄拳。
身長210センチ。
体重95キロ。
筋骨隆々。
スーツの肩は盛り上がり、歩くたびに床がわずかに震える。
教育界では知らない者がいない有名人だが、趣味は筋トレ。
朝は五時に起きて腕立て伏せ。
昼休みには校長室でダンベル。
放課後には、校舎裏でスクワットをしている。
鬼龍院は、職員室の騒ぎを見渡した。
薔薇園教頭は頭頂部を押さえ、アカギは縮こまり、机の上には「出家」と書かれた進路希望調査票。
それでも、鬼龍院の表情は変わらなかった。
「事情は聞いた」
「学園長……」
薔薇園教頭が振り返る。
「この状況を、どうなさるおつもりですの?」
鬼龍院は、ゆっくりと調査票を手に取った。
「生徒が自分の進路を真剣に考えているのなら、頭ごなしに否定する必要はない」
「真剣……?」
薔薇園教頭の声が裏返った。
「茶助くんは、スマートフォンを見ながら出家を決めたのよ?」
「それでも、本人が決めたことだ」
鬼龍院は調査票を見つめた。
「進路とは、己の道を選ぶこと。道が険しいほど、歩く価値がある」
「学園長、話が大きすぎます!」
アカギが思わず口を挟んだ。
鬼龍院は、ゆっくりとアカギへ顔を向けた。
「アカギ先生」
「は、はい!」
「君に任せよう」
「えっ」
「茶助とレン。二人を説得し、己の進路を見つめ直させるのだ」
鬼龍院の声には、反論を許さない重みがあった。
アカギは背筋を伸ばした。
「はい!」
さっきまでの情けない顔が、教師の顔に戻る。
「必ず、茶助とレンを説得してみせます!」
「うむ」
鬼龍院は満足そうにうなずいた。
その横で、薔薇園教頭が眼鏡を直す。
「本当に任せて大丈夫なんでしょうね?」
「大丈夫です!」
アカギは拳を握った。
「俺が、あの二人に現実を教えます。出家なんて、そう簡単にできるものじゃないって!」
「その意気だ」
鬼龍院はアカギの肩に手を置いた。
ずしり、と重い。
アカギの膝がわずかに沈んだ。
「ところで教頭」
「何です?」
鬼龍院は、何事もなかったように尋ねた。
「今日の放課後、一緒に筋トレしませんか?」
薔薇園教頭は、頭頂部を押さえたまま固まった。
「……今それ言う?」
「健康は大切です」
「あなた、今の流れで筋トレに行くの?」
「はい。今日は背中の日です」
「知らないわよ!」
鬼龍院は真顔で続けた。
「教頭には、まだ鍛える余地があります」
「頭頂部の話じゃないでしょうね?」
「…………」
「その沈黙、何なのよ!」
職員室に、再び沈黙が落ちた。
こうして――
欲田茶助17歳の、前代未聞の「出家」という進路が始まった。
茶助は煩悩を捨てる気など、ほとんどない。
レンは出家すら勝負だと思っている。
アカギは自分の失言を取り消すため、必死に説得しようとしている。
薔薇園教頭は学校の進学実績と髪型を守ろうとしている。
そして鬼龍院学園長は、すでに次の筋トレの予定を考えている。
このとき、誰も知らなかった。
この出家騒動が、茶助の人生そのものを大きく変えていくことを。




