第1話 茶助!進路指導で仏門を志す!!
「欲田茶助。お前の進路は――出家だ」
進路指導室でそう告げられた瞬間、茶助はスマートフォンを落とした。
画面には、女子たちとのLINEトークがいくつも開かれている。
『茶助くん、今日もかっこいい!』
『放課後、少しだけ会えない?』
『今度、一緒に帰ろうよ』
通知は、さっきからひっきりなしに届いていた。
窓の外では、彼を一目見ようと集まった女子たちが、今日も元気に黄色い声を上げている。
「茶助くん、こっち見てー!」
「好きー!」
「今日もかっこいいー!」
その声を背に、進路指導担当教師のアカギは眉間に深いしわを刻み、まるで重大な判決を下す裁判官のような顔で続けた。
「寺に入って、煩悩を捨てろ」
「……先生」
茶助は床に落ちたスマートフォンを拾い上げ、画面を確認した。
新しいメッセージが三件届いている。
それから、いつもの眠たげな目でアカギを見上げた。
「それって、学校の進路指導で言うこと?」
「言うことじゃねえよ! 俺だって言ってから気づいたわ!」
「じゃあ、今のは取り消し?」
「いや、そういう問題じゃなくてだな!」
ここは都内有数の進学校、私立ロイヤル・プレミアム学園。
日本中から選りすぐりのエリートが集まる名門校である。
東京大学、京都大学、海外の名門大学。
生徒たちがそんな華々しい進路を目指す中、二年F組の欲田茶助だけは、なぜか寺へ向かおうとしていた。
しかも、その原因は――担当教師の、たった一言の冗談だった。
二年F組、出席番号44番。
成績、285位/286人中。
女子人気ランキング、2位/286人中。
名前は、欲田茶助。17歳。
勉強は、なぜかできない。
女子には、なぜかモテる。
そして本人は、成績も進路も、ほとんど気にしていなかった。
今日も授業中、女子たちとのLINEを一人ずつ確認し、届いたメッセージに返信しながら、幸せそうに頬をゆるめている。
『おはよう、茶助くん』
『おはよう』
『今日の髪型、いつもと違うね』
『寝ぐせ』
『それでもかっこいい!』
「これは……昨日の子だ」
「何が『これは』だ。指導中に何を仕分けしてんだ、お前は」
「大事なものだから」
「答案よりか?」
「うん」
即答だった。
アカギは、こめかみを押さえた。
34歳、独身、アイドル好き。
生徒の前では教師らしく振る舞っているが、推しの新曲発売日には授業中でも落ち着きがなくなる。
そして何より――茶助の女子人気を、心の底からうらやましいと思っている男である。
「じゃあ、茶助。最近の成績だけど……」
アカギは机の上に答案を並べた。
一枚、また一枚。
そのたびに、茶助の表情は変わらない。
「数学13点。英語5点。化学1点。日本史3点。体育21点」
「体育まで低いの?」
茶助が本気で驚いた。
アカギの眉が跳ね上がる。
「そこじゃねえよ!」
「でも、体育って勉強じゃないよね」
「点数の話をしてんだよ! というか、化学一点って何だ! 逆にどうやったら一問だけ当たるんだ!」
「勘」
「胸を張るな!」
茶助は答案を覗き込み、赤ペンで書かれた「要努力」の文字を指でなぞった。
そのとき、スマートフォンが震えた。
『茶助くん、今どこ?』
茶助はすぐに返信を打ち始める。
「先生、努力って、どのくらい?」
「まずは毎日三時間勉強」
「無理」
「早い!」
「三分ならできる」
「短くなってるじゃねえか!」
茶助は送信ボタンを押した。
『進路指導中』
すぐに返信が届く。
『先生と二人きり?』
『うん』
『ずるい!』
茶助は少しだけ笑った。
「何を笑ってんだ!」
「別に」
「その顔は絶対、俺を笑ってる顔だろ!」
そのとき、茶助の後ろにある窓の外から、女子たちの声が一段と大きくなった。
「茶助くーん!」
「こっち向いてー!」
「手、振ってー!」
茶助は反射的に窓のほうを向いた。
そして、にこりと笑って軽く手を振る。
「やあ」
「キャーーーッ!」
廊下が揺れた。
女子たちは一斉に手を振り返し、何人かは胸を押さえてその場にしゃがみ込んでいる。
さらに、茶助のスマートフォンが一斉に震え始めた。
『今、手振ってくれたよね?』
『私にも!』
『笑顔やばい!』
『放課後、絶対話したい!』
アカギは、ゆっくりと机に額をつけた。
「……お前、ほんっとに腹立つな」
「そう?」
「そうだよ。勉強はしない。進路も考えない。そのくせ女子にはモテる。お前の人生、煩悩に振り回されすぎなんだよ」
「煩悩?」
茶助は首をかしげた。
「女子とLINEすること?」
「それも煩悩だ!」
「じゃあ、先生がアイドルの写真をスマートフォンの待ち受けにしてるのも?」
アカギの顔が固まった。
「……なぜ知っている」
「この前、画面が見えた」
「見たのか?」
「見た」
「誰にも言うなよ。絶対だぞ」
「わかった。女子には言わない」
「女子以外にも言うな!」
アカギは頭を抱えた。
茶助はそんなアカギを見ながら、スマートフォンを机の上に置いた。
「でも、煩悩って悪いものなの?」
「悪いとか悪くないとかじゃねえ。お前は少し、欲望から離れたほうがいいんだよ」
「離れたら、LINEが来なくなる?」
「知らねえよ!」
「それは困るなあ」
「困るのはこっちだ!」
アカギは、ついに堪えきれず、机をばんと叩いた。
「お前いうやつは、何度も言うが――」
勢いで口から出た言葉だった。
半分は冗談。
半分は、教師としての苛立ち。
「本気で出家でもしたらどうだ?」
「わかった」
茶助は、あまりにもあっさりとうなずいた。
アカギの口が半開きになる。
「……え?」
茶助は椅子を引き、静かに立ち上がった。
「そうするよ」
「いや、待て待て待て!」
「何?」
「何じゃねえよ! お前、本当に出家するのか?」
「先生が勧めたんでしょ?」
「勧めてねえ! 例えだ、例え!」
「でも、進路指導で言ったよね」
茶助は真顔だった。
「『出家でもしたらどうだ』って」
「言ったけど! 普通はそこで『冗談ですよね』って返すんだよ!」
「僕、先生の言葉を信じるタイプだから」
「信じる方向が極端なんだよ!」
茶助は鞄を肩にかけた。
「じゃあ、帰るね」
「帰るな! どこへ行く気だ!」
「寺」
「今から!?」
「善は急げって言うし」
「出家に善も急ぎもねえよ!」
茶助はドアの前で振り返った。
「アカギ先生」
「何だよ……」
「進路指導担当なんだから、出家先くらい調べておいてよ」
「…………」
「宗派とか、修行内容とか。あと、スマートフォンを持ち込めるかどうかも」
「最後の条件を入れるな!」
「LINEができないと困るから」
「出家を何だと思ってるんだ!」
「これも立派な『進路』でしょ?」
茶助は本気で言っていた。
アカギは両手で頭を抱え、天井を仰いだ。
「前代未聞だよ! 俺の教師人生で、こんな進路希望を出す生徒は初めてだ!」
「じゃあ、僕が第一号だね」
「誇るな!」
進路指導室に、アカギの絶叫が響き渡った。




