閑話 エルガーの姫
夜の帳が下りた屋敷の一室で、カーテンの隙間から差し込んだ光が痛々しい傷跡を照らしていた。
「カタリナ様、私の力不足で申し訳ありません……」
魔法での治療を終えたヴィオラ・ポルニッカが震える声で脇腹に傷を負った女性に言った。
この女性の名前はカタリナ。エルガー王国の姫でハインツの妻である。
「そんな事ないわ、ありがとうヴィオラ」
カタリナはそう言ってほくそ笑むと、腹に残った傷跡を満足そうに撫でた。
「カタリナ様はなぜそこまでしたのですか? 自ら傷をつけるなんて……」
「だって必要な事だもの。腹の傷なんてドレスで隠れてしまうのだし、どうって事ないわ」
そう言って笑うカタリナの狂気が理解できずにヴィオラは顔色をいっそう悪くさせた。
この傷はカタリナがハインツの亡命の理由を演出するために自ら作った刺し傷である。
逃亡中に平和を望むハインツを守って追手の騎士に刺された。という事になっており、カタリナがハインツを想っているという演出も兼ねている。
この傷を作った夜はハインツはグースカと寝ており、ハインツもこれを信じてカタリナに感謝しているくらいだ。
「で、では、私はハインツ様に呼ばれておりますので」
「そう、あなたも大変ね。結局国母になることもできなかったのに。私のこの傷では抱きたいと思わないでしょうし頼むわね、ヴィオラ」
「い、いえ……私は……失礼します」
ヴィオラは目を泳がせながら頭を下げると小走りに部屋から出ていった。
「ほんと、あの子は一般的な飾り物の貴族の娘って感じで可愛いわね。こんな傷なんて自分で治療すれば後からでも消せるわよ」
カタリナはカーテンを少し捲り、窓から月を見上げる。
ヴィオラの魔法は魔法師に到底届かない魔法使い程度のものだ。
だからこそこうして傷跡を残す事ができる。
カタリナは人質としてハインツの妻となった後、エルガー王国の血を引くポルニッカ伯爵を操りハインツを国王にするために色々と画策していた。
ポルニッカ伯爵は自分の娘を国母とし、ゆくゆくは自分の血を引く王が誕生すると誘惑すれば操るのは簡単であった。
もちろん、カタリナは最終的にはそんな事にするはずもなく、自分の子以外は謎の死を遂げる予定だったのであるが、エルガーの血を持った王を誕生させたいという言葉をポルニッカ伯爵は信じていた。
「そのために婚約前の娘を慰み者に差し出すなんて酷い親だけれど、私の苦労が減って大助かり」
別に妻を1人に絞る必要はないのだし、クロウデンを蹴落とし、ハインツが王になれるという提案にハインツは何も考えずに頷いた。
そしてハインツという色欲魔を手懐けるために結婚前にヴィオラは差し出されたのだ。
未来の国母、正妻として。
「まあ、それもあの馬鹿のせいでご破算になったのだけど」
カタリナはまさか馬鹿をしでかして王位継承権剥奪の上幽閉になるなんて予想できなかったと苦笑しながら「ふぅ」とため息を吐く。
「でも、今度こそ失敗はさせないわ。都合の悪いものは全部消してしまって、私のための国を手に入れるんだから」
マリア達の住む国を格下と侮り、エルガー王国の力を信じて疑わないカタリナは月に照らされた顔をいやらしく歪める。
「こんな辺境の騎士達程度は上手く退けられたようだけど、もうすぐ王都から主力の騎士団が送られてくるわ。束の間の平和をせいぜい楽しんでおくことね」
部屋の中には、カタリナの高笑いが響き渡ったのだった。




