5…愛を望みません
昨日の約束通り城下町へ向かう馬車の中には、向かい合うセシリアとハリアスの2人だけ。
(し・・信じられない・・・・平民風の服装もかっこいい!!)
向かいに座っているハリアスを、穴が開てしまいそうなほどセシリアはうっとりと見つめてしまっていた。
普段のかっちりとした装いとは違い、ドレスシャツとは違ったシンプルでありながらもデコルテがチラリと見え隠れするシャツとジレの装い。濃紺色のすっきりした細身のトラウザーズはさりげなく逞しい身体を浮き上がらせていた。
これが着こなしというのだろうか。シンプルだというのに全く品位が損なわれたように感じない。
(――さすがヒーロー!自分の魅せ方がわかっているのね・・・)
「そんなに見つめられたら穴が開きそうだね。」
ずっと黙ったまま惚けて見つめていたセシリアに、甘い声音で困ったように微笑むハリアスはなんだか可愛らしくも見えた。
「申し訳ございません。目の前に美しいお姿があったので見惚れておりました」
普通の令嬢であれば、ハリアスの言葉で悶え失神していたかもしれない。――しかし私は違う!むしろ堂々と見惚れていたことを伝えたいとさえ思っている。
前世の記憶が蘇ってからは28年分の人生が追加された感覚があるので、どうしてもハリアスが男性というより年下の男の子に見えてしまう。
鑑賞したいモデルのようにも見えていた。
これまでは対等であった感情に少し大人な余裕が生まれたせいかもしれない。
大きく目を見開くハリアスに、にっこり微笑んでセシリアは彼を見つめ続ける。
今までセシリアとハリアスは婚約してから2人きりで長時間近い距離感で居続けたことは一度もなかった。
10歳で婚約してから一度もなかったのだ。
馬車に2人きりになったことも、実は初めてなのである。
2人はまだデビュタントを迎えていない為、夜会への参加していない。2人で街へ出かけるのも今回が初めてだ。
バトネ家の邸か王宮かのどちらかで会うだけで、必ずほかの使用人が何人も傍に控えていた。
(ーー仕方ないわよね・・未成年の私たちに何かあったら困るのもの!!――何かが!)
食い気味に興奮しつつも軽く妄想に浸る私に、ハリアスが頬を赤らめながらもチラチラと見つめていたなど知る由もない。
「もしかして・・セシリアは私のことが好きになってくれたのかな?」
期待交じりというのか、それとも自分の想像が的を射ているのか確認したいのか、ほんの少し喜色の混じったような声音でハリアスは問う。
空想に浸っていたセシリアであったが、『好き』という感情は前世を思い出し、この世界が小説の世界だとわかってから信じられない言葉になっていた。
――セシリアは『好き』という感情に振り回された結果、ヒロインを憎み最後はラスボスとなってしまったのだ。
たとえ今がハリアスともヒロインであるアイとも良い関係を築けていたとしても、『好き』という感情がその良い関係を崩しかねない。
「――ハリアス様ご安心くださいませ!私はあなたの愛は望んでおりません。
好きと思っているように見えたのだとしたら、それはきっと友愛によるものですわ」
セシリアはきっぱりと友愛の部分を大きく主張するように伝えながら、わざとらしく微笑み胡麻化した。
恋人への【好き】ではなくとも小説のメインヒーローだ。
推しへの【愛】に似たようなものは少なからず感じている。――しかし、それを誤解されて、ハリアスに嫌われたら今後の計画が大破綻してしまう。
誤解されるだけならまだマシだろう。
もし、自分自身がハリアスを本当に好きになってしまったら取り返しのつかないことになりそうで、想像しただけでぶるりと身震いしてしまった。
(駄目よ――・・絶対にだめ!友情エンドを迎える為には恋愛感情は排除よ!!)
自分自身に強く訴えかけるように心の中で言い聞かせる。
「・・・友愛?・・婚約者の私たちが?」
固まった表情で返事をするハリアスの声音は、柔らかさを感じない。底冷えするような冷たさを漂わせそこにはほんの少し責めたてるかのような怒気すら孕んでいるように感じた。
(何その表情!初見ですけど??こんな表情もするのね・・シリアスな雰囲気も素敵だけど・・・ちょっと怖いわ・・)
初めて目の当たりにしたツンっとしたハリアスの顔面すらセシリアにはご褒美のように目に映った。
それでも何か自分がしてしまったのだろうか?という思いだけは心によぎる。
「――・・そうか・・・それは・・るね」
「??・・・今何かおっしゃいました?」
聞き取れないほどの小さな声は馬車の走行中の音でかき消える程に小さく、セシリアの耳に届くことはなかった。
「――いいや、独り言だよ。視察が楽しみだなと思ってね。
――そうそう!今日は平民としてお忍び視察だから、私のことはハリーって呼ぶんだよ?」
一瞬陰ったようにも見えた表情はすぐに消えて、いつもの甘い微笑みでハリアスはセシリアを見つめた。
(――なんですって?!愛称呼び?!――私が?!)
確かに平民として城下町を歩き回るのであれば、様付けで呼ぶのはまずいかもしれない。
しかし、小説の中ではハリアスのことを愛称呼びする場面など一度もなかったはずなのだ。
その希少な愛称呼びを許されたことが信じられず、セシリアは瞳が零れ落ちそうなほどに目を見開いて驚いてしまった。
――そう・・1人もいなかったのだ。―――聖女様であるアイであっても・・・だ。
一瞬唖然としてしまったが、セシリアは28年分の人生経験が蘇っている。
多少のことに動揺なんてしたりしない!――・・・はずだ・・と思う。
「わかりましたわ。ではハリーとお呼び致しますね。私のことはリアとでも呼んでくださいませ」
すぐににこっと微笑み返す表情は余裕たっぷりに見えたのではないだろうか。
「――リアか・・。このニックネームで呼ぶ人は他には?」
「―――いませんわ。家族もみなセシリアと呼びますから。」
――これは本当の話。
生まれて物心ついた時から一人行動が大好きで、家族とそこまでともに過ごしたという記憶もない。
父は守り人としてのお役目もあったので、休日と呼べる休日はほぼなく共に過ごした記憶もほとんどない。
母ともお茶はたまにするが、厳格で淑女教育に熱心過ぎる質なので、気を許しあうというよりは一人の貴婦人と話しているような感覚だ。
セシリア自身もさほど気にしていなかった為、物心ついた頃にはすでにそれなりの距離感になってしまっていた。
「リア・・・かわいいな」
セシリアの返事が余程嬉しかったのだろうか。
ハリアスはかなり嬉しかったようで少年のように顔を綻ばせていた。
(――え?嘘・・かわいい・・)
行きの馬車の中で見たことのないハリアスの表情を余すことなく堪能してしまい、セシリアはもうすでにお腹いっぱいである。
(あれ?今日はお仕事じゃなくて推しごとかしら?)
セシリアの脳内はお花畑になりそうなほど舞い上がっていた。
***
目的の城下町に着いて視察として歩き回る2人であったが、視察と呼んで良いのかと疑問に思うほど街歩きは存外楽しかった。
護衛は平民に紛れながら何人も傍についてはいたが、それでもハリアスはお構いなしでセシリアとの【2人きり】のような甘い雰囲気を漂わせて色々な店を案内してくれる。
セシリア自身も新しいものの発見が好きで、思い立ったら衝動的に動いてしまう行動派だ。
幾度となく1人で変装してこっそり城下町に遊びには来ていたが、それでも初めて知る店もあったし、ハリアスと一緒に歩くだけでいつもの街並みもまた違って見えて楽しめるのだった。
「ハリーは色んな店をご存じなんですね!これまで何度か街を視察なさったことがあるのでしょうか?」
「――はは。そうだね。たまに王宮を抜け出して散策には来ていたよ。――だけど、リアも初めてのようには見えないね。よく城下町には来ていたの?」
「そうですね。異国の商品を見たり、見聞を広げる為に街の様子を見て歩くことは良いと思いますから」
「へぇーそんな話初めて聞いたね。一体誰と来たんだい?」
微笑んでいるのになんだか追及されているかのような言葉に背筋がぞくりと粟立った。
普段の糖度だけの声音とは違う強気な声音はセシリアの心の琴線に触れてしまったらしく、胸の鼓動が異様に早く打ち続けているのがわかる。
(――これはどう答えるのが正解なのかしら?)
一人で歩き周っていたと言ったらきっと説教される気がする。
かといって、同行者など友人の少ないセシリアにはいない。間違いなく一人でお忍びで来ていた。もしくは異性ときていたと思われたのではないだろうか。
「そうですね。・・・侍女と護衛と来ていたかもしれないです。――だいぶ前のことなので記憶は曖昧になってしまったようです。ごめんなさい」
「そっか。――侍女・・ね?なるほど?」
(――ほ・本当に信じてくれたの?・・それとも・・疑われている?!)
先ほどから会話の節々で時折追及されているかのような言葉がちょこちょこ挟み込まれ、特に悪いことをしたわけでもないのに彼の視線に絡めとられてギクリと震えてしまう。
(・・・私何か行動を疑われるようなことをしてしまっていたのかしら?)
ランチで入ったレストランでは早々にお花摘みに行って1人ぐったりして嘆息してしまう。
(――なんだかもう1日分のエネルギーを使い切ったかのような気分だわ・・)
セシリアは化粧室の鏡の前で令嬢の顔を作るとハリアスの元へと戻るのだった。




