禁断の果実
「ただいま」
柊刻矢は朝食前に帰宅した。表情はどこか満足そうで、出迎えた母彼方が首をかしげている。
「お帰り。何か良い事あった?」
「見込みのある奴に未来を託してきた」
刻矢はそう言うと、朝食を作るためにキッチンへ向かう。
キッチンと隣り合わせになっているリビングへ着くと、既に三人分の朝食が出来ていた。
どうやら、彼方か姫陽のどちらかが作って先に食べたらしい。
朝食を取るべくテーブルへ向かう途中、刻矢は何かを感じリビングのソファを見る。
そこには、妹の姫陽と愛猫のクロエ。彼方の猫ノエルが仲良く眠っていた。
普段なら微笑んで布団を掛ける刻矢だが、姫陽を見て事態を察し険しい顔つきになる。
姫陽が銀色の光を帯びている。つまり――
「何故コードを姫陽に使った?」
「あの子の願いよ」
「そうか――」
刻矢が悲しそうな表情で姫陽をもう一度見ると、起こさずにテーブルへ向かい席に座る。
「いただきます」
刻矢は手を合わせてから炊きたての白米と鯖味噌、ほうれん草のお浸しに味噌汁という朝食をゆっくりと咀嚼していく。
「出汁がまだまだだ。あと、鯖味噌の赤味噌と白味噌の分量も微妙だな」
「せっかく作ったのに厳しいわね」
刻矢は彼方が作った料理に対し酷評するが、結局は米一粒も残さずに完食していく。
「ごちそうさま。お浸しは及第点だ」
「お粗末さま」
刻矢は椅子から立ち上がり、ソファに寝ている姫陽を揺すり起こそうとする。
姫陽は寝ぼけ眼で辺りを見回し、焦点が合わないまま刻矢を見つめている。
「おはよう姫陽」
刻矢の言葉で事態を察したのか、姫陽は顔を真っ赤にしつつ慌て始める。
「に、ににに、兄さん!?」
「そんな所で寝ていると風邪引くぞ」
刻矢が頭を優しく撫でつつ落ち着かせようとするが、恥ずかしい所を見られパニック状態に陥っている。
続けて猫のクロエとノエルが目覚め、二匹とも大きなあくびをする。
「クロエとノエルもおはよう」
刻矢がクロエとノエルを撫でると、二匹は気持ち良さそうに身を任せる。
「あれ? 何だか兄さんの身体がほんのり白く光ってる気がします」
「それについては後だ。俺は先に洗面所に行くからお前もご飯を食べてこい」
「解りました」
姫陽がふらつきながらテーブルへ向かうのを見届けると、刻矢は洗面所に向かう事にした。
刻矢が帰ってくると、食事を済ませた姫陽と家族全員が待っていた。
「よう刻矢。おはようさん!」
「おはよう親父。姫陽、洗面所に行ってこい。後で話がある」
刻矢が笑顔でそう言うと、姫路は素直に従い去っていく。気配が無くなった事を確認すると、刻矢は深刻そうな表情でため息をついた。
「親父、セフィロト社の現社長って知ってるか?」
「何だよ藪から棒に。セフィロト社関係はクリスの奴以外興味ねえよ」
「だろうな。だが、カラドリウス・イマジナリの力をもってしても、そいつに勝てなかったあげく殺されかけたと言ったらどうする?」
刻矢の発言に未弦と彼方が固まる。二人はカラドリウス・イマジナリの力を良く知っていたため、刻矢の言葉が理解出来なかったからだ。
しばらくして理解し、表情は驚愕へと塗り潰されていく。
「ちょっと待て! 死体から変異したジェネシスタイプのナイトメアが!? 死んでも叶えたい願いから変異したお前が簡単に負けるわけがないだろ!」
「だが、俺は確かに負けた。奴が変身するナイトメアはアーク。その能力は、奴の言葉を借りるならば『全ナイトメアの能力の完全再現』」
「おい、本当にそんな化け物が存在するのか!?」
「残念ながら本当だ。事実、俺はロンドンでナイトメア討伐中に奴と出会い敗北した」
刻矢が思い出したくないと言わんばかりに、恐怖の表情で震えている。
刻矢はアフガニスタンで死亡して以降、ロンドンを最後の旅地とした事は未弦も知っていた。
何故ならば、ナイトメアになった事を受け入れられなかった刻矢に、ロンドンへ行く様に言ったのは未弦本人だからだ。
だが、死を一度経験した刻矢が、地獄を体験したかの様に怯えるとは思ってもいなかった。
まさか、自分自身の発言が息子を再び苦しめる事になるなんて。未弦は息子を二度も重荷を背負わせた事について深く後悔した。
「奴にはどう足掻いても勝てない。だから今の俺には、ナイトメアを倒す事しか出来ない」
刻矢はこの時初めて、姫陽や麗那にも語った事の無い真の絶望を両親に向けて吐き出す。
「刻矢、お前ずっと一人で戦ってたんだな」
「陸人にも似た様な事を言われた。俺にはもう、これ以上どうすれば良いか解らない」
刻矢の本当の気持ちを理解した未弦が、しばらく考えてから呟く。
「残る希望はイマジナリゼロの理論……か」
「未弦! それって理論上は可能だけど、人間では到達出来ないってあなたやクリスも言ってたじゃない!」
「インフィニティのコードが無い以上、残る希望はそれしかない」
イマジナリゼロの理論。世界の深い部分を知ってしまった刻矢ですら初めて聞いた言葉だ。
言葉からしてイマジナリコードを使った何らかの方法だという事は想像つくが、残りのゼロの部分が理解出来なかった。
「人間では到達出来ないんだろ? それが何かは知らないが、ナイトメアとして蘇った俺なら到達出来るかも知れない」
「刻矢! その理論だけはダメ!」
彼方が刻矢の肩を掴み必死に説得をする。
しかし、僅かな希望にでもしがみつきたい刻矢には届かなかった。
「どうせあいつには勝てないから、最初からインフィニティコードを破壊して俺を含めた全ナイトメアを消し去る予定だったんだ。切り札は多い方がいい。教えてくれ親父。その理論とやらを」
刻矢が静かに頼む。
彼方の言葉からして禁断の力である事は察していたが、それでも更なる力が欲しかった。
フェニックス――悠翔がイマジナリコードを使ってようやく押し切れる相手なら、他の幹部も同様だと考えて良いと刻矢は考える。
錐彦や陸人、新たにナイトメア化した姫陽を引き連れて勝てる自信が無い。
ならば、いっそのことどんな手を使ってでも自分が誰よりも強くなれば良いと刻矢は考えた。
どうせ元々死んでいるのだからと――
「簡単だ。プラスやマイナス、そのどちらでもない存在にもなれるイマジナリコードと、原点のゼロコードを同時に使えば良い。もっとも、コードの存在理由と本質を知らなければ使う事すら出来ないがな」
未弦が右手を横にスライドさせ、部屋を満たさんばかりの金色に輝く文字で『ZERO』と書かれたコードを出現させる。
「これがゼロコード。別名弱体化のコード」
「弱体化のコード?」
新たな力を求め目の前のコードに手を伸ばそうとしていた刻矢が、コードの輝きに眩みながら未弦の言葉で思わず手を止める。
「そうだ。こいつを使えばナイトメアコードどころか、体内に蓄積されたナイトメアの毒素すら封じられる。つまり、このコードを使ったらどうなるか解るよな?」
「ナイトメアと戦う力を全て失う。そういう事か」
刻矢が再び絶望に沈んでいく。
目の前のコードがイマジナリゼロという新たな力の鍵になる。
だが、同時に戦う事すら出来なくなるという。理論の力とゼロコードの効果という相反する存在が、刻矢の思考を更に混乱させていく。
本当に目の前のコードを使って良いのか。刻矢はしばらくして姫陽が帰って来ても答えが出せなかった。




