イマジナリコード
戦いが長引く毎に、今まで圧勝してきた刻矢の呼吸が徐々に荒くなっていった。何故ならばナイトメアコードで蠍子拳のパワーとスピードが強化され、更に回転による遠心力と重力を加えた錐彦の足技を回避すら出来ずに何十回も受け続けているからだ。更に装甲の針には毒があった様で呼吸する度に痛みや苦しみが増していく。
「どうしたんだい? まさか、もう終わりかな?」
左手で首を押さえ苦しむ刻矢に錐彦が蠍子拳の構えのまま憐れみの言葉を掛ける。退屈からではなく本当は強いのに残念だと言わんばかりに。
「君の敗因は君が弱かったわけでも、僕が特別強かったわけでもない。単に力の使い方さ」
「……だろうな」
刻矢が苦しみつつも錐彦の強さと言葉を肯定する。確かに、錐彦はナイトメアコードと格闘技の両立が上手かった。それは認めざるを得ない。
だが、刻矢はまだ負けていなかった。死んでないから負けていないという単純な理由ではない。刻矢はこの戦いでナイトメアとしての力を“まだ一度も”引き出していないからだ。
刻矢は自分の力――カラドリウスの力の本質を誰よりも理解していた。本質は身体能力が上がるとか飛べるといった単純な物ではない。刻矢のエゴ――錐彦の言葉を借りるなら、願いと合致した特殊能力だ。
――ほう、カラドリウスねえ。お前らしいコードじゃないの――
刻矢の掠れかけた意識の中で情報屋の顔と言葉が鮮明にフラッシュバックする。
「仕方ない。使うかカラドリウスの力を」
「まだ隠し玉がある。そう捉えても良いんだね?」
「ああ、その通りだ。正直、お前とは最後まで正々堂々戦いたかったんだがな」
刻矢は可能な限りカラドリウスの力に頼りたくなかった。正々堂々と戦いたかったのもある。
ただ、本当の理由は呪われた力に魂を売りたくないと。まだ人間のままでいたいと、心の中で強く願っていたからだ。自分のナイトメアコードは自分のエゴを歪んだ形で叶えてしまった。ならばそれを使うという事は自身が化け物だと肯定する事を意味する。
(いや、他と違って既に人ではないか。何未練がましいことを考えているんだ俺は)
刻矢は諦めも含んだ感情を抱きながらカラドリウスの力を使う事を決意した。
「ナイトメアコードと毒針を使った時点で、正々堂々なんて言葉はとうに失われてると思うけどね」
「お前と会えて良かった」
錐彦の言葉で救いを得たかの様に、ボロボロの身体であるにもかかわらず刻矢がまっすぐに錐彦を見つめながら言葉を発する。
「俺は自分の力に怯えていた。アフガニスタンで一度人として死んだあの日から、カラドリウスのコードを与えて俺をナイトメアとして蘇らせた親父を恨んだ事さえあった」
「アフガニスタンで死んだ? まさか今の君は、君の望みは――」
錐彦はようやく刻矢の言葉を全て理解した。柊刻矢が言っていたオリジナルのナイトメアとは違うという意味も。刻矢が何を望んでナイトメアになってしまったのかも。恐らく、今の刻矢は――
「カラドリウスの特殊能力を発動」
刻矢がそう呟くと身体がかすかに白く光り、逆再生していくかの様に全身の傷が徐々に消えて元通りになっていく。
正確には消えているのではない。傷口から黒い粒子が現れアヌビスのマークが彫られた首飾りに吸い寄せられている。
「回復能力か、厄介だねえ」
「正確には回復じゃない。視認している対象の全ダメージを首飾りに吸収する能力だ。そして、吸収した全てのダメージを自分の力に還元する」
「ダメージを……還元だと!?」
ナイトメアだから表情は見えないが錐彦が初めて動揺する。
「だが、首飾りに蓄えられるダメージのキャパシティにも上限がある。だから俺は、ナイトメアとしてもう一つの戦術を使う!」
刻矢が左手を右から左へ一気にスライドさせると、空中にガラスの様に透明な『imaginary number』というコードが出現する。
「二つ目のナイトメアコード!? しかも、頭文字が大文字じゃないコードなんて見た事ない!」
「このコードを使う以上、お前はもう俺には勝てない」
刻矢が左手で目の前のコードを撫でる、頭文字に他の文字が吸い込まれ形を変化させる。コードは小文字の『i』を模した透明な鍵の形で空中に静止していた。
刻矢はそれを左手で掴むと、アヌビスの首飾りにかざす。すると首飾りに鍵穴が出現し、刻矢が鍵を挿し込み回す。同時に何かが外れる音と共に、機械的な声で『Unlock』という言葉が発せられる。
だが、変化したのは首飾りだけではなかった、刻矢の――カラドリウスの身体が白い光を纏い、外観が一気に変わっていく。
「何だ、あのコードを使ってから刻矢の身体に何が起きている? あのコードの正体は何だ? 倒すなら、変化が始まっている今しかない!」
錐彦が蠍子拳の構えから刻矢に向かい一気に跳躍し、身体を横に回転させながら獲物に向けて足技を叩き込む。錐彦は手応えから命中したと確信した。
しかし、それは間違いだったと気付き感情が一気に恐怖へと塗り潰される。錐彦の足は光から生えてきた腕によって受け止められていた。機械的ではあるがスマートなフォルムの腕によって、蠍子拳の蹴りの勢いを受け止められ完全に殺されている。
「馬鹿な、今まで見切る事すら出来なかった攻撃を片手で?」
「その通りだ」
刻矢の言葉と同時に包んでいた光が収まる。
「これが俺のカラドリウス・イマジナリだ」
変化した刻矢の姿はカラドリウスの時と異なり全身が白ではあるものの機械的で無機質なフォルムをしていた。
鳥の嘴がそれぞれ白のバイザーとマスク、アヌビスの首飾りは鍵だけを残して胸部に黒いエネルギーを貯蔵するコンバータに変化している。コンバータから身体中に黒のラインが張り巡らされ、エネルギーを全身に供給する仕組みの様だ。背中には六基のスラスターが装備されており、これにより翼の代わりに推進力を得るらしい。
「マイナスチェンジ」
刻矢は掴んでいた錐彦を投げて地面に叩き付けると、胸部の鍵を二回捻る。同時に、黒のエネルギーが両方の掌に集まり二本の太刀へと変化する。
錐彦は蠍子拳が通用しないと学習したのか、体勢を立て直しつつ鋭い突きを繰り出す。しかし、刻矢はそれすらも弧を描く様な最小限の動きでかわしすれ違い様に錐彦へ太刀の二連続攻撃を叩き込む。すると、錐彦は見た目では斬られた痕が無いにもかかわらず激しくのたうち回る。
「全身が燃える様に痛い! な、何をした!?」
「お前から受けたダメージをそっくりそのまま返しただけだ。どうやら、もう終わりの様だな」
刻矢が一度鍵を元の場所に戻し四回捻る。同時に、『Over drive!』という音声と共にスラスターの穴から青白い光が発せられる。一瞬の滑空から飛行し一気に空へと加速していく。
刻矢は上空へ到達するとスラスターを最大出力で解放する。地上にいる錐彦目掛け更に速く推進する。加速する度に身体が摩擦で炎上するが刻矢は構わず右足で蹴る体勢になり地上目掛けて加速を続ける。
「これで終わりだ錐彦!」
言葉と共に地上にいる錐彦目掛け蹴りを放ち、熱による溶解と爆発で砂の地面に巨大なガラス状のクレーターを生み出しつつ一気に吹き飛ばした。




