お前はもう、一生涯、鏡から逃れられない。
「犯人はお前だ、ソフィア」
フランシエスに名指しされたソフィアは、顔面蒼白にして動揺露わにした。
「なっ――私? なんで……どういう理由があって!?」
「臭い芝居はやめることです。あなたの悪意は杜撰が過ぎる」
口調だけは慎みを備えたものに戻して、フランシエスは手にしたワイングラスを振った。
「そも、なぜアルベルト様は、なんの疑念もなく、毒入りワインを飲み込んだのか。アルベルト様ほどの育ちであれば、味に僅かでも違和感があれば、すぐにそれを吐き捨てたはずなのに」
「し、知らないわよっ。幼馴染が相手だったから、気を抜かれた……とかじゃないの?」
「あり得ないとはいえない。だけれど、時間が妙すぎる。――私がアルベルト様との歓談を楽しんだ際、もうすでに、彼はこのワインを口に含んだ、大分あとだった。それはクラシス様が、常よりも少しだけ距離を置いた場所にいたことからも分かる。もうすでに、手ずから注いで手渡したワインを交えた歓談の後だったのです……。それから、いくばかりかの時、私とアルベルト様は歓談楽しみました事情があるゆえに……時間的な視点から、クラシス様が毒を注いだ線は、現実性薄いのです。――――あああ、愚かしく白々しい者相手に、分かり切ったことを説明すること程、無意味に感じることもない……。不愉快なものです……」
「な、なにをっ……、それがどうして私が犯人になるって突飛な話になるのよ!?」
「これ以上苛つかせてくれませんよう願いますが、望み薄ですね……。ではクラシス様が毒を注いだ当人でないというのなら。話は戻ってくる、どうしてアルベルト様は異物の混入に気づかなかったのか。――――今晩、顔を合わせてから、クラシス様のご様子はずっと、妙でございました。そう、どうしてか常時にはない、疑心暗鬼になってみたり」
『――……あ、あの、フランシエス様?』
『何かしら?』
『私、何かお気に障ることを、してしまいましたでしょうか?』
『……? ……何のこと?』
『私に向けられたフランシエス様のお顔が、少し怖かったものですから』
「私に、常にはなかったことを言ってみたり」
『アルベルト様に近づくのは、今夜は……おやめになってくださいませんか?』
「今宵の彼女は、ずっと奇妙な態度でしたね」
「だっ――だったら、それこそ、彼女が毒を入れた張本人という示唆なのでは――!」
「黙れ。――――失敬、つい。彼女は、自分のしたことの『気恥ずかしさ』から、そのようなご様子を晒してなさったのです」
フランシエスは毒入りワイングラスが置かれていたテーブルに向かい、二本のワインボトルを引き寄せた。
「こちらは【ヴィオニエ】と、【マスカットワイン】。クラシス様が趣向のため用意されたものだそうです。間違いありませんね?」
「は、はい……」
「さて、マスカットを六、ヴィオニエを四で混ぜ合わせる」
近場にあったワイングラスに、異なる二種のワインを、器用に片手で注ぎ入れる。
「『ライチ』、『オレンジの花』のような、非常に華やかな香りと――『桃』、『アプリコット』、『白い花』、『蜂蜜』のような、厚みのある香りがブレンドされると、この【毒入りワイン】の香に、だいぶ、近くなる……――」
「ま、混ぜ物ワイン……!?」
どよめきが起こる。
クラシスは熟れたブドウのように赤面して俯いてしまった。
「そう、バレれば呆れを買うような行いです。『家でやれよ』としか言いようのない、晩餐会でやるには、常識外れな行い。――けれど彼女がこのことを隠したかったのには、別の理由があった。騎士団長様、先ほどクラシス様からお預かりした、あの容器を」
「あ、ああ……」
フランシエスは当の容器を受け取ると、上部のキャップ部分を外し、現れたノズル部分から、そのもの香水を吹くようにして、ワイングラスに、濃縮したバラの水だという中身を噴霧した。
――小規模な周辺に、高貴な薔薇の香りが香った。
「マスカットワインの華やかな香と、ヴィオニエのアロマティックながら濃厚な香。しかし――あのワインの香を形作るには、決定的な今一つが足りない。それが、この、薔薇の香」
「――ゲヴュルツトラミネールか!」
思わずエドガーが上げた気づきの声を皮切りに、そこかしこから、察しを示す声音が湧き始めた。
「その通り。十一月十一日生まれのアルベルト様にちなみ、先日の生誕祭でも振る舞われたゲヴュルツトラミネール。アロマティックとスパイシー、そして高貴なる白薔薇の香を楽しむ、かのワインに、かなり近くなる。――度胸がおありであれば、ぜひどうぞ」
そう言って差し出されたワイングラスを、エドガーは息を飲んで見つめたが、僅かもしないうちに意を決してフランシエスの元へと歩み寄り、グラスを受け取った。
そして口元へ、その縁をもっていき――躊躇いも見せずに、煽った。
「――――これは……。…………いや、まあ。言われてみれば……そうだな、ゲヴュルツトラミネールの味に、近い、な」
「混ぜ物ワインです。食べ合わせによる味覚の錯覚と同列の、稚拙な趣向……完成度としてはその程度。まったく、こんな真似事が談笑として許されてしまうんだから、幼馴染という立場は、便利な立ち位置ですこと」
しおらしく言うフランシエスの言に、クラシスはまた赤面して、俯いた。
「クラシス様は今晩に限ってどうしてか、アルベルト様の元へ、私が向かうことを止めたいご様子だった。――鼻が良い私なら、アルベルト様の手にあったワインに気づくとお考えになったのでしょう。そう、クラシス様との歓談はもう済んでいたというのに、未だワインは、アルベルト様の手元に残っていた。私はそれを証言できる。混ぜ物ワインですもの、とても一口では飲み干せませんわ。それだけ、慣れない、粗雑な味であったということです。――異物を混ぜても、それと気づかないほどに」
フランシエスは、手にしたワイングラスを掲げてみせた。
「そして、私はこの毒入りワインを味わってみせた! 香ったのは……ゲヴュルツトラミネールの香に似せた香の中、神経を尖らせれば不自然に強く香る――――桃の香りだ! そう、ソフィア、あなたの香水の香です」
わざとらしいくらい女性的な、ソフィアとベルガモットの香り――。
「【香水毒】――身体に吹いた香水と、まったく同一の香で調合された、液体毒。女であれば日頃の所持における不自然がまず疑われない。小ぶりな密閉容器であるから、手洗い場に捨てたり、あるいは容器ごと飲み込みでもすれば、簡単に危険物検査をかいくぐれる。――とはいえ、そんなのは暗殺の、プロフェッショナル視点での話です。あなたはどうでしょうね。一連を見ての杜撰さから、とてもプロフェッショナルのようには見受けられませんが。――手を出した相手が誰だが、分かっておいでですか? 第二王子、殿下を相手にそのようなことを仕出かせば、調査は徹底的なものになる。あなたに……はたして、プロフェッショナルのように、『手洗い場の匂いを消すところ』から、『蛇口の水を出しっぱなしにして証拠隠滅を図る』といった工夫まで、考えが及ぶものでしょうか?」
「――全ての手洗い場を調べ、不自然な香のするところあれば、即座に報告しろ!」
騎士団長の吠えるような命が轟く中、ソフィアはスカートを握りしめて、震える歯を食い縛っていた。
「そ、そんなのっ――。私が毒を盛った犯人だという、決定的な証拠には、成り得ないじゃない……!」
「愚か。あなたは第二王子に害を成してしまったと、そう言っているでしょう。この国で最も徹底的な捜索が入るでしょう、ある程度拒めたところで、特殊調合の必要な毒薬生成の現場、および繋がりなど、バレるに決まっているでしょうに」
「…………」
ソフィアは、目を見開いて震えている。
「どうして……? ソフィア様、どうしてアルベルト様を……?」
クラシスの問いかけに。
ソフィアは、全身震えて、歯の根も合わないままに、答えた。
「……ち、近くに、私が、近くに…………。私っ、魔が差して――……」
「魔が差して?」
――――まるで人の腹の底からまろび出たような、恐ろしい声が、会場内に響いた。
息を飲む近衛騎士団、そして――魅入る、群衆。
人々の視線が、今宵、最も強力な引力で――たった一ヵ所に、集まった。
「魔が? 差して? ――――そんなワケないだろう。
たまたま、悪意が沸いて? 違うだろう……?
【香水毒】なんていう、えげつないものを、晩餐会という場にまで肌身離さず携行していた貴方だ。
今宵、クラシス様が用意した趣向のことなど、他人が知り得るはずもない。『常識外れな行い』がバレて困るのは当人、準備は極秘といっても差し支えない秘密裏で行われたはず。そう、あなたは、いつでも身肌離さず、その毒を携帯していたのだ。
あまつさえ――それを簡単に使用することが出来る心の様。
粋がった少年がナイフを懐に忍ばせて携帯するのとは、ワケが違う。『チャンスがあったから刺してみよう』という致命的な在り様とは、ステージの次元が異なる。
お前のしたことはそういったことだ。
お前は自然とそういうことが出来る。
魔だ。お前自身が、魔だ。
だが――しかし……、お前はそのことに、無自覚だ。
あるいは本当に、自分は魔などではないと、信じているのかも分からない。
心の底から、疑わず。
だが。
私は。
そういった、醜く、下賤な『悪』は、許さない。
――――悪。
それは「ある種の間違い」である。
ゆえに、悪とは、『華やかしく美しく』あらねばならない。
私は考える。
悪の道こそを歩むのなら。
『悪』たる意味を、醜い、または下賤であるという意味にしてはならない。
『華やかしく美しく』あらねばならない。
たとえ、「ある種の間違い」であったとしても、私という存在をして『悪』の美しさを証明しなくてはならない。
故に。
私は醜く、下賤な悪――または自身以上の『悪』というものを許さない。
私こそが、最も美しい、『最悪』なのだから」
ワイングラスの中身を。
その『毒』を。
ゆっくりと揺らして、示して見せた。
「お前は『最悪』に近い。
だから許すことができない。
だから私が教えてやる。
お前は『愚か者』であり。
『自覚のない咎人』でもあるが。
それ以前に。
お前の本質は――――魔だ。
あらゆる敵対を許し本性を貫く『悪』とは異なる。
自覚も無く。故に、矜持もない。
私を見ろ。
私は美しい。
そうだろう?
鏡のようにして、私を通して、自身を見るがいい。
そう。
『醜悪』――お前は、ただの、“醜く悪い”、魔だ。
それがお前の見ない、お前の本性だ」
全身で震えたまま。
ずしゃりと、ソフィアの膝が、崩れ落ちた。
「それが分かったのなら。
処刑を超えた、地獄に堕ちるがいい。
お前はもう、一生涯、鏡から逃れられない」
そしてフランシエスは、ニコリと、口角上げて笑んだ。
「目を瞑るたび、美しくないという業を許さぬ、私という『最悪』を思い出すがいい」
――――終わった、ようだ。
ガクリと、尋常ではない様相で顔を俯けた令嬢ソフィア。
しかし、解決編に至っても――会場内からは拍手一つ無く、皆どうしてか、慎みなど一つもない『悪』の姿に、魅入っていた。
拍手は無い。
会場は静寂に包まれていた。
◇
「ありがとう、フランシエス様」
その後、フランシエスのあとを追って彼女を呼び止めたクラシスは、真なる真心からの礼を述べて、頭を下げた。
「貴方様の解決無く、事件が迷宮入りにでもなっていたら……、たとえ私が犯人でないと分かったところで、それでも私の立場は、危ういものになっていたでしょう。曖昧な情報が簡単に、橋にも奈落にもなる、そのような……、噂が羽を持ち駆ける社交界です。今宵は本当に助けられました」
「話はそれで済みましたか? お気になさらず。私はただ、私の目の前で美しくない醜悪を働いた不快な女を排しただけ。それでは、ごきげんよう」
「ま、待って、フランシエス様!」
「……? まだ、何か?」
「あの、私たち――! 仲良く、なれますよね?」
「――ええ当然。それはもう、仲良しになれるでしょうね」
顔だけ向けていたフランシエスは振り返り、いっぱいの微笑みで、それに答えたのだった。
「濃縮したバラの水を胸元に忍ばせる感性の持ち主とは、とっても、話が弾みそうですもの」
あらゆる敵対を恐れない悪役令嬢の言動に、クラシスはまた、赤面して俯いてしまった。




