四十六話 目指すべき未来
貧困街へ続く抜け道の道中、ノクティアはついに自立困難となりへたり込んでしまった。ティーナはノクティアの手を握り、懸命に呼びかける。
「大丈夫かい!? 兵士たちはこっちに気がついていなかったから、あと少し踏ん張って王城を離れよう。安心しな、私がまたおんぶで運んであげるからさ」
もう、一歩も動けそうにないノクティア。ティーナの必死な声かけも、どこか遠く聞こえる。死んだ魔族達の魔力には怨嗟、怒り、嘆きが含まれていてノクティアの精神を容赦なく汚染していく。自身を殺した人間への憎悪、無茶な攻めを決断したモルディスに対する嫌悪。数百、数千分の魔族の負の感情はノクティアの心を塗り替えるに足る。
「ティーナ、お姉さ……」
焦点の定まらない瞳。小刻みな呼吸。身体的な不調はもとより、正気を保つのにも精一杯だ。貧困街で出会った心優しい人間ティーナを、ノクティアに集う魔力が【殺せ】と命じ続けてくる。
憎しみだけでは無く、強さも吸収した今のノクティアは指先一つで人間を粉砕可能。
(殺せ)
誰かの声が、ノクティアの頭の奥で囁いた。
(魔族を虐げる人間を、殺せ。人間は魔族にとって有害だ)
(違う。違う違う違う。少なくとも、ティーナお姉さんは絶対に違う!)
……ノクティアは必死に脳内で声に抗う。
(殺せ。殺せ。殺せ)
腕が、勝手に動く。人間は触れれば壊れる。簡単に。粉々に。
意思とは無関係に腕がティーナへと向く。
「やめて……!」
指先が震える。止めたい。
しかし……止めたいのに、止まらない。脳と肉体が連動していない。
視界が歪む。自分の瞳が映す光景さえ、気がつけば第三者の視点に感じるほど現実感が無くなっていた。
(人間は敵だ)
違う……!
(その女も敵だ)
違う!!!
「お姉さんっ!!私から……離れてっ!!」
「えっ!?」
この一言だけ叫べたのなら、意識を失っても良い。そんな覚悟で発したノクティアの言葉は、ティーナを数歩後ずらせるに至った。
途端。
メキメキ……と音を立てて、右腕が歪む。
膨れ上がった魔力が行き場を失い、裂けるように空間へ噴き出した。
それは攻撃ですらない。ただの【溢れ】。
しかし、その一片に触れるだけで人間など跡形もなく消し飛ぶ。
強引な魔力の集合によるキャパシティオーバー。ノクティアの体内から溢れ出た魔力は右腕を通して空間に放出されたのだ。数歩しか距離を取らなかったティーナは、暴走した魔力の範囲内。僅かでも触れれば一般人など粉々に弾け飛ぶ威力。
小さなノクティアの身体を基点に、魔力は巨大なガジュマルの木のように四方八方へ勢いよく枝を伸ばす。
「ひぃっ……!?」
ティーナが死を悟り、両腕で頭を庇い目を閉じた矢先。
「これはまずい。ちょっと失礼しますね」
ノクティアとティーナの間へ割って入った四条が、暴走した黒い影をそれよりも【更に黒い剣】で弾き飛ばしていく。片手で、蚊でも払っているような仕草での太い【魔力の木】を全ていなして見せた。弾かれ、切り落とされた木は魔力の粒子となって空間へ霧散する。ノクティアへ魔力が集う条件は、魔族が死んだ時だけのようだ。
一度吸収されて再度放出されたものは対象にはならないらしい。
「……だ、誰よあんた!?」
ネクタイを締め直す四条をティーナが睨む。助けて貰った以上に、このままノクティアを始末してしまわないかを警戒している様子。自分が今殺されかけたというのに、まだ幼い魔族の子を案じているのだ。
「あー、安心して下さい。ノクティア様へは危害を加えるつもりありませんので」
深く頭を下げて
「私、異世界サポートセンターの四条と申します。ノクティア様とお話しがしたく伺いました」
「ヨジョウ!? ……前魔王を退けた、あのヨジョウかい?」
「退けたというか、アレは前魔王の自害なのですが……まあそうですね」
タナカを超える英雄、ヨジョウの出現。言動や態度から、どうやらノクティアを始末しに来たわけではなさそうだった。
「だったら英雄様、ノクティアを助けてやってはくれないかい? 見ての通りさっきから具合が悪そうでね。お話しするのは結構だけれど、まずは苦しそうなのを救ってからじゃなきゃ駄目よね」
ノクティアは小さく「ぅ……うぅ……」と声を漏らし、背中からはドス黒い魔力をオーラのように溢れさせていた。
「さっきより魔力の総量が減ってるわねぇ。集まった魔力を発散させてあげれば正気に戻るんじゃないかしら」
遅れてやってきた桜井が四条に声をかける。ティーナが「誰……?」と呟くも、桜井は答えず。
「ちょ、課長。簡単に言わないでくださいよ? レベル100オーバーの相手はこっちも必死なんですから。それに、発散させても集まってくるんじゃ無限ループですよ」
四条は肩をストレッチしつつ上司の無茶振りに反論する。
「そうねぇ。なら、集まってくる魔力は私が防ぐわ。それで文句は無いでしょう」
「いや……」
四条には有無を言わさず。
「アポロンシステム、起動」
天高く桜井が手を伸ばすと同時に、巨大なドーム型にオレンジ色のシールドが展開された。王都中から集まってくる魔力はその光に阻まれ停滞する。ノクティアへ集まるよう【プログラミング】された魔力は通常、どんな障害物があっても貫通してくる。それを完璧に防ぐ桜井のシールドは神々の攻撃さえ無効化するだろう。
「これで邪魔は入らないわ。ノクティア様、そこの四条をサンドバッグだと思い魔力をぶつけてくださいな」
「部下をサンドバッグて! 鬼上司すぎません?」
桜井の声が届いたのか、ノクティアは己の内に溜まった魔力を四条へ向けて放出する。
「う……うぅ……ッ!!」
苦しみながらも、空中で魔力を成形していく。
電柱ほどもある黒い槍が完成する。大型弩……バリスタの放つボルトを、そのまま魔力で巨大化させたような代物だった。
「ノクティア様、意識ない割に殺意高いですねぇ」
余裕があるような発言の四条。しかし、規格外となった魔族の一撃は決して油断してはならず。
(この魔力量。直撃したら、社員証の簡易防御だけではダメージを相殺しきれないな)
当たれば怪我では済まない。異世界サポセンでは怪我をしようと亡くなろうと、労災は一切おりないブラックっぷり。
精神統一。
四条は【ネームレス】を剣として具現化し、構える。
ヒュンッ!
風切音が後から聞こえた。
放たれたはずの槍が、見えない。気づいた時にはすでに頬を掠めていた。
「……え。早くね?」
頬を伝う血を拭い、営業スマイルを引っ込め真顔になる。
「あら……まぁ。サポート課で鈍ったアラサー四条くんじゃ反応出来ないかしら?」
ティーナと共にアポロンシステムのバリア内に避難済みの桜井が腕組みをしながら問う。元掃討課長の目から見ても、攻撃速度は想定よりかなり速かった。
ここで厳しいと答えたら代わってくれるのかもしれない。
……しかし
「俺、ネームレスの一部をエイリーン様の守りに割いてるんですけど。……でもまあ、この世界のサポート担当としては投げ出せませんよ」
担当者の責務。途中交代は矜恃が許さなかった。
2本目の槍が放たれる。
(見えないのなら、知覚するまでだ……!)
【ネームレス】を一部前方へ霧状に展開する。これにより視覚よりも先に、槍が霧に触れた時点で方向や位置を認識可能となる。
「ここかっ!」
ガキィィン!!!
目だけに頼らず弾き飛ばした。
腕が痺れ、指先の感覚も数瞬消える。四条にとって、ノクティアの攻撃は過去の任務を振り返っても記憶にない強さ。
「んー。ここまでやって、ようやく弾けるのか。これはエイリーン王女や田中様じゃ回避すら無理ですねぇ」
掃討案件と化したノクティア。仮に正気に戻せたのち話し合ったとして、平和に解決しなければ倒すのも骨が折れそうだった。
桜井は口元に手を当て、じっくりと考える。
「四条くんが苦戦するとはねぇ。吉田くんは、ノクティア様を強化してエイリーン様を倒そうとしてたのかしら? ……にしては過剰すぎる」
終末対処部掃討課を手こずらせる強さ。いくら四条にブランクがあるとはいえ、ノクティアの強さは本物だ。単に【A-27】の人間を滅ぼすだけなら、魔力で強化せずとも良かったはず。
「まさか。対掃討部にとどまらず、イスタルテ様まで視野に入れているのかしら……?」
神々への恨み。あの男の最終目標が女神への復讐であれば、ノクティアをこれほどまでに強化するのも頷ける。
「じゃあ俺、対女神様を想定した存在を相手にしてるんですかぁー……!?」
ツッコミながら、槍を弾きながら、四条は息切れ混じりに叫ぶ。そうでは無いかと、自身も勘づいてはいたが。
「もしかしたら、そういうことかもねぇ? ファイトよ、四条くーんっ!」
「いくらなんでも、やってられませんってそれは」
上司の応援はデバフとなり、四条はいつものように項垂れながらも防戦を続けた。本来なら魔力の槍を受けても大丈夫なよう、防御用の装備を何種類も用意すべき状況。
今現在、四条は命綱無しで高所作業をしているようなものだった。
それでも、20本ほど槍を弾いたところで。
「ようやく慣れてきたぞ……」
ガギンッ!!
徐々に槍の速度に順応し、最後は反射だけで弾き返すまでに勘を取り戻したのだった。
「良いリハビリになったんじゃなーい?」
命がけの防戦をリハビリ扱いされた四条は沈黙するのみ。
「無視は傷つくじゃないっ」
無視された桜井はぷくっと頬を膨らませる。
余剰の魔力を放ち切ったノクティアはようやく目に光を宿して
「ありがとう……ございまし……た」
息を切らしながらも、正気を取り戻せたらしい。
「良かった。やっと正常に戻れたのですね」
四条も肩で息をする。このくらいの運動量は久しく、終わってくれて一安心。
「ノクティア……! もう大丈夫なのっ!?」
桜井がドーム型のシールドはそのままに、ティーナと自分を包んでいたバリアだけ解除する。自由になったティーナはすかさずノクティアへ駆け寄った。
「うん、もう大丈夫。といっても、あの人が魔力を食い止めている間だけ……なんだけどね」
オレンジの光の外側には、ノクティアを目がけて押し寄せた魔力が黒雲のように滞留している。一度に体内へ吸収されれば、再び暴走してしまう。
「おっしゃる通り、根本的には何も解決していません。今もそこかしこから魔力が集まり続けています。時間もありませんし、単刀直入に聞きます。ノクティア様は……お父上同様、人間を手中に納めるつもりですか?」
正気を取り戻したばかりではあるが、話を進めなくては。四条は息を整えつつノクティアを正面から見据える。ここで相入れない回答をされれば厄介だが……
「……いいえ」
ノクティアは、まだ震える手を胸元で握りしめた。
「私は、人間を支配したいわけじゃありません。魔族と人間が共存できる道も、あると思っています」
幼き魔王が口にしたのは、イスタルテのシナリオを上回る、あまりにも平和的な未来だった。




