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武術魂  作者: 富野夷
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柳生流

剣道は、真っ直ぐを大切にするらしい。

竹刀もしくは木刀の素振り稽古の時。

とにかく、それを天に、真っ直ぐ突き上げるようにしてから、振り下ろしなさい、と言われる。


時代劇の話では恐縮だが、侍の剣は、姿勢が真っ直ぐ。それに対して、渡世人や小者などの場合は、前屈みや、真っ直ぐでない構えにするという演出もある様だ。

剣とは、真っ直ぐ、ひとすじ、であるという思想めいたものがあるのだろう。

剣とは、人、人生、真っ直ぐな道。一度きりの二度はない生き方。それが武士道。そう言われれば、多くの日本人が、ごもっともと感じるはずだ。


ところで、YouTubeなど。

動画で、剣術の太刀筋を簡単に観る事が出来る。いやはや、便利な世の中である。

江戸時代でもあれば、

「む、む、その太刀筋、柳生と観たぞ」

などは、名人でもなければ、言えなかったのだが…


さて、その柳生の太刀だが、くるくると回す。

 性自然(しょうしぜん)、腕力に頼らず、重力を利用した自然な動きと説明される。

良く言うなら、力みのない刀の重さを利用した動きだが、悪く言うなら、相手を崩して、次を狙う。もっと悪く言うなら、一度で駄目なら、二度、三度だ。

実は、これが柳生流の特徴だ。

何しろ、無刀取りの流派だ。無刀取りは、さすがに無謀だが、相手の武器を無力にして、双方傷つかぬ活人剣と言われれば、ほほうとは、思う。

一方の、一刀流。

既に、そのネーミングで、柳生流の対立概念なのだ。

一刀のもとに、敵を仕留める。勿論、そう 上手くいくものでもなかろうが、その一刀の下に切り下ろす気迫、心構え、なのだ。


話はやや飛躍するが、柳生は京八流の剣だ。鬼一法眼の伝える流派、鞍馬流は、その一派。鬼一法眼は中国の軍書六韜も伝える。その京八流に学んだのが源義経、その剣は義経流。

源義経は、京の鞍馬山で、鬼一法眼から鞍馬忍術も修行したとされる。


一刀流と言えば、切り落としだが、千葉周作の北辰一刀流では、突きを重要視する。実戦では、「何より、突き」。

司馬遼太郎の『燃えよ剣』には、土方が各流派の隊士を前に、同じ事を言う有名な場面がある。勿論、沖田総司の三段突きは最強である。

天に向かって突き上げているより、突きの構えのまま突いた方が速い。

東国鹿島の剣聖塚原卜伝に「一つの太刀」がある。二の太刀、三の太刀を必要としない一撃必殺の境地だ。

鹿島、香取の東国の剣には、この一刀の概念が強い。

伊東一刀斎は鐘巻自斎に学んでいるが、東国の伊東、或いは伊豆の大島の出自とされている。


一方の義経流は、中国武術の影響が色濃い。回転を含む素早い動き。くだけた言い方で恐縮だが、ジャッキー・チェンの、グリーン・ディスティニーの動きと言っても良いのではないか。

大陸の自由さとも言えるかも知れない。一方の日本は、一つの事に、拘る傾向がある。

こだわりの日本、おおらかな中国である。

もう、お分かりの通り、柳生流は後者だ。無刀取りという荒唐無稽な中に、活人のおおらかさがある。

さらに、鞍馬忍術は、伊賀、甲賀の忍者へと伝わるのである。

かの有名な壇ノ浦の源義経の八艘飛び、と同じ動きを柳生十兵衛がしたとして、全く不思議ではないのである。


さらに将軍家指南役が、柳生新陰流、小野派一刀流である事も興味深い。

さすが、徳川家康の御家柄。対立概念を呑み込んだというか、バランスを取ったと言うか、双方のいいとこ取りという事なのだろう。

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