エピソード5:心の先にある愛のカタチ③
「お兄……様……?」
目を見開いた心愛が、放心状態で呟いた。
統治は横目で輪太郎の状態を見やり、今は自分たちに危害を加えるつもりがないと判断を下す。先に心愛と倫子の元へ駆け寄り、2人の状態を確認する。
「2人とも、大丈夫か?」
尋ねられても、2人は無言で頷くことしか出来ない。そこへ政宗も合流し、額に汗を浮かべている仲間に苦笑いを向けた。
「おい統治、どうしてここにいるんだ? お見合いはどうした、お見合いは」
「それは……」
当然の指摘に、統治の目が泳いだ。そんな彼の肩をたたき、政宗はどこか嬉しそうにほくそ笑む。
「まぁ、それは夜の宴会でたっぷり聞いてやるから覚悟しとけよ。今は……」
そう言って、木の下で佇む輪太郎を睨んだ。
うつむいたままの彼は特に動くこともなく、ただ、ひっそりと……その場に佇んでいる。
ケリをつけようと一歩踏み出そうとした政宗を、統治が手で制した。そして。
「ここは……俺に任せてもらえないだろうか」
「統治?」
普段の彼を考えると、
「俺の手で、ケリをつけたいんだ」
彼の決意に政宗は一度頷くと、心愛に向かって尋ねる。
「心愛ちゃん、俺は阿部さんと一緒に離れて見ているけど、君はどうする?」
この質問に、心愛は迷わず返答した。
「ここにいます」
次の瞬間、倫子が身を乗り出して政宗に詰め寄った。その顔には焦りしかない。
「わ、私も……私もここで……!!」
「ダメだ」
今にも走り出しそうな彼女の右腕を掴み、政宗ははっきりと首を横に振る。
「どうしてですか!?」
哀願するように詰め寄る倫子に、政宗は努めて冷静な声で理由を告げた。
「元々素人が立ち入る領域ではないし、君のお父さんは既に亡くなって――」
「――でも、あそこにいるじゃないですか!!」
刹那、これまでで最も大きな声で絶叫した倫子が、自分を見下ろす政宗に感情をぶつけた。
「あそこに、いるんです……お父さんが、私のお父さんがいるんです!! 娘の私が会いに行って、話しかけて、何がいけないんですか!?」
必死で掴まれた腕を離そうと抵抗する倫子に、政宗は一度ため息を付いて……はっきりと、言葉を紡ぐ。
「ダメだ。君のお父さんは既に亡くなっている。君とはもう、いる世界が違うんだ」
改めてガツンと告げられたことで、倫子の体が一瞬ふらついた。しかし彼女は両足に力を入れて踏ん張り、強い意思で政宗を睨みつける。
ここで退いたら――もう二度と、父親の言葉を聞くことは出来ないのだから。
「じゃあ、あそこにいるのは誰ですか!? あそこにいるお父さんは偽物だって言いたいんですか!?」
「偽物、とは違うけど……残骸、みたいなものかな。とにかくあれは、正常な状態ではないんだ」
「そんな、でも……!!」
「それに君は、俺達との約束を反故にしたよね。『絶縁体』を持っていない君を、これ以上『痕』の近くにおいておくわけにはいかないんだ。もしかしたら……君に危害を加えようとするかもしれないからね」
それは以前、政宗が実際に体験したからこそ、絶対に避けなければならないことだった。
自分の迂闊な判断で、周囲が危険な目にあってしまう。
もしも、倫子が父親から襲われて、ユカのようなことになってしまったら……考えただけで寒気がした。だから、その可能性がある以上、倫子をここにとどまらせるわけにはいかないのだ。
しかし、そんな政宗の心情を知らない倫子は、真っ向から反論する。
「お父さんはそんなことしません!! だって、お父さんは、お父さんは優しくて……!!」
これは、政宗も想定していた問答だった。だから、心を落ち着けて……こう、切り返す。
「じゃあ聞くけど、そんな君のお父さんは、あんなに暗い雰囲気で、うつむくような人だったの?」
「え……」
政宗の問いかけに、倫子は再度、木の下に佇む彼の姿を見た。
そこにいたのは、暗い雰囲気を漂わせる、異質な存在。彼女が知っている、頭の中にいる父親のイメージとは、到底、かけ離れているものだった。
分かっていた、あれが、自分の知っている父親ではないことくらい。
でも、それでも――ひと目会って話がしたいと、心から願ってしまう。
俯いて涙を流す倫子へ、政宗は可能な限り感情を混ぜずに言葉を紡ぐ。
「阿部さん、今、君が見ている世界は……異質なんだ。俺は、死んだ人間と再び会えるなんてことは、ありえない、あってはいけないことだとさえ思ってる。それで道を踏み外しそうになった人が、つい最近もいてね。阿部さんには、そんなことになって欲しくない」
先月、ユカと政宗、統治が対峙した、姉を生き返らせようともがき苦しんだ少年。
彼は今、自分の本意ではない世界で生き続けることを強いられているけれど……もしも彼――蓮が、姉の――『痕』になった華と出会っていなければ、あんな事件は発生しなかった。
蓮の生き方を制限しなければならないことに、負い目が全くないかといえば嘘になる。けれど同時に、彼は、亡くなった華を死んだ状態で自分勝手に冒涜したようなものだとも思っている。そのツケを払い終えるまでは、当分、歯を食いしばってでも生きてもらうつもりだ。
倫子はすがるような瞳で、心愛に助けを求める。
心愛は一瞬、戸惑いがちに目を伏せてから……唇をかみしめて、ゆっくり、首を横に振った。
自分の行動が許されないことを認めるしか無い倫子へ、政宗が、少しだけ優しく言葉をかける。
「阿部さんの中にいるお父さんは、あんなに暗い人じゃないんだろう? 唐突で悲しい別れだったことは分かっているけれど、でも……君はそれを乗り越えようとしていたはずだ。俺はこれから、未来へ向かう君の力になりたい」
「……」
「今は、力づくでも君を連れていくよ。これ以上手荒な真似はしたくないけれど……どうする?」
改めて問いかける政宗に、倫子は力なく頷いた。そのまま政宗に促され、ユカや仁義がいる場所へと移動していく。
そんな2人を背中で見送りつつ、統治は改めて、輪太郎と向かい合った。
彼はこれまで、特に言葉を発することもなく、今もその兆候は見られない。恐らく、残っている『関係縁』が非常に弱く、放っておけばこのまま消えてしまうような、そんな状態なのだろう。
でも――こんなに中途半端な状態で、いつまで放置しておけばいいのだろうか。
「統治、覚えておきなさい。私達のような能力者――『縁故』は、生命の循環を守る存在だ。この世界に存在する者たちの居場所を守り、失われた命は天に返し、再び転生するのを待つ……『縁故』は、そのための守り人だということを、決して忘れないでくれ」
かつて、どうしようもなく落ち込んで、立ち直れなかった時……父が自分に言い聞かせてくれた言葉を思い出す。
何かあったとき、迷った時に思い出し、自分の指針にしてきた言葉だ。
信じよう、自分の中にある信念を。
覚悟を、決めよう。
右手に携えた銀色のペーパーナイフを握り、統治は、彼を真っ直ぐに見据えてこう言った。
「俺は、名杙統治。阿部輪太郎さん……貴方の命を、一旦、天に返します」
足を動かし、輪太郎の前に移動する。
虚空に漂う彼の『関係縁』を掴むと、これまでうつむいていた彼が、ピクリと初めて反応を示した。その口がモゴモゴと動き、言葉にならない空気の振動を生み出す。
「……り……く、れ……」
最初は聞き取れずに顔をしかめる統治だったが、根気強く耳を傾けて―― 一度、大きく頷いた。
「……分かりました。必ず伝えます」
そして、掴んだ『関係縁』に輪を作り、そこに、ペーパーナイフをあてがう。
そのまま静かに右手を引き――『縁』を、切る。
最期の一瞬、輪太郎の目尻が優しく下がり、口元に穏やかな笑みを浮かべていた……統治には、そう見えていた。
「……お兄様」
輪太郎が完全に消えたことを確認した心愛が、自分のところへ戻ってきた統治へ話しかける。
「その……お疲れ様、でした」
「……ああ」
「えっと……どうして、ここに?」
「それは……」
言葉を濁す統治に、心愛は一度ため息をつくと……すぐに口元をへの字にしてから、普段の調子で畳み掛ける。
「お兄様も今日は大事なお見合いだったのに、それを途中で抜け出すなんて……相手の方に失礼じゃない!! 心愛たちのこと、そんなに信用できないの!?」
「いや、それは、その……」
そう言われたら反論のしようがない。遂に言葉を見失って立ち尽くす統治へ、心愛は口元を緩めて……もう一度、ため息をついた。
「でも……本当は嬉しかったの。来てくれてありがとう、お兄様」
予想外の言葉に、変な声が出そうになった。驚いて心愛を見つめる統治は……心から安心している心愛の表情に、肩の力をぬいて、心からの言葉を返す。
「……ああ。間に合ってよかった」
統治はようやく、10年前の後悔を1つ消化したような……そんな清々しい気分で、一歩前進した妹の誇らしい笑顔を見つめるのだった。
政宗たちのところへ戻ると、相変わらず地面に座り込んでいるユカが、苦笑いで統治を見上げる。
「統治……なんばしよっとね。大事なお見合いをすっぽかして……これからどげんするつもりなん?」
「彼女とはある程度話がついている。それよりも山本、大丈夫なのか?」
ユカの顔色はまだ優れず、声にもいつもの覇気がない。彼女の体に『縁故』の反動がきているのであれば、生命そのものが脅かされる可能性も、決して低くないのだから。
どこか心配そうに確認する統治へ、ユカは諦めた表情で現状の理由を説明した。
「あー……うん、ちょっと無理した。今は少し休ませてもらおうと思って」
「そうか」
とりあえずの無事を確認した統治は、次に、ユカや政宗から一歩引いたところで仁義に付き添われている倫子へ視線を向け、口を開いた。
「阿部さん」
「……はい」
『絶縁体』を持ってこなったことを再び叱責されると思った倫子が、ビクリと肩を震わせて統治を見上げる。
そんな彼女へ、統治は一瞬迷ったあと……ジャケットのポケットに戻したペーパーナイフをその中で握りしめ、覚悟を決めて、言葉を続けた。
「……君のお父さんから、伝言を預かっている」
刹那、倫子の目が見開かれる。
横から口をはさもうとしたユカだったが、政宗に「今はやめろ」と瞬時に諭され、口をつぐんだ。
『縁故』は死者の声を聞く慈善事業ではない。仮に死者からの伝言があったとしても、それを生者に伝えることはほとんどないのが現状だった。
それを伝えることで生者に迷いが生じてしまう可能性があるし、誰か1人にその『サービス』を実施すれば、別の『お客様』も同等に扱わなければならない、だったら最初からやめておこう……という考え方が、ずっとまかり通ってきたから。ましてや、先程まで取り乱していた倫子へ伝えるなんて、今までの統治では決して考えられないことなのだから。
すがるような目で統治を見つめる彼女を見下ろし、統治は一度、呼吸を整えてから……目を閉じて、先程受けとった言葉を、倫子へ届けた。
「……料理、美味しかった。本当にありがとう」
この言葉を聞いた瞬間、倫子が膝から崩れ落ちる。
そして、両肩を震わせ……地面に再び大粒の涙をこぼした。
「お、とう……お父さ……っ……!!」
どれだけ泣いても、もう、料理を食べてくれる父親はいない。
お弁当箱を食材で満たしても、それが空っぽになって戻ってくることはないのだ。
彼女の声はもう、何も届かないけれど。
でも……涙は止まらない。だから、今は泣くしかないのだ。
そうしなければ、倫子は……前に進むことが出来ないのだから。
心愛はそんな倫子の隣に腰を下ろすと、震える彼女の背中に、そっと、自分の手を添えた。
先日、里穂にしてもらったように、そっと、優しく。
心愛の手を感じた倫子が、更に感情を爆発させて咽び泣く。そんな彼女に……心愛はずっと、寄り添い続けた。
十数分後、ようやく落ち着いた倫子が立ち上がり、泣きすぎて腫れぼったくなった目のまま、統治に一度、深く頭を下げる。
「――ありがとう、ございました。約束を守らずに……本当に、ごめんなさい」
顔を上げる倫子に一度頷いた統治は、彼女に優しい表情を向けて、言葉をかけた。
「同じことを繰り返さなければそれでいい。俺達は君の身を案じている、それだけは理解して欲しい」
「……はい、分かりました」
倫子が一度、確かに頷いたことを確認した統治は、今回の一連の騒動がひとまず終息したことを感じて……5月の眩しい空を仰いだ。
お兄様、お見合いをぶっちぎってくる。詳細は次のエピソードです。
ここでは政宗が倫子の干渉を絶対に認めないことを書きたかったんです。『縁故』は慈善事業ではないので、政宗の責任でリスクを回避する必要がありますからね。倫子にとっては酷な展開ですが、こういうところも『エンコサイヨウ』っぽいかなーと思ってます。まぁ、その後、少し救済を入れたので……霧原も丸くなったのかなー。
あと、統治が父親からかけてもらった言葉は、とあるエピソードからの引用です。本編じゃないですけど。これが『縁故』という職業の本質だよなぁと思ってます。




