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エピソード5:心の先にある愛のカタチ②

 政宗が家庭科室で『痕』の『縁』を切ったほぼ同時刻、ユカと心愛は北棟内の、1階から2階へ登る階段の途中にいた。

 この棟にいる『痕』(『遺痕』の可能性もある)の気配は、棟の3階から感じる。要するに最上階なので、今はひたすら階段を上るのみ。

 いつものキャスケットはヘアピンでしっかり固定済みであり、ボーダーのシャツの上から、肩紐が背中で交錯するサロペットを着用。足元はスニーカーソックスと室内履きのデッキシューズで、動きやすさを重視している。

 一歩先を歩くユカから離れないように後ろからついてくる心愛は、特にユカへ憎まれ口を叩くわけでもなく……仁義と同じ役割を果たすべく、ユカのスマホを握りしめていた。

 今日の心愛はいつものツインテールをゆらし、長袖のTシャツに膝丈のプリーツスカートとレギンス、足元は室内履き用のスニーカーという出で立ち。

 そんな彼女に特に声をかけるわけでもなく、ユカは淡々と階段をのぼる。そして、3階までたどり着いてから……視線の先、廊下でウロウロしている『痕』がいることに気付いた。

 その距離は10メートル程度。ここから顔や姿をはっきり確認することは出来ないが、小柄な女性のように見える。少なくとも、先日相対した輪太郎ではない。

「っ……!!」

 ユカの背中で心愛が萎縮したのが分かった。しかしそれ以上の動揺を必死に押し隠し、両足で廊下を踏みしめて、持っていたスマートフォンのアプリを起動。そして、一度息をつき……ユカに話しかける。

「ケッカ……心愛、用意出来たわよ」

 その声は震えているが、自分なりに平静を装うとしていると感じた。今までは混乱が先に出てしまい、取り乱してばかりだったのだから、これは非常に大きな進歩である。

 ユカは数日で確実に成長した心愛の底力に内心で舌を巻きつつ……自分もしっかりしなければ、と、気持ちを切り替える。


「了解。統治のアプリ、しっかり使いこなしてね」

 先輩『縁故』として、統治の同期として……情けない姿は、絶対に見せたくないから。


 ユカは歩みを進め、『痕』と2、3メートルの距離まで近づき……立ち止まった。

 目の前にいる女性は、この学校のものとは異なるセーラー服を着た、中学生くらいの女の子だった。ユカ達に背を向けているため顔は見えないが、肩につくくらいの髪の毛と、ユカと同じくらいの身長で、華奢な立ち姿。目視出来る『関係縁』の数は、向かって左から2本。『縁』の状態や雰囲気から、『遺痕』ではなさそうだが……ここにいることでどんな影響を受けているのか分からないので、『痕』であっても『縁』を『切る』こととしている。彼女の場合は残った『関係縁』が複数あるものの隣接しているので、問題なく一気に切れるだろう。

 とりあえず話しかけて、名前を含む、生前の情報を引き出さなくては……。


 ユカがそう判断して声をかけようと思った次の瞬間――彼女が不意に振り向いたかと思うと、突然、ユカに向けて襲い掛かってきた!!


「――っ!?」

 咄嗟に左に避けてその攻撃を回避したユカは、次なる標的を心愛に定めた『痕』の『関係縁』を右手で掴み、左手で迷いなく『切る』。


 心愛へ向けて手を伸ばしていた『痕』は、一瞬で消滅した。


「……あっぶな……っと……」

 ユカはその場に座り込んで、ふぅ、と、安堵の息をつく。普段は覚悟を決めてから右手で切ることが多いので、不意打ちにうまく対処出来たとはいえ、複数の『縁』を慣れない左手で切ることは確実に体への負担となったようで……おぼつかない足元を落ち着かせるため、一度、座り込んだのだ。

「ケ、ケッカ……!?」

 そんな様子を見た心愛が、スマホを握りしめたまま、恐る恐る近づいてきて……。

「だ……大丈夫、なの……?」

 相変わらず声が震えているものの、ユカの様子を気遣うことは出来た。そんな彼女に「こんなのよくあることやけん、問題なかよー」とヒラヒラ手を振るユカは、ふらつく両足に命令を送り、その場に改めて立ち上がる。

「あービックリした……心愛ちゃん、何もされとらん?」

「心愛は、大丈夫……あと、これ……」

「え? あ、写真か……えぇっ!?」

 画面を見たユカは思わず感嘆の声を上げた。心愛が差し出したユカのスマートフォンには、先程の『痕』が心愛に向かって来る様子が、はっきりと撮影されていたのだ。写真を拡大してみると、着ている制服の胸ポケットには校章らしいマークがあり、その下には『松井静佳』という名札も見える。ここまで分かっていれば、『生前調書』の作成は簡単に終わるだろう。

 あの状況でよくもまぁここまで撮影出来たものだと本気で驚くユカは、まだ怯えが残る心愛を、マジマジと覗き込んだ。

「心愛ちゃん……凄かね」

「え?」

「いや、ついこの間まで、『痕』ならば問答無用で怖がったとに……今日だっていきなり襲われたけん、あたしだってちょっと焦ったよ。こげな写真が撮れたかどうか、正直怪しいと思う」

 ユカが心愛を見つめて本音を口に出すと、半信半疑の心愛がオズオズと尋ねる。

「ほ、本当に……?」

 そんな彼女に、ユカは力強く首を縦に動かした。

「うん、これは本当の本当。あと、何事もなくてよかった……」

 改めて安堵するユカは、心愛にその写真を内蔵メモリとSDカードぞれぞれに保存するよう指示してから、周囲に『痕』の気配が残っていないかどうか確認する。

 近く『には』いない、ただ……学校内に残る漠然とした違和感は、消えていない。

 政宗側でも処理しているはずだが、この、どうしようもない違和感は……なんだろう。

「ねぇ、心愛ちゃん……なんというか、スッキリしない感じがすると思わん?」

 訝しげな表情で尋ねるユカに、スマホをスカートの左ポケットに片付けた心愛も無言で首肯してから、顔をしかめる。

「何だろうこの感じ……心愛、知ってるような気もするけど……」

 ツインテールを握りしめて、ムムムと更に顔をしかめる心愛。自分よりも敏感に何かを感じ取っている様子を悟ったユカは、伸び率が凄い心愛にもう少し期待してみることにした。

「どこから感じるか、とか、もう少し何か分かるやか?」

「どこから……どこか、ら……」

 ユカの言葉を繰り返しながら、心愛はゆっくり、廊下側の窓近くまで移動して……。


「――え……!?」


 何気なく視線を下に向けた心愛が、ビクリと体を硬直させて動きを止めた。

 『痕』(もしくは『遺痕』)を発見したのだと思ったユカが彼女の隣に並んで眼下を見下ろし――絶句するしかない。


「なっ……あれ、阿部さん!?」


 3階の窓から見下ろした先にある中庭、先日休憩をした渡り廊下の近くに……制服姿でウロウロする倫子の姿を見つけたから。


「心愛ちゃん、彼女を保護したい。最短ルートの案内をお願い!!」

「わ、分かった。ケッカは支局長に連絡して!!」

 そう言ってスマートフォンをユカに手渡した心愛が、一目散に今来た道を戻り、階段を駆け下りる。

 後に続くユカは足元を踏み外さないように注意しながら、政宗へ電話をかけた。


「――ケッカ、どうした?」

「政宗、中庭に阿部さんがおる!! 今向かいよるけんが、手があいとるならフォローをお願い!!」

「分かった」


 彼はそう言って電話を切った。ユカはスマートフォンをズボンのポケットにねじ込み、2階から更に下を目指す。

 ツインテールを揺らして一足先に1階へ降り立った心愛は、迷わず廊下を走り、廊下の丁度真ん中近く、北棟と南棟を繋ぐ渡り廊下の入り口まで来た。

 そして、屋外で立ちすくんでいる倫子へ駆け寄る。


「――阿部会長!!」

「名杙さん……!!」


 一足早く倫子の側にたどり着いた心愛は、息を切らせながら彼女を見つめ、特に悪い変化がないことに安堵の息をついた。

「かっ、会長……どうして、ここ、に……?」

「その……ごめんなさい。私はここに来ちゃダメだって分かっているんだけど……」

 罰が悪そうに言う倫子が心愛を見つめるその瞳には、見つかってしまったという戸惑いと、誰か来てくれたという安堵感が入り混じっている。

 しかし、次の瞬間――倫子の瞳が絶望に染まった。


「な、くいさ……後ろ!!」

「――え?」

 

 心愛が振り向いた次の瞬間、自分たちに若い男性と思われる『痕』が近づいていることに気付いた。

 この学校のものではない学ランを着用しており、目にかかるほどの前髪と、野暮ったい鼻、そして……2人を見つけたその口元が、どこか醜悪に釣り上がる。


 あの時と、似ている。


 足が、すくんだ。

 手が、震える。


 次の瞬間、そんな『彼』の姿が一瞬で消えた。追いついたユカが『彼』の後ろから、『彼』の右手に残っていた『関係縁』を3本、まとめて切ったのだ。

「2人とも、だいっ……ぁっ……!!」

 『彼』の残像の隙間に見えるユカは、呼吸が荒く、顔を歪めていた。無理もない、時間差がほぼない状態で、何の事前情報もない突発的な縁切りをこなしているのだ。しかも、個別に残った『関係縁』が複数ある状態が続いている。いくらユカでも、これを笑って耐えられるキャパシティではない。

 その場に両手をついてへたり込むユカに、2人が慌てて駆け寄った。

「ケッカ!?」

「だい、じょ……って、説得力なかね……」

 力なく笑うユカは、倫子に出来るだけ厳しい視線を向け――ここで初めて、あることに気付く。

「ちょっと待って……阿部さん、どうして『絶縁体』を持ってきとらんと!?」

 刹那、指摘された倫子が狼狽する。言われた心愛も慌てて意識を集中させ……倫子から、先日渡したはずの『絶縁体』の気配を感じないことを確信した。

 もっとも今は、心愛もユカもそれぞれに持っているため、2人と一緒にいれば大きな問題はない。しかし、予想外の裏切りに遭遇した心愛は、驚きと戸惑いで倫子を問いただす。

「阿部会長、どうして、どうしてそんなっ……!?」

「ごめんなさい……ごめんなさいっ……!!」

 狼狽が加速した状態で謝罪の言葉を繰り返す倫子、目線が定まっていなかった彼女の目が……遂に、ある一点を捉えてしまった。


「――お父さん!!」


 そして、混乱が残る体を必死に動かして走り出す。どこかおぼつかない足取りで渡り廊下を越え、中庭を越えた先にある通用門の方へ、目測50~60メートルほどの距離を必死に進む倫子。彼女が目指す先、門の近くに立つ大きな木の根元に――先日、ユカも目撃した、黒いロングコートで少し猫背の男性が、倫子の父親の阿部輪太郎だと思われる『痕』が、じっと、佇んでいたのだ。

 ユカと心愛はここで理解する。倫子が『絶縁体』を持ってこなかったのは――コレ(『絶縁体』)があると、仮に父親と出会えたとしても、近づくことが出来ないから。


「阿部さんダメ!! 戻らんね!!」


 ユカが金切り声をあげる。ユカの目には、父親へ近づこうとする倫子を通用門近くの茂みから狙う、この学校の制服を着た女子生徒の『痕』の姿がはっきり見えていたから。

 強い『縁由』を持つ倫子(錯乱中)と、『痕』が、今の状態で直接接触したら、一体どうなってしまうのか――楽観的な未来は、どう考えても期待出来ない。

 ユカは立ち上がろうとするが体が全く言うことをきかず、余計にふらついてその場に倒れ込んでしまった。

「ダメ……戻って、戻って!!」

 悔しくて地面の草を握る。這ってでも前に進みたいのに……体が、言うことをきかない。


「――阿部会長!!」


 次の瞬間、心愛が歯を食いしばって再び地面を蹴った。本日2度目の全力疾走は流石にこたえるが、今はそんなことも言っていられない。

 30メートルほど全力疾走して、渡り廊下と通用門の中間点をこえたあたりで何とか追いついた心愛は、父親と接触しようとする倫子の右手を握ってそれ以上の動きを抑制し、同時に、自分が持っている『絶縁体』の力で倫子を守ろうとした。


 しかし――倫子は心愛の手を振りほどき、少しスピードが落ちているものの、再び自分の父親へ向けて足を動かす。


「お父さん……お父さん、お父さん!!」


 父親との距離は、あと30メートル程度。


 その様子を見ていた女子生徒の『痕』が、好都合とばかりに笑みを浮かべたのが分かった。



 目の前に、『痕』がいる。



 あの時と、同じだ。

 1対1で見つめられ、無邪気な顔で近づいてくる、異質な存在。

 ユカの助けは……期待出来ない。


 足が、すくんだ。

 手が、震える。


「っ……!!」


 脳裏に刻まれた恐怖は、そう簡単に心愛を解放してはくれないけれど。



 ――でも。



 つい先程、ユカは己の体への負担を覚悟して、『痕』の『縁』を切ってくれた。


 ユカが、助けてくれた。


 誰も助けてくれなかったあの時とは、違うんだ。


 それに……自分の隣で、自分以上に震えている人がいたら……心愛(自分)が、助けたいじゃないか。



「……心愛は……!!」



 三度足を動かす。そして、倫子の腕を掴んで無我夢中で自分の方へ引き寄せた後、かばうように彼女の前に立った。流石に現状を――自分が別方向から狙われていることを――理解した倫子も足を止める。

 乱れた呼吸を整えつつ、スカートの右ポケットに手を入れて――不敵に光るシルバーのペーパーナイフを取り出した。

 これまではお守りだったけれど、今からは相棒になる。汚れのないシルバーの輝きが、心愛に兄の背中を思い出させた。


 チラリと『彼女』の胸元に残る名前を確認してから――息を、吸う。

 そして――


「――私は、名杙心愛。丸川成恵(まるかわ なるえ)さん、貴女に残った『縁』……切ります!!」


 心愛が一歩、『彼女』――成恵に近づき、彼女の左肘から伸びている『関係縁』を左手で掴む。

 そして、グーで握った指の隙間、親指と人差し指の間から『縁』を少しだけ出して輪を作り、そこにペーパーナイフをあてがって―― 一気に『切った』。

 最期の言葉も届かないまま、成恵は消えていく。


 しかし、ここで安心するわけにはいかない。ユカの方を見ると到着した仁義が介抱しており、政宗が焦った顔でコチラに走ってくるのが分かった。

「心愛ちゃん、まだそっちにあと1体いるぞ!!」

「えっ……!?」

 彼の指摘に視線を巡らせると、輪太郎の背後、通用門の方から2人の方へジワジワ近づいてくる『痕』が見える。輪郭がぼんやりしているので性別などは分からないが……残っている『関係縁』は、2本。

 その距離はあと7~8メートル程度になっている。心愛は歯を食いしばって『痕』と対峙し、再び、ペーパーナイフを構えた。




「――心愛!!」




 次の瞬間、その『痕』の姿が消える。


 呆然とする心愛の視界に飛び込んできたのは……自分以上に息をきらせて、自分と同じくらい必死の形相になっている……兄の姿だった。

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