エピソード3:予想外の能力者達③
「私、ちょっとココちゃんを追いかけるっす」
すっかり荷物をまとめた里穂が、椅子に座ったまま動けない統治の前に立った。
いつも通り里穂の笑顔が、今の統治には無性に有り難く感じる。
「……テスト前に申し訳ない。本来ならば俺が何とかするべきなんだが……」
力なく吐き出したその言葉に、里穂は首を横に振った。
「ううん、今うち兄が追いかけても、ココちゃんは何も話してくれないと思うっすよ。私でもどうか分からないけど……でも、とにかく追いかけてみるっすね」
「……頼む」
頭を下げる統治に手を振った里穂は、そのまま踵を返し、急いで『仙台支局』を後にした。
扉が閉まる音を聞いた統治は、椅子の背もたれに体重を預けてから再度大きく息を吐き……背筋を伸ばして、椅子から立ち上がる。
刹那、天井からぬるりとすり抜けてきた分町ママが、統治の目の間でクスリと笑った。
「私も里穂ちゃんと一緒に、心愛ちゃんの様子を見てくるわ。政宗君にそう伝えておいてもらえるかしら?」
「分かりました。宜しくお願いします」
優しい笑顔と共に消えた分町ママの気配に感謝しつつ、統治はそのまま歩みを進め、ソファに座ったまま困惑している倫子の隣に立つ。そして、軽く頭を下げた。
「お待たせした上に、お騒がせして申し訳ない。妹がいつもお世話になっております。心愛の兄、名杙統治です」
「名杙さんのお兄さん……初めまして、阿部倫子です」
そう言ってペコリと会釈する倫子と、テーブル越しに向かい合って座った統治は……二人分の飲み物とお茶菓子を持ってきたユカと華蓮にもこの場への同席を依頼する。ユカは倫子の隣に、記録するための筆記具を持った華蓮は、統治の隣に腰を下ろした。
改めてこの場に全員揃ったことで……統治が改めて、倫子に頭を下げる。
「大変な事態に巻き込んでしまって困惑しているところに、重ね重ね申し訳ないが、少し君自身の話を聞かせて欲しいと思っている。時間は大丈夫だろうか?」
必要であれば親への連絡も考えた統治に、倫子は腕時計を確認して、首を縦に動かした。
「私なら大丈夫です。母の帰りも……今日はきっと、8時を過ぎますから」
時刻は17時を過ぎたところ。等間隔で時を刻む壁時計を見つめる倫子の『縁』を確認するため、統治は意識して目を細めつつ……いきなり核心に迫る質問を投げかけた。
「阿部さんは……いつから、幽霊が見えるように?」
統治が『幽霊』という言葉を使ったのは、話をスムーズに進めるためだ。
彼の質問に、倫子は一度唇を噛み締めてから……頑張って言葉を絞り出す。
「あの……4年前の災害の直後、だったと思います……でも、常に見えるわけじゃなくて、1ヶ月に1回とか、その程度だったんです。でも……何だか最近は、ほぼ毎日、どこかで見かけるようになってしまっていて……」
「見えるのは幽霊だけ? 何か……例えば今の俺や隣の山本など、生きている人間が変に見えたことは?」
統治の質問に、倫子は首を横に振った。
「それはほとんどないんです。たまに、歩いている人の頭から……何か、紐のようなものが見えることもありますけど」
その答えに、ユカと統治は一瞬顔を見合わせて、『縁』に関する話はしないことを示し合わせる。
倫子はどうやら、『痕』や『遺痕』というような『この世の存在ではない』ものは認識出来るけれど、生きた人間に繋がった『縁』までは、認識出来ないようだ。
基本的に『痕』と『縁』は同じ世界線に存在していると考えられているので、覚醒すれば華蓮のように両方見えるようになることも多いのだが……見え方には個人差があり、倫子のように、片方しか見えないという場合も決して少なくはない。それらの場合は『霊感が強い人間』として世間的にも認知されることが多く、また、不十分な能力ということで、徐々に廃れていくことが多いのが現状だ。
彼女の置かれている現状を何となく理解した統治は、更に話を進める。
「これまでに幽霊から話しかけられたり、何かされそうになったことは?」
この質問に、倫子の表情が曇る。
「これまでは本当に何でもなかったんです。でも、新学期になって、学校で原因不明の騒ぎが発生するようになってから……話しかけられたりしたことはありませんが、目が会うことは増えたような気がします」
「なるほど……その幽霊の中に、知り合いがいたことは?」
この質問に、倫子の体がビクリと反応した。隣りにいるユカが「大丈夫?」と声をかけると、彼女は小さく頷いてから……。
「……父が……今日、学校に……死んだはずの父が……いました」
血を吐く思いで喉から絞り出した言葉は、彼女の背負う過酷な運命を一瞬で3人に理解させる。
統治とユカは再び顔を見合わせて、ユカが倫子の様子を気にかけながら、更に注意深く話を聞き出していくことにした。
「阿部さん、思い出したくないこともあるやろうけんが、無理はせんでいいけど……でも、出来るだけ正直に話してもらえると、あたしたちも阿部さんをより助けやすくなる。大丈夫?」
ユカの言葉に頷いた倫子は、少し間をおいてから……俯いていた顔を上げて、3人をそれぞれ見つめる。
そして……自分を落ち着かせるように息を吐くと、弱々しく微笑んだ。
「ありがとうございます……お話します」
そして彼女は語りだす。
ごく普通の家族に、一体、何が起こったのか。
「父が死んだのは……4年前の災害でした。私の両親はそれぞれ小学校の教師をしていて、共働きで忙しい中でも……私のことを気にかけてくれる、優しい父だったんです。土曜日の出勤の時にお弁当を作ると、喜んでくれました」
子どもの教育に携わり、最前線で忙しく働く両親。
寂しくなかったといえば嘘になる。でも、限られた時間で自分に惜しみない愛情を注いでくれる両親を、倫子は心から尊敬していた。
だから、そんな2人の力になりたくて、たまに昼食のお弁当や、夕食のおかずの用意をしておくこともあった。父親がどこか照れくさそうに、でも、笑顔で食べてくれた時のことを思い出し、思わず倫子の頬が緩む。
でも――その表情は一瞬で切り替わり、彼女の顔には、また、影が戻ってきた。
「あの日、津波が来るかもしれないから、学校を避難所として開設することになって、その手伝いをして欲しいって連絡が来たそうです。私はまだ寝ていたので……父をちゃんと見送ることは、出来ませんでした……」
これまでも、台風や大雨などの自然災害時には、学校が念のための避難所として解放されることがあった。
その度に、体育館にパラパラと地域の人が集まり、非日常の片隅で何となく世間話をして……警報が解除されると家に帰る、そんな使い方をされてきたのだ。
大げさな警報に振り回されて、結局いつもと同じ、変わらない日常が戻ってくる。
だから、あの時も……いつもと同じだと思っていた。
「私の実家は、海岸線から離れた場所にあるので無事でした。ただ……父は、体育館で津波に巻き込まれて……死にました」
彼女が父親の遺体を引き取ることが出来たのは、災害から3週間が経過してからだった。
体育館に堆積したヘドロやがれきの量が凄まじく、重機が入るまでに時間がかかったこと、同時に、上へ上へ逃げるようにと折り重なっている遺体を丁寧に引き剥がし、遺留品などを整理するのにも時間がかかってしまったのだ。そしてまた、倫子の母親も教育現場で働いていたため、自身が担任を務めている子どもへのケアや、混乱した学校の立て直しなど、悲しむ間もなく仕事に忙殺されていたことも、引取に時間がかかった理由として挙げられる。
ただ……あえて言葉を選ばずに言うならば、遺体が見つかり、引き取れた分だけ『マシ』なのかもしれない。遺体があれば、嫌でも『父親の死』という事実が突きつけられる。遺体もなく、行方もわからない……どこかで生きているかもしれないという、根拠のない期待を抱いて日々を過ごすことはないのだから。
ユカが気になって眼の前にいる華蓮を見やると、彼女はいつも通りの表情で、ノートにペンを走らせている。
だからユカはすぐに視線を倫子に切り替えて、彼女の言葉に耳を傾けた。
「父が災害で亡くなったことが認定されたため、国の補助や助成を受けることが出来ますし、秀麗中学には災害遺児向けの特待生制度があって、授業料や教科書代も7割免除になっています。今は実家で、母と2人で暮らしながら……勉強を頑張っているところです」
先の災害でどちらかでも親を亡くした子どもは、彼女だけではない。
漁師や市場職員として、朝早くから働いていた人、人々を逃がそうと誘導を続けた警察官や消防団員……そして、何も知らずに巻き込まれた人々。普通の家庭を持ち、普通の幸せを享受していた人々が、ある日突然、地獄に突き落とされたのだ。
行ってらっしゃい、行ってきます。
毎日何となく伝えていた言葉。
ごめんなさい、ありがとう。
いつでも伝えられると思っていた言葉。
それらは全て、水の泡のように消えてしまい……二度と、伝えることが出来なくなってしまった。
誰も悪くない、誰のせいでもない、だからこそ……簡単に、割り切ることなど出来ない。
ここまで彼女の話を聞いた統治は、どこか納得したように息を吐く。
「辛いことを話してくれて、ありがとう。差し支えなければ、お父さんの名前を教えてもらえないだろうか」
「名前は……阿部輪太郎です。こざとへんの阿に部屋の部、車輪の輪に太い方の太郎って書きます」
すかさず華蓮がメモを取り、倫子へ間違いがないかどうか確認をする。ユカは一度軽く目を閉じてから、再び目を開けて倫子を見つめた。彼女が頷いたことを確認した統治もまた、一度頭を下げてから顔を上げ、話を続ける。
「君が幽霊を見えるようになった理由や原因は何となく分かった。ただ……もう少し確証が欲しい」
「確証、ですか?」
倫子が首をかしげた次の瞬間、事務所入口のドアが開き――
「――こんにちは、いや……もうこんばんは、かな?」
「だ、伊達先生!?」
扉を潜り抜けて笑顔を見せる彼――聖人に、肩越しに振り向いたユカが素っ頓狂な声をあげる。
今日の彼は普通の格好――ロングコートにチノパン、足元は革靴――をしており、普段のどこか胡散臭くて雑多な印象が半減している……ように見えなくもない。ユカは一瞬で普段と同じ印象に戻ってしまったけれど。
彩衣はおらず、ここにいるのは聖人のみ。そんな彼の後ろから入ってきた政宗が、扉を施錠しながら……この場に誰が残っているのかを確認して呟いた。
「心愛ちゃんと里穂ちゃん、分町ママがいないか……」
そして、現状を理解出来ずに首をかしげるユカに視線を向ける。
「ケッカ、ちょっといいか?」
「あたし?」
政宗から指名を受けたユカが立ち上がり、やはり首をひねりつつ彼に従って衝立の向こうへ引っ込む。ユカが座っていたところに腰を下ろした聖人は、隣で戸惑う倫子をいつも通りの眼差しで見つめて……。
「これはこれは……実に興味深いタイプの子、だね」
そう言って笑顔を向ける聖人に、統治と華蓮は無言でジト目を向けるのだった。
「政宗、どげんしたと? っていうかどうして伊達先生?」
「伊達先生を呼んだのは統治だ。彼女の本質を更に見極めるためだとは思うが……」
政宗は上着を脱がないまま、電源を入れっぱなしにしていたノートパソコンをシャットダウンする。
「……ケッカ、今日は事務所の施錠を任せても大丈夫か?」
「へ? あ、うん、多分大丈夫だけど……政宗、今日はもう帰ると?」
倫子という外部の人間がいるのに責任者が帰宅とは、随分と無責任にも感じる言動だ。
少し驚いているユカの問いかけに政宗は首肯して、迷いなくこう答える。
「ああ、統治を連れて帰る。何があったか少し聞かせてくれ」
刹那、ユカは更に驚いた表情で政宗を見上げた。
ユカは政宗にメールを送っているが、それは中学校で発生した事件までだ。その後、統治と心愛が大喧嘩したことなど……概要も詳細も、一切伝えていないのに。
「政宗……よう分かったね、統治が凹んどるって……」
「この場にいるはずの心愛ちゃんも里穂ちゃんも分町ママもいないし、何よりも、統治の顔を見れば一目瞭然だ。と、いうわけで俺と統治は今日はもうあがらせてもらう。ケッカに残業を押し付けるのは申し訳ないが……この場は任せても大丈夫か?」
こう尋ねる政宗の目は、完全にユカを信用していた。そして、政宗がここまでして統治を優先するということか……付き合いの長い彼の目から見ても、今の統治が相当に凹んでいることを察することが出来る。
だからユカは口元に笑みを浮かべて、自信満々に返答するのだ。
「了解。ここは任せとって」
その答えを聞いて統治の席に移動した政宗は、彼のパソコンも電源を落とそうとして……解読不能な画面からそっと目をそらした。そして……やはり、こういう作業は本人にやってもらうのが一番だと結論づける。
そして再び自席に戻ってきた彼が、閉めたノートパソコンの上に、事務所の鍵と、手のひらサイズの小さな箱をのせた。
「最後、下の施設事務所でサインをしなきゃいけないんだが、それは伊達先生に頼んで欲しい。俺からも伝えておくから。あと、この鍵は施設事務所で預かってもらってくれ」
「了解。鍵の隣にあるその箱は……『絶縁体』やね」
ユカが確認のために尋ねると、政宗が「ああ」と首肯する。
「彼女に渡しておいてくれ。あと……統治は何があったんだ?」
既に何となく察している政宗ではあったが、自分の認識と現状を一致させるために尋ねる。
ユカは少し声を潜め、政宗にだけ聞こえるように囁いた。
「統治、心愛ちゃんとあたしたちの前で大喧嘩したんよ。これまでのすれ違いが爆発したみたいな、それはもう特大の喧嘩をね」
大喧嘩、と聞いた政宗は、一瞬驚きで目を見開き……一度、深く息をついた。
「なるほどな。あと……彼女のことは、出来れば今日中に概要だけでもメールをもらえると助かる」
「分かっとるって。統治のこと……お願いね」
ユカがそう言って、握った右手を政宗の方へ突き出す。そこに自分の左手で作った握りこぶしを軽く押し当てた政宗は、カバンを持って衝立の向こうへ消えた。
とりあえずユカは政宗の机上にある事務所の鍵を自分の机の上に移動させて、先程聞いた手順などを走り書きで残しておくことに。
次の瞬間、政宗と入れ違いで統治が自分の席に戻ってきて……重たい溜息をつきながら、パソコンの電源を落とし始めた。
そして、視界の端にユカを捉え、普段より更に小さな声でボソリと呟く。
「山本……今日は、申し訳なかった」
「よかよ、統治もたまには政宗に世話してもらわんね」
からかうように告げるユカに、統治は無言で頷いてから……。
「あと……先程、話をした時に彼女の『縁』を確認させてもらったのだが、父親との『縁』は完全に切れていないようだ」
「だよね。あたしもそう思った」
統治の言葉にユカも首肯する。
父親の名前が分かったことで、倫子を構成するどの縁が父親と繋がっているのか……2人は密かに見え方を切り替え、確認をしていたのだ。
話によると父親は4年前に亡くなっており、その時点で縁が『切れた』はずなのだが……倫子と父親とを繋ぐ『関係縁』は、少し色を黒くして、切れること無く残っていたから。
ユカは統治と見解が同じだったことに安堵しつつ、彼に退社を促す。
「まぁ、今後のことは改めて確認しよっか。今日は……お疲れさま、統治」
「ああ……先に失礼する」
統治は力なくそう告げてから、荷物をまとめ、衝立の向こう側へ。
普段以上に気力のない彼の背中を見送りつつ……ユカは、思考を切り替える。
今の自分がやるべきこと、それは……倫子の現状を何とかして、彼女たちの学び舎の平和を取り戻すことなのだから。
ユカが改めて倫子達のところへ戻ると、聖人が倫子の正面に移動しており、華蓮が無言で睨みをきかせていた。
ユカは再び倫子の隣に腰を下ろすと、自分のカップに入れておいたコーヒーを一口すすってから、改めて尋ねる。
「で、伊達先生……自己紹介は終わったと?」
「勿論。自分が何者かを名乗るのは紳士の嗜みだからね」
「紳士……まぁよか。んで、伊達先生は何しに来たと?」
「さっき帰った統治君に呼ばれたんだよ。『痕』が見える人が突発的に見つかったから、ちょっと様子を見に来て欲しいって。でもまぁ……まさか、こんな特異的な女性だとは思わなかったな」
「特異的……?」
先程から意味深な聖人の言葉に、華蓮も思わず手を止めて倫子を見つめた。
全員から注目を集めた倫子は、当然だが意味がわからず、更に困惑した表情になる。
「ケッカちゃんに華蓮ちゃん、2人してそんなに怖い目で見ると、倫子ちゃんが可哀想だよ」
「伊達先生が変なこと言い出すけんやろ!? 特異的って、一体どういうことなん?」
ユカの言葉に、聖人は改めて倫子を正面から見つめて、その理由を告げた。
「彼女は恐らく、普通の人よりずっと『痕』の注目を集めてしまう特異体質……なんじゃないかな」
里穂は良い子です。(断言)
そして、遂に外へ出てきた伊達先生……は、さておき、今回の話で一番書きたかったのは、政宗の決断力なんです。戻ってすぐに現状をある程度把握して、普通ならば倫子の対応を最優先するところですが、そうではなくて一瞬で統治を選ぶ決断力。これはユカを完全に信頼していること、そして、ここで統治が使い物にならなくなったら『仙台支局』がガチで傾くので、早めに対処しておこうと思ったことなどがあります。
勿論、統治の友達として心配していることは否定しませんが……ユカ、政宗、統治の3人は、誰か1人が倒れそうになると、残り2人は無言で全力フォローするみたいな関係であってほしいなぁと思ったんですよね。




