第九話 無気力令嬢、誘拐される
――カタン。
深夜。
レイの部屋の窓が、ほんの少しだけ開いた。
月明かりが差し込む。
「……」
レイは眠っている。
侵入者は音を立てないよう、慎重に部屋へ入った。
「……これが、竜の子」
眠るレイを見下ろす。
思っていたよりも普通の少女だった。
黄金の瞳も、今は閉じられている。
「拍子抜けだな」
男は懐から小さな魔法具を取り出した。
淡い光がレイを包む。
「睡眠魔法だ。しばらく起きない」
そしてレイを抱き上げる。
「騒ぐなよ」
「……ん」
レイが少し身じろぎした。
男が固まる。
「……」
「……重い」
「起きてる!?」
レイが薄く目を開ける。
「どこ行くの?」
「……」
「寝たいんだけど」
「……黙っていろ」
「誘拐?」
「そうだ」
「ふーん」
「怖くないのか?」
「眠い」
「…………」
暗殺者は困惑した。
普通なら泣き叫ぶところだ。
しかしレイは欠伸をすると、再び目を閉じた。
「……好きにしろ」
***
屋敷の外。
用意された馬車へレイを乗せる。
男たちは数人。
全員、魔法による気配遮断を施している。
「これで竜王にも気づかれない」
「本当に?」
レイが馬車の中から口を挟む。
「何だ」
「その魔法」
「……」
「さっきから魔力が漏れてる」
「嘘をつくな」
「じゃあいい」
レイは窓にもたれた。
「眠い」
男は舌打ちする。
「黙っていろ」
馬車が走り出す。
***
一時間後。
ジャンヌ伯爵邸。
「……レイ?」
ヴァルディスが、レイの部屋の前に立っていた。
いつもなら、この時間にはもう眠っている。
しかし。
部屋の中に、レイの気配がない。
「……」
扉を開ける。
ベッドは乱れている。
窓が開いていた。
ヴァルディスの目が細くなる。
「……誰だ」
次の瞬間。
屋敷全体を震わせるほどの魔力が溢れた。
その瞬間竜たちが一斉に空へ飛び立つ。
『竜王様!』
「探せ」
『はい!』
「全ての竜に伝えろ」
ヴァルディスの声が低くなる。
「レイを探せ」
***
その頃。
馬車の中。
「……ここ、どこ?」
レイが窓の外を見る。
「もうすぐ目的地だ」
「どこ?」
「それをお前が知る必要はない」
「そう」
レイは小さく欠伸をした。
「じゃあ寝る」
「……」
しばらく沈黙。
「なあ」
「ん?」
「本当に怖くないのか?」
「怖い?」
「殺されるかもしれないんだぞ」
「そうなの?」
「……」
「私、死ぬの?」
「その予定だ」
「……面倒」
「そこじゃないだろ!」
思わず声を荒らげる男。
レイは少しだけ目を開けた。
「怒らないで」
「……」
「眠いから」
「……お前、本当に何なんだ」
***
さらにしばらくして。
馬車が止まった。
「着いたぞ」
連れてこられたのは、山奥の古い建物。
レイは男たちに囲まれながら中へ入る。
「ここで竜王を待つ」
「竜王を?」
「お前を探して必ず来る」
「そう」
「竜王が来たところで、お前を殺す」
「……」
レイは周囲を見る。
床。
壁。
天井。
魔法陣。
そして、自分を拘束している魔道具。
「これ」
「何だ」
「古い」
「……」
「十年以上前の術式」
「だから何だ」
「効率悪い」
レイが魔道具に触れる。
――パキン。
拘束具が外れた。
「……」
「…………」
男たちが固まる。
「お前……」
「これ、魔力流しすぎ」
「動くな!」
一人が剣を抜いた。
レイはその剣を見る。
「それも古い」
「黙れ!」
振り下ろされる剣。
レイは避けない。
ただ、指先を向ける。
――パキン。
剣が根元から折れた。
「…………」
男の顔から血の気が引く。
「……な、何をした」
「壊した」
「どうやって……」
「魔力を流しただけ」
レイは首を傾げる。
「これ、魔剣でしょ?」
「……」
誰も答えない。
レイは周囲を見回す。
「あと」
「……?」
「この結界」
壁に張られた魔法陣を指差す。
「穴があるよ」
「そんなはず――」
レイが指を動かす。
魔法陣が一瞬で消えた。
「……」
完全な沈黙。
一人の男が後ずさる。
「……化け物」
レイは少しだけ眉を寄せた。
「人間だよ」
男たちは顔を見合わせる。
そして。
「……帰そう」
「え?」
「こいつ、竜王より怖い」
「聞こえてるよ」
***
その頃。
空を飛ぶ巨大な黒竜。
周囲には数え切れないほどの竜たちがいる。
「……見つけた」
一匹の竜が鳴く。
『竜王様! 北東です!』
「分かった」
ヴァルディスの瞳が黄金に輝く。
「レイ」
低い声。
「今、迎えに行くよ」
***
古い建物。
レイは椅子に座っていた。
目の前には、完全に怯えた暗殺者たち。
「……」
「……」
「……」
レイが欠伸をする。
「帰りたい」
「もうすぐ竜王が来るはずです!」
「うん」
「だから、その……」
「何?」
「俺たちも一緒に逃げていいですか?」
「知らない」
「ですよね……」
その瞬間。
――ズドォォォン!!
建物の屋根が吹き飛んだ。
巨大な黒い竜が月明かりの中へ姿を現す。
黄金の瞳。
圧倒的な魔力。
竜王、ヴァルディス。
『レイ――!!』
「ヴァルディス」
レイが立ち上がる。
「迎えに来た」
ヴァルディスは竜の姿のまま、鋭い牙を見せる。
暗殺者たちは震え上がった。
「……終わった」
レイはそんな彼らを見て、小さく首を傾げる。
「ねえ」
「……はい」
「もう帰っていい?」
「どうぞ!!」
こうして。
レイの誘拐事件は――
犯人たちが一番怯えるという、予想外の結末を迎えた。
しかし。
ヴァルディスがレイを抱き上げた、その瞬間。
遠く離れた場所で、一人の男が静かに笑っていた。
「……そうか」
レオンハルト。
彼の手には、一枚の報告書。
「竜王は、やはり彼女を選んだ」
そして。
「ならば、次で終わらせよう」
月明かりの下。
彼は静かに呟いた。
「――竜の子を殺す」




