十六年前の暗殺
翌朝。
「……眠い」
レイは朝食の席で、ぼんやりとパンを眺めていた。
「昨日は早く寝ただろう?」
ルシアンが言う。
「寝た」
「なら、どうしてそんなに眠そうなんだ」
「寝たから」
「……どういう理屈だ?」
レイは答えず、パンを一口かじった。
その向かいでは、父アルベルトが黙って紅茶を飲んでいる。
昨夜。
父と兄が何を話していたのか、レイは知らない。
そして――特に知ろうとも思っていなかった。
「レイ」
「ん?」
「今日は何か予定はあるか?」
「ない」
「そうか」
「寝る」
「……そうか」
アルベルトは苦笑した。
「お前らしいな」
***
同じ頃。
アルベルトの執務室には、古い書類が積み上げられていた。
「これが十六年前の事件の記録だ」
ルシアンは一枚ずつ目を通していく。
当時、ジャンヌ伯爵家には何度も不審者が近づいていた。
レイが生まれてから、それは明らかに増えた。
そして三歳の誕生日。
屋敷へ複数の暗殺者が侵入。
標的は――レイ。
「……母上は、知っていたんですね」
アルベルトは目を伏せる。
「ああ」
「レイが狙われていることを?」
「おそらくな」
「それでも……」
ルシアンは拳を握った。
「レイを庇った」
「ああ」
短い返事。
それだけで、十六年前の光景が蘇る。
血に染まった妻。
泣き叫ぶ幼い娘。
何もできなかった自分。
「……俺が着いていながら」
「ルシアン」
「俺があの時――」
「ルシアン!」
アルベルトが遮った。
「セシリアが望んでいたのは、誰かを責めることではない」
「俺は、犯人を探します」
ルシアンは資料へ目を落とす。
「母上が命を懸けて守った妹を、二度と狙わせないために」
***
調査を進めると、一つの事実が浮かび上がった。
暗殺者たちの装備。
使用していた刃物。
魔法具。
そして、資金の流れ。
全てが一つの場所へ繋がっていた。
「アルヴェリア……」
ルシアンが呟く。
隣国。
軍事力も経済力も、この大陸では有数の大国。
「だが、これだけでは証拠にならない」
アルベルトが言う。
「分かっています」
「十六年前の事件だ。記録もかなり失われている」
「それでも調べます」
ルシアンは書類をまとめる。
そのとき。
窓の外から、巨大な影が通り過ぎた。
――バサッ。
二人が顔を上げる。
「……竜か」
「珍しいな。こんな時間に」
竜は屋敷の上空を旋回すると、そのまま草原へ向かっていった。
***
草原。
「……もう少し寝かせて」
『レイ様、朝です!』
「まだ朝」
『お昼です!』
「じゃあ昼寝」
『また寝るんですか!?』
巨大な白竜の隣で、レイは横になっていた。
その周りを小さな竜たちが飛び回っている。
少し離れた場所では、ヴァルディスが呆れた顔で見ていた。
「レイ」
「んー?」
「君は本当に寝るのが好きだね」
「好きというか……動くのが面倒」
「竜の子がそんなことでいいのかな」
「竜たちが守ってくれるから大丈夫」
周囲の竜たちが誇らしげに胸を張る。
『もちろんです!』
『レイ様は私たちがお守りします!』
「ほら」
「……君、本当に竜たちを使うのが上手くなったね」
ヴァルディスは苦笑した。
そのとき。
一匹の緑竜が空から降りてきた。
『竜王様』
「どうした?」
『怪しい人間が、この辺りを見ていました』
ヴァルディスの表情が変わる。
「人間?」
『はい。屋敷の方向を何度も確認していました』
「……」
レイは白竜の横で欠伸をする。
「どうしたの?」
「いや」
ヴァルディスは笑顔を作った。
「何でもないよ」
「そう」
レイは再び目を閉じた。
「なら寝る」
「……うん」
ヴァルディスは空を見上げる。
その目から、いつもの柔らかな光が消えていた。
「誰だろうね」
***
その夜。
アルヴェリア王宮。
「竜王が気づいたようです」
報告を受けたレオンハルトは、窓辺で静かに笑った。
「さすがだね」
「計画を中止しますか?」
「まさか」
レオンハルトは振り返る。
「竜王のそばにいる限り、彼女には手が出せない」
「では――」
「竜王を、彼女から離せばいい」
机の上に、ジャンヌ伯爵領の地図が広げられる。
「レイ・ジャンヌは、屋敷からほとんど出ない」
「はい」
「なら簡単だ」
レオンハルトは地図の一点を指した。
「屋敷の外へ誘い出す必要すらない」
「……まさか」
侍従が息を呑む。
「竜王は必ず追ってくるでしょう」
「だからこそ」
レオンハルトは笑った。
「追いつけない場所まで連れていけばいい」
そして。
「竜王が気づいた時には、もう遅い」
***
深夜。
誰もが眠るジャンヌ伯爵邸。
レイもまた、何も知らず眠っていた。
窓の外。
月明かりの中に、人影が一つ。
静かに屋敷へ近づいていく。
そして――
レイの部屋の窓へ、黒い手が伸びた。




