第四話 花祭りと、迷子の令嬢
「レイ、街へ行こう」
「嫌」
即答だった。
昼下がり。
レイはいつものように窓辺で本を眺めていた。
読んでいるわけではない。
開いたページを眺めながら、ぼんやりしているだけだ。
そこへ突然、窓から黒い髪が見えた。
「……」
レイは本を閉じた。
「なんで窓から入ってくるの」
「迎えに来たから」
「普通は玄関から来るものじゃない?」
「竜王だからね」
「竜王関係ある?」
「ある」
ヴァルディスは堂々と言い切った。
「今日は街で花祭りがある」
「花祭り?」
「竜に感謝を捧げる祭りだよ」
「……へえ」
「行こう」
「嫌」
「なぜ?」
「人が多い」
「昨日よりは少ない」
「......」
「街の人間は君を歓迎してくれる」
「……」
レイは少し考えた。
花。
祭り。
竜。
そして――
「……お母さま」
ぽつりと呟く。
母がまだ生きていた頃。
幼いレイは、母に手を引かれて花祭りに行った記憶がある
色とりどりの花。
屋台。
空を飛ぶ竜。
母の手の温かさ。
ぼんやりとした記憶だった。
「……行く」
「本当かい!?」
「花、見たい」
「もちろん!」
ヴァルディスの顔が一気に明るくなる。
「では、僕が最高の一日を――」
「目立たない格好で」
「僕はどんな格好でも目立つからね」
「自分で言うんだ……」
***
街は花で溢れていた。
道の両側に花が飾られ、家々の窓にも花籠が吊るされている。
人々は色鮮やかな衣装を身に纏い、広場では子供たちが花冠を作っていた。
空には小さな竜たちが飛び交っている。
「竜祭りは、何百年も前から続いているんだ」
ヴァルディスが説明する。
「人間が竜に感謝を伝える日なんだよ」
「竜は何かしてるの?」
「見守っている」
「それだけ?」
「それが一番大事なんだ」
「へえ」
レイは花を眺めながら歩いた。
すると。
「まあ……!」
「レイ様だ!」
「竜の子様!」
街の人々が気づき始める。
けれど、誰も騒ぎ立てることはなかった。
「お誕生日おめでとうございます!」
「綺麗なドレスね!」
「竜王様もご一緒なの?」
「今日は良い日になりそうだ!」
レイは少し驚いた。
「……みんな優しいね」
「当然だろう?」
ヴァルディスが得意そうに胸を張る。
「君は竜の子だからね」
「ヴァルディスは?」
「僕?」
「竜王なのに、みんな普通に話しかけてくる」
「僕は民に愛されているから」
「自分で言うんだ……」
「事実だからね」
ヴァルディスは笑った。
レイも小さく笑う。
久しぶりに来た街。
昔は母と歩いた道。
記憶の中ではもっと大きく見えた場所が、今では少し小さく感じる。
それでも。
花の香りも。
賑やかな声も。
空を飛ぶ竜も。
どこか懐かしかった。
「……あ」
レイの視線が、一軒の店へ向く。
色とりどりの花を使った髪飾りが並んでいた。
「綺麗」
「買おうか?」
「見るだけ」
「遠慮しなくていいよ」
「本当に見るだけ」
「……」
ヴァルディスは店主と話し始めた。
ほんの少し。
レイから目を離した。
そして。
「……あっちにもある」
レイは花飾りを眺めながら、ふらふら歩き出した。
少しだけ。
もう少しだけ。
気づけば。
「……あれ?」
ヴァルディスの姿が見えなくなっていた。
「……」
レイは辺りを見回した。
「……まあ、いいか」
戻ればいい。
そう思った。
しかし。
「……どっちだっけ」
レイは迷子になった。
***
「……どこだ」
ヴァルディスは人混みの中を探し回っていた。
「レイ?」
姿がない。
気配も遠い。
「……まさか」
竜王の顔から笑みが消える。
その頃。
レイは知らない路地に入り込んでいた。
「……迷った」
困った。
とはいえ、そこまで焦ってはいない。
どうせヴァルディスか護衛が見つけてくれる。
最悪、恥ずかしいけれど家路を人に聞こう
そんなことを考えていたとき。
「君、一人?」
声をかけられた。
振り返る。
一人の青年が立っていた。
明るい茶色の髪。
整った顔立ち。
少し垂れた目元には、どこか人懐っこい笑みが浮かんでいる。
服装は貴族らしいが、装飾は控えめだった。
「……うん」
「迷子?」
「たぶん」
「たぶん?」
「竜王を探してる」
「竜王?」
青年は目を丸くした。
そしてすぐに笑った。
「それはまた、すごい人を探してるね」
「うん」
「君、名前は?」
「レイ」
「レイか」
青年は少し考えてから言った。
「僕はリオ」
「リオ」
「そう。今日はただの旅行者」
もちろん、嘘だった。
彼は隣国の王子。
国では決して見せない軽い笑顔を浮かべながら、身分を隠して街へ来ていた。
「竜王を探してるなら、僕が一緒に探してあげるよ」
「いいの?」
「もちろん」
リオはレイの隣に並んだ。
「それに――」
彼はレイの黄金の瞳を見つめる。
「君、すごく綺麗だからね」
「……そう?」
「うん」
「ありがとう」
あまりにもあっさり返され、リオは少し笑った。
「君って、面白いね」
「そうかな」
「うん」
歩きながら、リオは自然な距離でレイの隣を歩く。
時折、人混みから守るように手を添える。
そのたびに。
「……」
少し離れた場所から、こちらを見つけたヴァルディスの眉がぴくりと動いた。
「……誰だ?」
レイの隣にいる青年。
距離が近い。
妙に近い。
しかもレイに笑いかけている。
「……」
ヴァルディスは無言で近づいた。
「レイ」
「あ、ヴァルディス」
レイが顔を上げる。
「探したよ」
「迷子になった」
「知ってる」
ヴァルディスの視線がリオへ向く。
「……君は?」
「リオ。偶然彼女と会ってね。君を探していたから連れてきた」
「そう」
ヴァルディスは笑った。
――笑っているだけだった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
リオも笑う。
二人の間に、妙な空気が流れた。
レイだけが気づいていない。
「じゃあね、レイ」
「うん」
リオは数歩歩いたところで振り返った。
そして、少しだけ悪戯っぽく笑う。
「またすぐ会えるよ、お姫様」
「……?」
レイは首を傾げた。
リオはそのまま人混みの中へ消えていった。
「……」
ヴァルディスは、その背中をじっと見つめていた。
「……気に入らない」
「何が?」
「なんでもない」
ヴァルディスはレイの手を取る。
「帰ろう」
「うん」
「……」
繋いだ手を、少しだけ強く握る。
レイは気にせず、花を眺めていた。
――その頃。
祭りの喧騒から離れた路地で。
リオは一人、足を止めた。
先ほどまでの人懐っこい笑顔は消えている。
手にした花を眺めながら、静かに呟いた。
「……竜の子、か」
そして再び笑う。
「思ったより、ずっと可愛いじゃないか」
その目の奥に、一瞬だけ冷たい光が宿った。
けれど。
次の瞬間には、いつもの軽薄な笑顔に戻っていた。
「さて――そろそろ戻らないと、護衛たちが死ぬほど心配してそうだ」
彼は何事もなかったように、祭りの人混みへ消えていった。




