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第三話 竜の加護、いただきました

 十六歳の誕生日から、数日が経った。


「……またいる」


 朝。


 レイがカーテンを開けると、窓の外に巨大な黒い竜がいた。


 屋敷の庭を埋め尽くすほど大きな身体。


 漆黒の鱗。


 金色の瞳。


 そして――


 庭の真ん中で、丸くなって寝ている。


「……」


 レイは静かにカーテンを閉めた。


「見なかったことにしよう」


「おはよう、レイ」


 背後から声がした。


「…………」


 レイはゆっくり振り返る。


 そこには、長い黒髪を背中へ流した男が立っていた。


「おはよう」


「……いつのまに」


「どうした?」


「なんで私の部屋にいるの?」


「君に会いに来た」


「昨日もいたよね」


「一昨日もいた」


「その前も」


「もちろん」


「……」


 レイはベッドへ戻った。


「帰って」


「嫌だ」


 即答だった。


 男は堂々とレイの向かいに座る。



「改めて自己紹介をしよう」


 男は胸に手を当てた。


「僕の名はヴァルディス・ドラグニア」


「……」


「竜王だ」


「……ああ」


「君が三歳のとき、夢で会っただろう?」


「うん」


「十六歳になったら会おうと約束した」


「うん」


「そして僕は約束を守った」


「うん」


「だから、僕のことをちゃんと覚えてほしい」


「……ヴァル……」


「ヴァルディス」


「……ヴァル……」


「ディス」


「……ヴァルディス」


「そう!」


 ヴァルディスの顔がぱっと明るくなる。


「やっと覚えてくれた!」


「三日間毎朝来るから」


「毎朝でも毎晩でも会いに来るよ」


「……そう」


 レイは欠伸をした。


「眠い」


「僕がいるのに?」


「いるから眠い」


「どういう意味だい?」


 レイは答えなかった。


 もう寝ていた。


「…………」


 竜王はしばらく固まった。


「……寝顔も可愛い」


 そして満足そうに微笑んだ。


 ***


その日の昼。


 レイは庭にいた。


 正確には――連れ出されていた。


「嫌」


「外は気持ちいいよ」


「部屋がいい」


「君は十六年間、ほとんど部屋から出なかっただろう?」


「快適だから」


 レイはベンチに座ったまま動こうとしない。


「行こうか」


「どこへ?」


「草原」


「……」


「紹介したい奴らがいるんだ」


「……?」



 ***


 ジャンヌ伯爵家から少し離れた場所。


 そこには、ドラグニアでも有名な広大な草原が広がっている。


 人間が普段立ち入ることはほとんどない。


 なぜなら――


「……竜、多い」


 レイの目の前には、地平線まで続く草原。


 そして、その上空を埋め尽くす竜たち。


 翼を広げて飛ぶ竜。


 草の上で昼寝する竜。


 互いにじゃれ合う小さな竜。


 まるで竜たちのためだけに存在する世界だった。


「ここは竜のための草原なんだ」


 ヴァルディスが説明する。


「僕の許可なく人間が入ることはできない」


「へえ」


「でも君は別だ」


 ヴァルディスが手を差し出す。


「君は、ここにいるすべての竜にとって家族だからね」


「家族……」


 レイは少しだけ目を細めた。


 すると。


『レイ様ー!』


 遠くから一匹の白竜が駆けてきた。


 そのままレイの前で勢いよく止まる。


『乗って!』


「……乗る?」


『乗ってほしい!』


「いいよ」


 レイが背中に乗る。


 白竜は嬉しそうに翼を広げた。


『飛ぶ!』


「え」


 次の瞬間。


「わっ」


 身体がふわりと浮いた。


 白竜が空へ舞い上がる。


 レイの銀白色の髪が風になびく。


「……!」


 怖がるどころか、レイは目を輝かせた。


 眼下には、一面の草原。


 その上を飛び回る竜たち。


 空には青い空と白い雲。


「……綺麗」


 レイが呟く。


 白竜の後から竜の姿のヴァルディスが叫んだ。


「レイー!」


「?」


「楽しそうだね!」


「うん!」


「僕が乗せるよ!」


「この子でいい」


「…………」


 ヴァルディスが固まった。


「僕が竜王なんだけど」


 白竜が得意げに鳴いた。


 地上へ戻った後、レイはお礼にと白竜の首を撫でる。


「ありがとう」


『もっと!』


「こう?」


『最高……』


 白竜が幸せそうに目を細める。


 それを見た他の竜たちが一斉に集まってきた。


『次は我!』


『私も!』


『レイ様、こちらへ!』


『背中が空いているぞ!』


「……」


 レイは竜たちに囲まれてしまった。


「……人気者になった気分」


 少しだけ笑う。


 ヴァルディスは、その笑顔を見て静かに微笑んだ。



「ねえ、レイ」


「なに?」


「竜の子について、まだ説明していなかったね」


「聞く」


「珍しい」


「竜のことはちょっと興味ある」


「僕の話には?」


「眠くなる」


「……」


 ヴァルディスは少し傷ついた。


 それでも説明を始める。


「竜の子は百年に一度しか生まれない」


「うん」


「すべての竜から愛される」


「うん」


「そして竜の子が成人を迎えたとき――」


 ヴァルディスはレイを見つめた。


「竜王から正式な加護を授かる」


「私、なんか変わった?」


 ヴァルディスが微笑む。


「でも、竜たちには分かる」


 周囲の竜たちが一斉にレイを見る。


『レイ様』


『我らの愛し子』


『我らの姫』


「……姫?」


「竜の子は、竜にとって特別な存在だからね」


 ヴァルディスは当然のように言った。


「そして――竜の子は、竜王の伴侶になる」


「……」


「僕と君が結婚するというのは、竜たちにとってごく自然なことなんだ」


「そうなんだ」


「うん」


「でも私は結婚するとは言ってないよ」


「…………」


 ヴァルディスは少し黙った。


 そして。


「これから言わせる」


「何を?」


「結婚したいって」


「めんどくさい」


「僕はめんどくさくないよ」


「そういう問題じゃない」


「……」


 ヴァルディスはため息をついた。


 けれど、その顔には笑みが浮かんでいた。


「まあいい」


「?」


「時間なら、いくらでもあるからね」


 竜王はそう言って、レイの隣へ腰を下ろした。


 レイは空を見上げる。


 青い空。


 その下を飛ぶ竜たち。


 かつては外へ出ることすら面倒だった。


 けれど。


「……悪くないかも」


 小さく呟いた。


「何が?」


「こういうの」


 レイが空を飛ぶ竜を見つめる。


「竜といるの」


 ヴァルディスは嬉しそうに笑った。


 ――これでいい。


 十六年間。


 部屋の中だけで過ごしていた少女。


 何をするにも面倒だと言って、外の世界に興味を持たなかった少女。


 そんな彼女が今、自分の意思で空を見ている。


 竜王としてではなく。


 ただレイを愛する者として。


 ヴァルディスは、それが嬉しかった。


「レイ」


「なに?」


「明日も来よう」


「……うん」


「明後日も」


「うん」


「毎日でも」


「……それはちょっとめんどくさい」


「そこは『うん』でいいだろう!?」


 草原に、竜王の悲痛な叫び声が響いた。


 その上空では、竜達が楽しそうに飛び続けていた。

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