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第二話 竜王様、求婚する

 レイ・ジャンヌが十六歳になった。


 それは、竜の都ドラグニアにとって特別な日だった。


 なにしろ今日は――百年に一度現れる『竜の子』が、正式に竜の加護を受ける日なのだから。


 ただし。


「……人、多すぎない?」


 自室の窓から外を眺めたレイは、げんなりした。


 屋敷の庭には、普段なら見ることのないほど大量の馬車が並んでいる。


 貴族。


 王族関係者。


 魔術師。


 騎士。


 そして、レイと同年代ほどの令嬢や令息。


 全員が、彼女を見るために集まっている。


「お嬢様が十六歳になられたことを祝うためです」


「……そう」


「それと、竜の子であるお嬢様との縁を結びたい方々が……」


「……帰りたい」


「まだ始まってもおりませんよ」


 侍女の言葉を聞き流しながら、レイはベッドに倒れ込んだ。


 ここ十数年。


 レイはほとんど社交界に姿を見せていない。


 父アルベルトには、


『娘は生まれつき身体が弱く、長時間の社交には耐えられない』


 と、徹底して説明してもらっていた。


 実際には――


 ただ面倒だったからである。


 その結果。


 誰もレイの顔を知らない。


 だからこそ。


「一度でいいから、竜の子を見てみたい」


「どれほど美しい令嬢なのかしら」


「婚約者候補として、我が家からも――」


 今日、彼らはこぞって集まってきた。


 そして。


「……着替えるのもめんどくさい」


「お嬢様」


「はい」


「今日は絶対に着替えてください」


「……はい」


 渋々、レイはドレスへ着替えた。


 青。


 夜空を思わせる深い青のドレスに、銀糸の刺繍。


代々ジャンヌ家に受け継がれてきた淡い銀白色の長い髪は丁寧に巻かれている。


 陽の光を受けると、白銀の糸のように輝く。


 透き通るような白い肌。


 そして、黄金の瞳。


 外へほとんど出なかったせいか、その肌は雪のように白かった。


「……お嬢様」


「なに?」


「本当に……お美しいです」


「そう?」


 レイは鏡を見た。


「……眠そう」


「そこではありません」


 侍女は頭を抱えた。


 ***



 会場の扉の前。


 レイは父アルベルト、兄ルシアン、そして母の代わりに面倒を見てもらった侍女たちに囲まれながら、静かに立っていた。


 十六歳の誕生日。


 そして――竜の子として、竜の加護を受ける日。


 扉の向こうからは、大勢の人間の話し声が聞こえてくる。


「……多い」


 レイがぽつりと呟いた。


「何がだ?」


 隣に立つアルベルトが尋ねる。


「人」


「今日はお前の誕生日だからな」


「帰っていい?」


「駄目だ」


 即答だった。


「……お父さま、今日厳しい」


「お前が十年以上まともに社交界へ顔を出していないからだ」


「病弱ってことにしてたじゃん」


「お前自身がそうしろと言ったんだろう」


「そうだった」


 レイは納得したように頷いた。


 その隣では、兄ルシアンが小さく笑っている。


「相変わらずだな、レイ」


「お兄さまは楽しそう」


「妹の晴れ舞台だからな」


「私は帰りたい」


「それも相変わらずだ」


 アルベルトは呆れたように息を吐く。


 それでも、その表情にはどこか嬉しそうな色があった。


 十六歳。


 いつの間にか、あの小さかった娘がここまで成長した。


 やがて会場内から、ざわめきが聞こえた。


 司会を務める男が壇上へ上がる。


 そして、会場に響き渡る声で告げた。


「――皆様、お待たせいたしました!」


 ざわめきが止まる。


「本日の主役――!」


 大きく息を吸い。


「ジャンヌ伯爵家、アルベルト・ジャンヌ伯爵閣下!」


 扉の前に立つアルベルトが一歩前へ出る。


「ご令息、ルシアン・ジャンヌ様!」


 ルシアンも続く。


 そして最後に。


「そして――」


 一拍。


 会場中の視線が扉へ集まった。


「百年に一度、竜より選ばれし『竜の子』!」


 扉がゆっくりと開く。


「レイ・ジャンヌ嬢――!!」


 その声と同時に。


 レイが父と兄と並んで、会場へ足を踏み入れた。


 ――静寂。


 誰もが息を呑んだ。


 

「……あれが、竜の子」


「初めて見た……」


「なんて美しい……」


「本当に十六歳なのか?」


「まるで月の女神……」


 会場のあちこちから囁き声が漏れる。


 これまで社交界にほとんど姿を見せなかった少女。


 『病弱な令嬢』とだけ噂されていた少女。


 その実像を初めて目にした者たちは、言葉を失っていた。


 レイはそんな周囲の反応を気にすることなく、ゆっくりと会場を見回す。


 そして。


 ――人、多い。


 それだけを考えていた。


「レイ」


 アルベルトが小声で呼ぶ。


「笑いなさい」


「……こう?」


 レイがほんの少し口角を上げる。


「そうだ」


 父親としては、それで十分だった。


 しかし。


 周囲の貴族たちは、そうはいかなかった。


「婚約者候補として我が家の――」


「いや、うちの息子を――」


「竜の子と縁を結べれば――」


 すでに会場の一角では、令嬢や令息を連れた貴族たちが動き始めている。


 レイ・ジャンヌ。


 百年に一度の竜の子。


 高い魔力。


 名門伯爵家。


 そして――美貌。


 婚約者候補として、これ以上ないほどの存在だった。


 そんな騒ぎの中。


 レイは小さく欠伸をした。


「……眠い」


「まだ始まったばかりだぞ」


 兄が呆れた声を出す。


「帰りたい」


「まだだ」


「……お父さま」


「駄目だ」


「……お兄さま」


「俺に言っても駄目だ」


 レイは諦めた。



会場へ入ったレイたちを、最初に出迎えたのは国王だった。


「アルベルト。久しいな」


「陛下。お目にかかれて光栄です」


 アルベルトが深く頭を下げる。


 その隣で、レイとルシアンも礼をする。


「よい。今日は堅苦しい挨拶は抜きにしよう」


 国王は穏やかに笑い、レイへ視線を向けた。


「そして……君がレイ嬢だな」


「はい」


 レイは小さく頭を下げる。


「十六歳の誕生日、おめでとう。竜の子が正式に成人を迎える日を、私も楽しみにしていた」


「ありがとうございます」


 国王はしばらくレイを見つめた。


 噂には聞いていた。


 百年に一度現れる竜の子。


 黄金の瞳を持つ、ジャンヌ家の令嬢。


 しかし――


 実際に目にすると、その美しさは想像以上だった。


 

「……なるほど」


 国王が感嘆したように呟く。


「確かに、竜に愛される子だ」



 そのときだった。


「――あの方は、どなた?」


 会場の奥から声が上がった。


 人々が一斉に振り返る。


 そこには、一人の男が立っていた。


 長い黒髪。


 漆黒の礼装。


 そして、誰もが息を呑むほど整った顔。


 黄金の瞳。


 男は周囲の視線など気にも留めず、真っ直ぐにレイを見つめていた。


 手には、真紅の薔薇の花束。


 そして――


 ゆっくりと、歩き始める。


 一歩。


 また一歩。


 人々が自然と道を開けていく。


 男は誰にも挨拶をしない。


 国王にも。


 他の貴族にも。


 ただ一人。


 レイだけを目指している。


「……見たことのない方ね」


「どこの家のご令息だ?」


「いや……あの方、貴族なのか?」


 ざわめきが広がる。


 男は周囲の声など一切気にしていなかった。


「……?」


 レイはその男を見つめ、首を傾げた。


 どこかで見たような気がする。


 けれど、思い出せない。


「レイ……」


 男の足が止まる。


 黄金の瞳と、黄金の瞳が重なる。


 一瞬。


 会場の喧騒が遠のいたように感じられた。


 レイは首を傾げる。


 どこかで見たことがある。


 けれど、思い出せない。


「……誰だっけ」


 その呟きが聞こえたのか。


 男は一瞬だけ固まった。


 だが――すぐに満面の笑みを浮かべた。


「僕のことを忘れていたとしても、問題ない」


 そう言って、再びレイへ歩き出す。


「これから嫌というほど覚えてもらうからね」


 その手には――


 いつの間にか用意していた、真紅の薔薇の花束。


 そして彼は、レイの目の前で足を止めた。


「初めまして、レイ」


 そう言った瞬間。


 周囲の空気が、張り詰めた。


 男は微笑んだ。


「僕は――」


「待って」


 レイが遮った。


「……その顔、どこかで見たことある」


 男は嬉しそうに目を細めた。


「当然だよ」


 そして、胸を張る。


「僕は竜王だからね」


「…………」


「…………」


 会場が凍った。


 レイだけが首を傾げている。


「……竜王?」


「そう」


 男――竜王は、当然のように頷いた。


「君が三歳のとき、夢で会っただろう?」


「あー……」


 レイは思い出した。


「なんかいた気がする」


「なんか!?」


竜王の笑顔が一瞬崩れた。


 だが、すぐに立て直す。


 何しろ彼は竜王。


 世界で最も偉大な存在である。


 そして何より――


 レイに嫌われるなど、天地がひっくり返ってもありえないと思っている。


「まあいい」


 竜王は薔薇の花束を差し出した。


「レイ」


「はい」


「僕と結婚してほしい」


「…………」


「…………」


「…………え?」


 会場が爆発した。


「竜王様が求婚なされた!?」


「え、いきなり!?」


「婚約者候補が全員終わった!」


「竜王相手に勝てるわけがない!」


 騒然とする周囲。


 しかし当のレイは。


「……薔薇、重そう」


「そこ!?」


 竜王はめげない。


「君は美しい」


「ありがとう」


「可愛い」


「どうも」


「僕は君を世界で一番愛している」


「そうなんだ」


「僕ほど君を幸せにできる男はいない」


「……」


「つまり、僕を選ぶのが一番合理的だ」


「……お腹すいた」


「聞いてる!?」


 竜王、撃沈。



 ***


会場が自分のことで盛り上がっている最中


 人が多すぎるという理由で、レイはこっそり会場を抜け出していた。


 誰もいない中庭。


「ここ静か

....やっぱり人が多いところは嫌い」


「僕もそう思うよ」


「……?」


 声がして振り返る。


 そこには竜王がいた。


「どうしているの?」


「君を追いかけてきた」


「……そう」


 レイは空を見上げた。


「眠い」


「寝るの?」


「たぶん」


「せっかく二人きりなのに!?」


 竜王は頭を抱えた。


 しかし次の瞬間。


「なら、いいものを見せてあげる」


「?」


 竜王の身体が光に包まれる。


 黒い髪が舞い上がり、人の姿が巨大な影へ変わっていく。


 そこに現れたのは――


 夜空を覆い尽くすほど巨大な黒竜だった。


「……わぁ」


 レイの目が初めて大きく開く。


「乗って」


 竜王が翼を広げる。


「空を飛ぼう」


「うん」


 レイが背中に乗った瞬間。


 黒竜は夜空へ舞い上がった。


 風が頬を撫でる。


 眼下には、光り輝くドラグニアの街。


 そして頭上には――


 巨大な月。


 無数の星。


「……綺麗」


 レイが呟いた。


 竜王は嬉しそうに笑った。


『あれが竜の谷』


「うん」


『その先にあるのが古代竜の森だ』


「うん」


『そしてあの星は――』


「…………」


『レイ?』


「……綺麗」


『聞いてる?』


「月、大きいね」


『……』


 竜王は黙った。


 だが、すぐに説明を再開する。


『竜の子が生まれた夜には、必ず月が――』


「ねむ……」


『寝ないで!!』


 竜王の悲痛な叫びが夜空に響いた。


 それでもレイは、竜王の背中から落ちないように身体を預けながら、ただ星空を眺めていた。


 やがて竜王は、レイの部屋のベランダへ静かに降り立った。


 人の姿へ戻る。


「今日は楽しかった?」


「うん」


「よかった」


 竜王は満足そうに微笑んだ。


 そして、レイの顔を覗き込む。


「だから僕が君を愛す理由がわかった?」


「……」


 レイは少し考えた。


「ごめん、聞いてなかった」


「…………」


 竜王は空を仰いだ。


「僕、竜王なんだけどな……」


 こうして。


 竜王の必死のアピールは――


 今日も、レイにはほとんど届かなかった。

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