第1話「転生したら、伯爵令嬢でした」
はじめまして、無色灰です。
素人ですが、小説を投稿してみます。
温かい目でお見守りいただけますと幸いです。
――ああ、めんどくさい。
それが、死ぬ間際に思ったことだった。
十八歳。
特別な夢があったわけでもない。
友達は少ない。もちろん恋人なんて一度もできたことなんてない。
誘われた飲み会にも「人が多いから」という理由で断る。
何をするにも面倒くさい。
早く楽になりたい。
そんな人生だった。
だから、突然目の前が真っ白になったときも、
――やっと楽になれる。
なんて考えながら、意識を手放した。
――そして、同じ頃。
竜の都ドラグニア。
その中心にほど近い場所に建つ、ジャンヌ伯爵家の屋敷では、慌ただしく人々が行き交っていた。
その中でも一際落ち着かない様子で、ひとりの男が扉の前を行ったり来たりしていた。
ジャンヌ伯爵、アルベルト・ジャンヌ。
普段は冷静沈着で知られる男だが、今ばかりはその面影もない。
「セシリア……」
固く閉ざされた扉の向こうから、妻の苦しげな声が聞こえる。
アルベルトは何度も扉へ視線を向けた。
その隣では、幼い少年が不安そうに母のいる部屋を見つめている。
「父上……母上は、大丈夫なのですか?」
「ああ。大丈夫だ」
そう答えながらも、アルベルトの声にはわずかな震えがあった。
そして――
「おぎゃあ……!」
屋敷中に、元気な産声が響き渡った。
アルベルトが目を見開く。
「……!」
しばらくして扉が開き、産婆が満面の笑みを浮かべて姿を現した。
「おめでとうございます、旦那様」
その言葉に、アルベルトは息を呑んだ。
「……無事なのか?」
「はい。母子ともにご無事です」
その瞬間、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
アルベルトは大きく息を吐き、震える手で顔を覆った。
「そうか……」
そして、すぐに妻と娘のもとへ駆け込んだ。
天蓋付きの大きな寝台。
そこには、疲れ切った顔をしながらも、幸せそうに微笑むセシリアがいた。
その腕の中には、小さな赤ん坊。
「あなた……」
「セシリア」
アルベルトは妻の手を握り、その腕の中を覗き込む。
「女の子よ」
「ああ……」
小さな身体。
小さな手。
まだ何も知らない無垢な顔。
アルベルトは愛おしそうに娘の頬へ指を伸ばした。
――その瞬間。
「……っ」
アルベルトの動きが止まった。
赤ん坊がゆっくりと目を開いたのだ。
そして、その瞳を見た瞬間。
部屋にいた者たちは、誰ひとりとして声を出せなくなった。
金色。
まるで麦畑を閉じ込めたような、美しい黄金色の瞳。
「……金色の瞳……」
産婆が呆然と呟く。
セシリアもまた、その瞳を見つめていた。
驚きはあった。
けれど、それ以上に嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
「あなた……この子は……」
「ああ」
アルベルトは娘を見つめたまま、静かに答えた。
「間違いない」
ジャンヌ家には、古くから伝わる伝承があった。
百年に一度。
すべての竜から愛される特別な子が、この家に生まれる。
竜王と同じ黄金の瞳を持つ――
『竜の子』。
「……百年ぶりだ」
アルベルトの声が震える。
セシリアは小さな娘の頬を優しく撫でた。
「レイ……」
その名を呼ばれた赤ん坊は、小さく瞬きをする。
「あなたの名前は、レイよ」
セシリアは微笑んだ。
「レイ・ジャンヌ」
その瞬間。
遠く離れた山々から、低く響く咆哮が聞こえた。
――グルルルル……。
屋敷の窓が、かすかに震える。
誰もが顔を見合わせた。
そして空の彼方。
ドラグニアを覆う雲の向こうから、一匹の巨大な竜が姿を現した。
それを皮切りに、次々と竜たちが空へ舞い上がる。
まるで、生まれたばかりの小さな少女を祝福するかのように。
その日。
百年に一度の『竜の子』――
レイ・ジャンヌが、この世界に生まれた。
その日から三年。
レイ・ジャンヌは、すくすくと成長していた。
「お嬢様、今日はお誕生日ですからね。皆様が楽しみにしておりますよ」
「ほんと?」
「ええ。旦那様も坊ちゃまも、朝からそわそわしておられました」
「ふふっ」
三歳になったレイは、鏡の前でくるりと回った。
淡い色のドレス。
髪には小さなリボン。
そして、鏡に映る金色の瞳。
生まれたときから変わらない、竜王と同じ色。
けれど、本人はそんなことなど気にもしていなかった。
「お母さま、見て!」
「まあ、レイ。とっても可愛いわ」
母セシリアは嬉しそうに娘を抱き上げた。
「今日はレイの三歳のお誕生日ですもの。いっぱい楽しみましょうね」
「うん!」
レイは笑った。
やがて屋敷には多くの客が集まり、誕生日パーティーが始まった。
音楽が流れ、料理が並び、大人たちが談笑する。
レイは兄のルシアンに手を引かれながら、庭を駆け回っていた。
「レイ、走ると転ぶぞ」
「お兄さま、こっち!」
「まったく……」
呆れたように言いながらも、ルシアンは妹を追いかける。
父アルベルトも、貴族達へ挨拶の合間を縫って娘の姿を眺めていた。
母セシリアは、そんな家族を見ながら幸せそうに笑っている。
――何もかもが、幸せだった。
その瞬間までは。
ガシャァン!!
突然、窓ガラスが砕け散った。
「――なに!?」
黒い影が屋敷へ侵入する。
悲鳴が上がった。
「レイ!」
父の叫び声。
だが、暗殺者の狙いは明確だった。
黄金の瞳を持つ少女。
百年に一度生まれる『竜の子』。
レイ・ジャンヌ。
「……っ」
迫る刃。
幼いレイには何が起きているのか理解できない。
ただ怖くて、その場に立ち尽くしていた。
次の瞬間――
「レイ!」
母が飛び込んできた。
小さな身体を抱きしめる。
そして。
深々と、刃が母の身体へ突き刺さった。
「…………え?」
レイの頬に、赤い雫が落ちる。
「お母……さま?」
セシリアは何かを言おうとした。
けれど、声にはならなかった。
その身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
「お母さま……?」
レイは母の身体を抱きしめた。
「起きて……?」
返事はない。
「ねえ……お母さま……」
それでも返事はなかった。
その日。
レイの世界から、大切なものがひとつ消えた。
そして――レイ自身も、その後を追うように意識を失った。
***
真っ暗だった。
どこまでも続く暗闇の中を、レイはひとりで歩いていた。
「……ここ、どこ?」
誰もいない。
何もない。
ただ、どこか懐かしい感覚だけがあった。
そのとき。
頭の中に、ひとつの光景が浮かんだ。
道路。
信号。
迫ってくる車。
――そして、自分。
「……あ」
十八歳。
友達も恋人もいない。
面倒だからという理由で、人付き合いすら避けていた。
何をするにも、
――めんどくさい。
そう思っていた。
「私……死んだんだ」
そして、この世界に生まれた。
レイ・ジャンヌとして。
母に愛され、父に愛され、兄に愛されて。
なのに。
「……お母さま……」
胸が締め付けられる。
涙が溢れた。
そのとき、暗闇の奥から声がした。
『悲しいか?』
「……だれ?」
振り返る。
そこには、巨大な金色の瞳があった。
姿は見えない。
けれど、その瞳だけで分かる。
――竜。
『我は竜王』
「……りゅう、おう?」
『そうだ』
竜王はしばらく黙っていた。
そして、優しい声で言った。
『レイ。お前は、我らに愛されている』
「……わたし、どうなるの?」
『大丈夫だ』
その声には、不思議なほどの確信があった。
『十六になったら、迎えに行く』
「……十六?」
『そのときまで、ゆっくり眠るといい』
「……うん」
この竜王から、想像以上の寵愛を受けることになるとは。
まだ誰も知らない。
***
レイが目を覚ましたのは、それから数日後だった。
母はもういない。
父は悲しみに暮れながらも伯爵としての仕事に追われ、以前のように娘のそばにいることができなくなった。
兄のルシアンは、母を守れなかった自分を責めた。
そして、二度と大切な人を失わないためにと、幼い頃から剣を握るようになった。
やがて彼は、王都の騎士団へ入り――
騎士団長にまで上り詰めることになる。
一方のレイは。
「……今日は、何するの?」
「お嬢様、お勉強のお時間です」
「……めんどくさい」
ぱたん。
レイは机に突っ伏した。
前世の記憶を取り戻した彼女にとって、また人生をやり直すにはどうにも面倒だった。
幸いにも、レイには生まれ持った高い魔力があった。
竜の子だからなのか。
生まれつき魔力の量も質も異常なほど高い。
そして、教えられたことは一度で覚えてしまう。
剣も魔法も、少し見ただけで理解する。
――天才。
周囲はそう呼んだ。
けれど本人は。
「できるなら、別に頑張らなくてもいいよね……」
完全にやる気がなかった。
父は仕事。
兄は稽古。
家族が家を空ける時間は増えていった。
レイのそばにいるのは、いつも侍女。
それでも、レイは不満を口にしなかった。
窓辺に座り、ぼんやり外を眺める。
「……平和だなぁ」
母がいない寂しさは消えない。
けれど、騒がしいことも、面倒なことも嫌だった。
「もう、何もしないで生きよう……」
こうして。
竜から愛される『竜の子』は――
世界でも類を見ないほどの無気力令嬢へと成長していった。




