第97話 大きなお鍋を、囲んで
地の底での暮らしが始まって、数日。
私たちの新しい毎日は、驚くほど穏やかだった。
朝、窓の外に、気持ちのいい青空を映して起きる。かまどに火を入れて、あたたかい朝ごはんを作る。ティルと、ヒノと、「いただきます」。……なんてことのない、あたたかい日々。前世の私が、いちばん憧れていた暮らしが、ここにあった。
でも、その日。私は、ふと、昔のことを思い出していた。
◇
きっかけは、大きなお鍋だった。
その日、私は、たくさんの食材を使って、大きな鍋を仕込んでいた。深層で採れた極上のお肉。地底きのこ。発酵調味料。……とびきりのごちそうを、大鍋いっぱいに。
ことこと、と煮えるその大鍋を見ていて、私は、ふと手を止めた。
……昔、私は、この鍋を、一人で食べていた。
この世界に来たばかりの頃。ギルドの隅っこで。誰にも期待されず、誰にも必要とされず。私は、たった一人で、鍋の底に残った最後の一杯を、自分の器によそっていた。
「……いただきます」。
誰も聞いていない、小さな声で。一人きりの食卓。それが、あの頃の私だった。
◇
思えば、前世でもそうだった。
深夜のオフィス。非常階段。冷えたコンビニのおにぎりを、片手でかき込む。「いただきます」なんて、言う相手もいない。ただ、燃料を補給するだけの、孤独な食事。
私の食卓は、ずっと一人だった。冷たくて、味のしない、一人きりの食卓。
……それが、いちばん寂しかった。お腹が空いているより、あたたかいものを、あたたかいうちに一緒に食べる相手がいないことが。いちばん、心を冷やした。
だから、私は、料理人になったのだ。せめて、自分で、あたたかいものを作ろう、と。……でも、作っても、それを一緒に食べる相手がいなければ、やっぱり、その食卓は、寂しいままだった。
「レン? ……どうしたの。おなべ、みてて、うごかない」
ティルの声で、私は、はっと我に返った。
「あ……ごめん。ちょっと、昔のこと、思い出してた」
◇
「むかしのこと?」
ティルが、こてん、と首をかしげる。
「うん。……私、この世界に来たばかりの頃はね、この鍋を、いつも一人で食べてたんだ。誰も一緒にいなくて。ただ一人で、『いただきます』って呟いて」
その言葉に、ティルは、少し悲しそうな顔をした。
「……さみしい」
「うん。……寂しかった。すごく。……でもね、ティル」
私は、その大鍋を、ゆっくりとかき混ぜながら続けた。
「今は違うの。……見て。この鍋。……今日は、一人で食べるんじゃない。あなたと、ヒノと。三人(二人と一匹)で、囲むの」
ティルの顔が、ぱあっと明るくなった。
「うん! みんなで、たべる!」
ヒノも、そうだそうだ、と言うように、ぐるる、と鳴いた。
◇
その夜。
私たちは、その大きな鍋を、あたたかい我が家の食卓に据えた。
湯気が、もうもうと立ちのぼる。あたたかくて、いい匂いが、我が家いっぱいに満ちていく。窓の外には、私が選んだ、満点の星空。窓辺には、光る白い花。……そして、大きな鍋を囲む、三人(二人と一匹)。
「いただきます」
二人と一匹の声が、あたたかく重なった。
そのいくつもの声が重なった瞬間、私は、また、胸がじんと熱くなった。
……同じ鍋なのに。
あの頃、一人で食べていた、寂しい鍋と。今、みんなで囲む、この鍋は。同じ鍋のはずなのに。まるで、別の食べ物みたいに、あたたかい。
一人で食べる一杯より、みんなで囲む食卓のほうが、ずっと、ずっと美味しい。……それを、私は、この地の底で、あらためて噛みしめていた。
その夜も、私たちは、あたたかい鍋を囲んだ。




