第95話 西の街道を、ゆっくりと
西門を、くぐった。
みんなの「いってらっしゃい」の声を背中に受けて、私とティルとヒノは、街をあとにした。
振り返れば、まだ、広場の人たちが手を振っている。夕日に染まった、あたたかい街。……この景色を、私は、もう一度、目に焼き付けた。
でも――ここからが、作戦の本番だった。
ここには、まだ、見張る目がある。帝国の密偵の目だ。私が本当に、遠くへ旅立つのか。それを確かめようと、どこかで、じっと見ている。……だから私は、演じきらなければならない。「遠くの街へ旅立つ聖女」を。堂々と。
◇
街道を、私は、ゆっくりと歩いた。
西の空へ向かって、まっすぐに。旅人らしく、荷物を背負って。時々、名残惜しそうに、街を振り返りながら。……いかにも、「これから、遠い旅に出る」という、ふうに。
ティルが、私の隣で、そっと囁いた。
「レン。……みてる。あの、こわい、におい。……とおくから、ついてきてる」
やっぱり、か。ティルの鋭い鼻は、ごまかせない。帝国の密偵が、私たちを尾けている。私が本当に、街を離れるのか、見届けるために。
「うん。……気づかないふり、しててね。私たちは、ただの、旅立つ親子。……それを、演じきるよ」
「うん」
私は、あくまで自然に、歩き続けた。ヒノの背中に、荷物をたくさん乗せて。まるで、長旅の支度みたいに。ティルは、時々、「レン、つかれた?」なんて、無邪気に話しかける。……その、なんてことない光景が、いちばんの芝居になる。
◇
しばらく歩いて。街が、小さく見えるくらいの、丘の上に着いた。
私は、そこで一度、足を止めて、街のほうを振り返った。
夕日の中に、小さく佇む、あたたかい街。あそこに、ジオじいさんが、女将さんが、ガーゴさんが、ネルさんが、いる。……この“旅立ちの芝居”を、みんなが支えてくれている。
私は、街に向かって、深々と頭を下げた。
……いってきます。そして、ありがとう。
声には、出さなかった。でも、心の中で、そう呟いた。……この芝居がうまくいけば、帝国は、私が西へ去ったと信じる。そして、この街には、二度と用がなくなる。街のみんなは、平穏な日々に戻れる。
そのための芝居だ。だから私は、精一杯、“去っていく聖女”を演じきる。
◇
丘を越えて、街道を、さらに進む。
だんだん、あたりから、人の気配が消えていく。日も、とっぷりと暮れて。街道は、暗く、静かになった。
ティルが、鼻をひくつかせて、それから、小さく言った。
「……レン。あの、におい。……きえた。もう、ついてきてない」
密偵は、途中で引き返したらしい。「聖女は、確かに西へ向かった」と、確認して。……あとは、本国に報告するだけだ。「聖女は、この地方を去った」と。
……作戦は、成功だ。
でも、私は、まだ油断しなかった。もう少し進んで、完全に人目がなくなるまで。念のため、しばらく街道を歩き続けた。
やがて、あたりは、完全な闇と静寂に包まれた。街道には、私たち三人(二人と一匹)の足音だけが、響いている。
「……よし。この辺で、いいかな」
私は、立ち止まって、大きく伸びをした。
「はー……つかれた。芝居って、疲れるね」
「レン、じょうずだった。……ほんとに、たびに、でるみたいだった」
「あはは。……でしょ? 前世で鍛えた、“演技力”だよ。理不尽な上司の前で、平気なふり。……こういうとき、役に立つとは、思わなかったけど」




