第93話 みんなの「いただきます」
送り出す会の、当日。
街の広場は、朝から、かつてない賑わいに包まれていた。
「聖女様が、遠くの街へ旅立つ」。その報せは、ガーゴさんの働きで、すっかり街じゅうに広まっていた。だから、みんな、最後に私をひと目見ようと。最後に、私の料理を味わおうと。広場に集まってきてくれたのだ。
私は、移動式かまどをいくつも並べて、朝から腕によりをかけて、料理を作り続けた。ヒノが、火の番を。ティルが、配膳を。この街で覚えた料理の全部を、惜しみなく振る舞った。
琥珀色の出汁のスープ。蕩けるお肉の煮込み。ふっくら蒸した野菜。甘い焼き菓子。……そして、地の底の発酵蔵から出した、とっておきの調味料で作った、深い味の一皿も。
◇
「聖女様! 行っちまうなんて、寂しくなるなあ!」
「体に、気をつけてな!」
「あんたのスープ、忘れないよ!」
広場のあちこちから、あたたかい声が飛んでくる。
みんな、寂しがりながらも、笑顔で私を送り出そうとしてくれていた。……本当は、これは“遠くへ旅立つ”という、嘘の別れ。でも、みんなのこの気持ちは、本物だ。だから私も、精一杯の笑顔と、精一杯の料理で、それに応えたかった。
ジオじいさんが、よろよろと、私のところへやってきた。
「レンちゃん。……達者で、な。わしは、あんたのくれた、あの発酵調味料で、これからも、あったかいもんを食っていくよ」
「はい。……ジオじいさん。ちゃんと食べて、長生きしてくださいね。……私、また会いに来ますから」
嘘じゃない。私は、地の底からこっそり、また、この人に会いに来る。そのつもりだった。だから、この「また会いに来る」は、嘘の別れの中で、たった一つの、本当の言葉だった。
◇
女将さんは、あのあたたかい肩掛けを指さして、笑った。
「その肩掛け、ちゃんと使ってるね。……似合ってるよ、聖女様」
「はい。……女将さんのおかげで、旅もあったかいです」
ガーゴさんは、豪快に笑いながら、私の肩を、どんっ、と叩いた。(今日は、繭を張っていたので、痛くなかった。)
「聖女様! 達者でやれよ! ……西の街でも、うまい飯、作ってやんな!」
わざと、大きな声でそう言う。周りの人に、「聖女様は、西へ行く」と印象づけるために。……この人も、ちゃんと作戦を演じてくれている。不器用だけど、頼もしい共犯者だ。
私は、こっそり、ガーゴさんに目配せをした。ガーゴさんも、にっと笑い返してくれた。
パン屋の男の子が、たくさんの子どもたちと、私のところへ駆けてきた。
「せいじょさま! ぼく、おぼえてるよ。おなかすいてる子に、ごはん、わけるって、やくそく!」
「うん。……ちゃんと、覚えててくれたんだね。ありがとう。……あなたなら、きっとできるよ」
その子は、こくこくと頷いて、それから、少し泣きそうな顔で笑った。
あたたかさは、繋がっていく。……私がいなくなっても、この街には、ちゃんとあたたかさが根付いている。それを、この子たちが繋いでいってくれる。……それが、何より心強かった。
◇
やがて、料理が、広場いっぱいに行き渡った。
誰の手にも、あたたかい湯気の立つ器がある。子どもも、大人も、老人も。冒険者も、商人も、職人も。みんな、私の料理を手に持っている。
そのとき、ジオじいさんが、よろよろと立ち上がって、震える声で、みんなに呼びかけた。
「みなの衆。……聖女様が旅立つ前に、みんなで、感謝を込めて、いただこうじゃないか。……この、あたたかい、聖女様のごちそうを」
広場が、しん、と静まり返った。
みんなが、器を手に取って、両手を合わせる。
私は、その光景を見渡した。……ああ。この街に来た、あの日。私は、たった一人で、ギルドの隅っこで、スープを煮ていた。誰にも期待されず、誰にも必要とされず。
それが、今は。
広場いっぱいの人が、私の料理を手に持って、私に感謝を込めて、「いただきます」を言おうとしている。
――その瞬間を、私は、きっと一生、忘れない。




