第84話 ティルが、泣き止むまで
こうして、数日かけて。地の底の我が家は、少しずつ、形になっていった。
あたたかい壁。あたたかい床。立派なかまど。大きな食卓。好きな景色の窓。発酵蔵。お風呂。……街の箱庭にあったものが、ぜんぶ、ここに揃った。いや、それ以上に、広くて、あたたかい。
そして――完成した、その日の夜。
私たちは、出来上がったばかりの我が家で、お祝いの夕食を囲むことにした。
深層で採れた、とびきりの食材で。腕によりをかけたごちそうを、たくさん作った。かまどからは、あたたかい湯気。窓の外には、私が選んだ、満点の星空。
「いただきます」
二人と一匹の声が、あたたかい我が家に響いた。
◇
ひとしきり食べて。ふと気づくと、ティルが、料理を口に運ぶ手を止めて、じっと部屋を見回していた。
あたたかい壁を。自分の鱗が支える、あたたかい床を。ずらりと並んだ、たくさんの椅子を。窓の外の、星空を。
その金色の目から、ぽろり、と涙がこぼれた。
「ティル? ……どうしたの。どこか、痛い?」
私が慌てて聞くと、ティルは、首を横に振って。それから、ぐしぐし、と涙を拭いながら言った。
「……ちがう。いたく、ない。……うれしくて」
「うれしくて?」
「うん。……ぼく、ずっと。おうちが、なかった。さとでも、すみっこで。だれの、ものでも、ない、ばしょで、ねてた。『おまえの、いばしょなんて、ない』って、いわれて」
ティルは、しゃくりあげながら続けた。
「でも、いま。ぼくに、おうちが、ある。ぼくの、うろこが、ゆかになってる。ぼくの、いす、ちゃんと、ある。……ぼくの、いばしょが、ここに、ある」
その言葉に、私は、胸がいっぱいになった。
……この子にとって、“家”というのは、ただの建物じゃないのだ。「あなたは、ここにいていい」という証。「あなたの居場所は、ちゃんとある」という、あたたかい約束。
里でずっと「お前の居場所はない」と言われ続けたこの子が。今、生まれて初めて、“自分の家”を手に入れた。
「うん。……ここは、あなたのお家だよ。ティル。あなたと、私と、ヒノの。……誰にも文句を言われない。誰にも追い出されない。私たちだけの、あたたかいお家」
私は、ティルの頭をそっと撫でた。
「これからは、ここに『ただいま』って帰ってこよう。何があっても。ここが、あなたの帰る場所だから」
「……ただいま」
ティルが、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ぽつりとその言葉を口にした。まるで、練習するみたいに。
「うん。……おかえり、ティル」
私がそう返すと、ティルは、とうとう、声をあげて泣いた。あたたかい、嬉しい涙で。
ヒノも、そっとティルに寄り添って、あたたかい体で、包み込むように丸くなった。
◇
その夜。ティルが、泣き疲れて眠ったあと。
私は一人、あたたかい我が家を見回していた。
……ずいぶん、遠くまで来たものだ。
最初は、路地裏に座り込んでいた。前世で擦り切れて、味のしない飯を、一人でかき込んでいた。誰にも必要とされず。どこにも居場所がなくて。
それが今は、こんなにあたたかい家がある。ティルがいて、ヒノがいて。たくさんの椅子があって。……街のみんなとも、繋がっている。
地の底の、いちばん深いところ。世界でいちばん危険な場所。でも、この扉の中は、世界でいちばん、あたたかくて、安全な我が家だった。
「……いい家に、なったなあ」
私は、ぽつりと呟いた。
どこにいても、あたたかいごはんさえあれば、そこは“帰れる場所”になる。それが、私のいちばん大事な力だ。……でも、今日、わかった。ただの“帰れる場所”じゃない。ここは、ティルにとって、生まれて初めての“居場所”なのだ。
それを、この手で作れた。……料理人として、いや、家族として。これ以上、嬉しいことはなかった。
窓の外の星空を見上げる。本物じゃない、私が選んだ星空。でも、そのあたたかい光は、確かに、この家を優しく照らしていた。
あとは、この家に、もう少し彩りを足そう。地の底に花を育てて、畑を作って。……もっと、もっと、あたたかい暮らしにしていこう。
私はそう思いながら、眠るティルとヒノに、そっと毛布をかけ直した。
――地の底の、あたたかい我が家。私たちの新しい暮らしは、もう、すぐそこまで、始まろうとしていた。
泣いていいんだよ、と。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




