第81話 みんなに、お別れを言って回る
旅立ちの日取りが、決まった。送り出す会まで、あと数日。
その準備を進める合間に、私は、贈り物を抱えて街を回った。お世話になった人たちに、一人ずつ、ちゃんとお別れを言うために。
もちろん、みんなには「遠くの街へ旅立つ」と伝えることになっている。本当の行き先を知るのは、ネルさんとガーゴさんだけ。だから、この別れは、街のみんなにとっては“本物の別れ”だ。……そう思うと、胸の奥がきゅっと痛んだ。
でも、うつむいてはいなかった。笑って、ありがとうを伝える。それが、私の決めた別れ方だった。
◇
最初に訪ねたのは、ジオじいさんの家だった。
小さな、古い一軒家。戸を叩くと、じいさんは、いつものようにしわしわの笑顔で迎えてくれた。
「おや、レンちゃん。どうしたね、こんな朝から」
「ジオじいさん。……ちょっと、大事なお話が」
私が少しあらたまって言うと、じいさんは、何かを察したように、そっと目を細めた。長く生きてきた人は、こういうとき、勘がいい。
「……旅に出るんだってな。ガーゴから聞いたよ」
「はい。……遠くの街で、料理の修行をしようと思って」
嘘をつくのは、少し胸が痛んだ。でも、これも街を守るための嘘だ。ついていい嘘だと、自分に言い聞かせた。
じいさんは、しばらく黙って、それから、ゆっくりと頷いた。
「そうか。……寂しくなるなあ」
その一言に、私は、危うく涙がこぼれそうになった。
「これ、置いていきます。……節々の痛みに効く鎮痛ゼリー。それと、発酵調味料。これがあれば、お湯に溶かすだけで、あったかいスープが作れますから。……一人でも、あったかいもの、ちゃんと食べてくださいね」
じいさんは、その包みを両手で、大事そうに受け取った。皺だらけの手が、少し震えていた。
「……レンちゃん。わしはな。あんたに初めてスープをもらった、あの日のこと。今でも、はっきり覚えとるよ」
じいさんは、遠い目をして続けた。
「女房が死んでから、わしはずっと、味のしない飯を食っとった。生きてるんだか、死んでるんだか、わからんような毎日だった。……そこへ、あんたが、あったかいスープをくれた。『あったかい』って、涙が出た。……あの一杯が、わしをもう一度、生かしてくれたんだ」
「……ジオじいさん」
「あんたは、料理で人を救う子だ。だから、行っておいで。……遠くの街にもきっと、わしみたいに、あったかいもんに飢えた、寂しい年寄りがおる。そういう連中を、あんたの料理で、あっためてやりなさい」
その言葉に、私は、こらえきれずに涙をこぼした。
……この人は、最後まで、私の背中を押してくれる。自分がいちばん寂しいはずなのに。
「……はい。……行ってきます、ジオじいさん。ちゃんと、あったかいもの、作り続けます」
「うん。……達者でな。レンちゃん」
じいさんの皺だらけの手が、私の頭をそっと撫でた。あたたかくて、優しい手だった。まるで、本当のおじいちゃんみたいに。
◇
次に訪ねたのは、服屋の女将さんだった。
私に、初めて大人びた青いワンピースを選んでくれた、あの気のいい女将さん。
「あらまあ、聖女様! 旅に出るんだってねえ。噂は聞いたよ」
女将さんは、私の顔を見るなり、少し寂しそうに笑った。
「せっかく、こんなに別嬪さんになってきたのに。……街の男どもが、がっかりするねえ」
「あはは。……女将さんには、たくさんお世話になりました。あの青い服、今も大事に着てます」
「そうかい。……似合ってるよ、ほんとに」
女将さんは、店の奥から、一枚のあたたかそうな肩掛けを持ってきた。
「これ、餞別。旅は冷えるからね。……あんたと、あのトカゲの坊やに。ちゃんとあったかくして、おいき」
「……いいんですか、こんな上等なもの」
「いいんだよ。あんたには、あたたかくしてもらった恩があるからね。……冬の炊き出し。うちの人も、あんたのスープでずいぶん助けられたんだ」
女将さんは、ぐいっと目元を拭って、それから、いつもの豪快な笑顔に戻った。
「さ、湿っぽいのは、なし! 元気で、おやり。……たまには、便りをよこすんだよ」
「……はい。ありがとうございます、女将さん」
女将さんのあたたかい肩掛けを、私は、しっかりと抱きしめた。
◇
昼過ぎ。露店の常連たちにも、一人ずつ挨拶をして回った。
いつも、私のスープを美味しそうに飲んでくれた冒険者たち。炊き出しを手伝ってくれた、パン屋の主人。野菜を分けてくれた、八百屋のおかみ。……みんな、寂しがりながらも、「達者でな」「元気でやれよ」と、あたたかく送り出してくれた。
パン屋に引き取られた、あの男の子は、私の顔を見るなり、ぽろぽろと泣き出してしまった。
「せいじょさま、いっちゃうの……? やだ……」
私は、しゃがんで、その子と目線を合わせた。
「ごめんね。……でも、あなたは、もう大丈夫。パン屋のおじさんも、おばさんも、あなたのこと、大事にしてくれてるでしょ」
「……うん。でも……」
「あなたは、私がこの街でいちばん最初にスープをあげた子。……覚えてる? あのとき、あなた、『あったかい』って泣いてくれたよね。あれが、すごく嬉しかったんだ」
その子は、こくこくと頷いた。
「だから、今度は、あなたが。誰か、お腹を空かせた子を見つけたら、あったかいもの、分けてあげて。……そうやって、あたたかさを繋いでいってくれたら。私は、それで十分、幸せだから」
「……うん。ぼく、やる。ぜったい、やる」
その、まっすぐな返事に、私は微笑んだ。
あたたかさは、繋がっていく。私がいなくなっても、この街には、ちゃんとあたたかさが根付いている。……それが、何より心強かった。
最後の挨拶に。……私は、あの人のところへ、向かった。




