第79話 旅立ちの、準備の日々
送り出す会までの、数日間。私は、旅立ちの準備に追われた。
といっても、荷造りではない。【箱庭】があるから、持ち物には困らない。私がいちばん力を入れたのは――地の底の、新しい我が家の本格的な整備だった。
これまでは、あくまで“いざというときの隠れ家”。仮の住まいだった。でも、これからは、そこが私たちの本物の“お家”になる。だったら、ちゃんとあたたかく、住みやすくしておきたい。
私は、ティルとヒノを連れて、何度も、深層のあの岩室へ通った。
◇
中層の奥。地下水の湧く泉のそばの、あの広い岩室。
そこに、私は【箱庭】をしっかりと根付かせた。街の箱庭と深層の箱庭を、扉で繋ぐ。そうすれば、いつでも行き来ができる。……もっとも、街のほうの扉は、旅立ちのあと、そっと閉じることになるけれど。
まずは、かまど。ヒノのあたたかい炎を囲む立派なかまどを据えた。丈夫な岩で組んで、内側にティルの鱗を敷き詰めて。これで、深層でも、いつでもあたたかいごはんが作れる。
「レン、みて。ここ、いずみのみずが、ひける!」
ティルが、目を輝かせて泉を指さす。
「ほんとだ。いいね。……ここから水を引いて、お風呂も作ろうか。ヒノの炎で沸かせば、いつでもあったかいお湯だよ」
「おふろ! やった!」
私たちは、まるで秘密基地でも作るみたいに、はしゃぎながら、新しい我が家を組み立てていった。
寝床を、広げる。棚を据えて、保存食を並べる。発酵蔵を移して、大事な壺を運び込む。ヒノが金属を溶かして道具を作り、ティルが鱗をあちこちに敷いてあたためる。
岩肌は、ひんやりと冷たい。でも、ティルの鱗を敷いた床は、ほんのりあたたかい。ヒノの炎で灯した明かりが、岩室をやわらかなオレンジ色に染める。泉の水が、ちょろちろと心地よい音を立てる。……深層の危険な暗闇のはずが、いつのまにか、ずいぶん居心地のいい空間になっていた。
◇
……不思議なものだ。帝国から逃げるための引っ越しのはずなのに、ちっとも暗い気分にならなかった。むしろ、わくわくが止まらない。
ピンチを“楽しい暮らしのきっかけ”に変えてしまう。それは、いつのまにか身についた、私の性分だった。
毒霧スライムの毒を出汁に変えたときも。硬い肉を蕩けさせたときも。火竜を飼い慣らしたときも。……私はいつも、「困った」を「面白い」にひっくり返して生きてきた。
今度も、同じだ。
「帝国に追われて逃げる」。そう思えば、みじめだ。でも、「誰にも邪魔されない、夢の隠れ家に引っ越す」。そう思えば――これは、最高の冒険だった。
「ねえ、ティル。ここに畑も作ろうか。地の底でも、光る苔やあったかい鱗があれば、野菜だって育てられる」
「はたけ! じゃあ、ぼくの、はっこうしょくの、つぼも、ここに、ならべる!」
「いいね。……あ、それと、花も植えよう。地の底に、あたたかい花畑。……素敵じゃない?」
想像するだけで、心があたたかくなった。
周りは、危険な魔物だらけの深層。でも、扉の中は、世界でいちばんあたたかくて、安全な我が家。かまどから湯気が立って、ティルとヒノと「いただきます」を言う。
……うん。悪くない。むしろ、最高だ。
そして、その奥には、あの時渡り羊もいるかもしれない。私の空っぽの記憶の答えも。ここに住めば、毎日、探しにいける。
新しい我が家は、逃げ場所であると同時に、私のいちばんの“夢の場所”でもあった。
◇
作業の合間には、ちゃんと、あたたかい休憩も取った。
整えたばかりのかまどで、試しに深層の食材でスープを煮る。地底きのこの、濃い出汁。発酵調味料を、ひとさじ。光る苔を、彩りに散らして。……我が家の、初めての一杯だ。
「んっ……おいしい! ここのおうちの、スープ、おいしい!」
ティルが、ふうふう、しながら頬をゆるめる。ヒノも、器に顔を突っ込んで大満足だ。
まだ、途中の我が家。壁も、床も、むき出しの岩のまま。でも、あたたかいスープを飲んでいると、もう、ここが“帰る場所”に思えてくる。……料理の湯気には、そういう力がある。どんな場所でも、ひと鍋煮れば、そこが、我が家になる。
「レン。……ぼくたち、ここで、しあわせに、くらせるかな」
「うん。暮らせるよ。……というか、もう、暮らし始めてる。ほら、こうやって、あったかいごはん、食べてるでしょ。これが、暮らしってこと」
ティルは、こくり、と頷いて、また、スープをすすった。
◇
その日、私たちは、新しいお風呂も、初めて使ってみた。
泉から引いた水を、ヒノがあたたかく沸かしてくれる。岩をくり抜いて作った、素朴な湯船。でも、地の底のひんやりした空気の中で入るあたたかいお湯は、格別だった。
「ふわぁ……あったかい……」
ティルが、湯船の中でとろけそうな顔をする。ヒノは、体が大きくて入れないので、湯船のふちで、あたたかい湯気を気持ちよさそうに浴びていた。
天井の岩肌に、ティルが飾った光る苔が、ぼんやりと瞬いている。まるで、星空の下で、露天風呂に入っているみたいだ。
「……前世じゃ、考えられなかったな」
私は、湯に肩まで浸かりながら、ぽつりと呟いた。
前世の私は、風呂すらゆっくり入る時間がなかった。シャワーを浴びるだけで精一杯。湯船に、のんびり浸かるなんて、いつが最後だったか、思い出せないくらいだ。
なのに、今は。地の底の、危険なダンジョンの奥で。あたたかいお湯に、家族と一緒に、のんびり浸かっている。……人生、何が起こるか、わからないものだ。
「レン、わらってる」
「うん。……幸せだなあ、って思って」
ティルも、ヒノも、つられて笑った。あたたかい湯気の向こうで、みんなの顔がゆるんでいる。……この光景を、守るためなら。私は、なんだって、できる。
その決意を胸に、私は、旅立ちの準備を進めていった。




