第77話 受付嬢の、作戦会議
翌朝、私はギルドの裏手にネルさんを呼び出した。
昨日、市場で起きたこと。帝国の先触れの男に、ティルが値踏みされたこと。そして――私がこの街を出ると決めたこと。ぜんぶ話した。
一人で決めない、という約束どおりに。
ネルさんは、腕を組んで静かに聞いていた。話が終わると、ふう、と長い息を吐いて、それから、まっすぐ私を見た。
「……そう。決めたのね」
「はい。……寂しいですけど。でも、この街とティルを守るには、それしかないんです」
「わかった。……止めないわ」
ネルさんは、あっさりそう言った。私が少し驚いていると、彼女は、ふっと笑った。
「止めても、あなたは行くもの。それに――あなたの言うとおりよ。あなたがこの街を出れば、帝国は、この街に用がなくなる。追うのは、あなただけ。……それが、いちばん丸く収まる」
寂しそうに、でも、はっきりと。ネルさんはそう言い切った。
そのあっさりした返事が、かえって胸に染みた。本当は、引き止めたいはずだ。それでも、私と街のために、いちばん正しい答えを迷いなく選んでくれる。……有能な人ほど、そういう優しい割り切り方を知っている。
◇
「……ただ、レンちゃん。一つだけ、問題があるの」
ネルさんが、指を一本立てた。
「あなたが、ただこっそり姿を消したら。帝国は、どう動くと思う?」
「……えっと。私が逃げたと知って、追ってくる、でしょうか」
「そう。しかも、あなたが“どこへ消えたか”わからなければ。帝国はまず、この街を徹底的に調べる。あなたの痕跡を探して、街の人を締め上げて。……最悪、あなたがこの街のどこかに隠れてるんじゃないかと疑って、街ごと探し回るかもしれない」
私は、はっとした。
そうか。ただ消えるだけでは、だめなんだ。私がこの街の真下――深層に潜んでいることが、少しでも疑われたら。結局、街に迷惑がかかる。それでは、街を出る意味が、半分なくなってしまう。
「だから、必要なのは。……“あなたが遠くへ行った”と、帝国にはっきり信じ込ませること」
ネルさんの目が、いたずらっぽく光った。有能な受付嬢の頭が、回転を始めた顔だ。
「ねえ、レンちゃん。……派手に、旅立ちましょう」
「派手に……?」
「そう。こそこそ消えるんじゃなくて、街ぐるみで、盛大な“送り出す会”を開くの。『聖女様が、遠い街へ旅立つ』ってね。……みんなに、盛大に見送らせる。噂は、あっという間に広がるわ。『聖女は、この地方を去った』って」
◇
その作戦の全体像が、少しずつ、私にも見えてきた。
街ぐるみで送り出す会を開く。「聖女様は遠くの街へ旅立った」と、みんなに堂々と見送らせる。その噂が、帝国の密偵の耳にも届く。
帝国はそれを信じる。そして――回収部隊は、“遠くへ旅立った聖女”を追って、見当違いの方向へ動き出す。
でも、実際には。私は、遠くへなど行かない。街を出るふりをして、人目の消えたところで、こっそりダンジョンへ。この街の真下の、地の底へ潜り込む。
帝国が遠くを必死に探している間、私はずっと、みんなのすぐ近くで、あたたかいごはんを煮ている。
「……ネルさん。それ、すごい作戦です」
私は、思わず感嘆した。
考えれば考えるほど、よくできている。帝国のいちばんの武器は、その圧倒的な力だ。でも、力は、標的の“居場所”がわからなければ、振るいようがない。ネルさんの作戦は、その力をまるごと空振りさせる。剣も兵も、亡霊を追いかけては意味をなさない。
「でしょ? “逃げる”んじゃないの。堂々と“旅立つ”の。……そのほうが、あなたらしいわ。こそこそ隠れるより、ずっと」
逃げるが勝ち。
その言葉には、どこか、うしろめたい響きがある。尻尾を巻いて逃げ出す、というような。
でも――ネルさんの作戦は、違った。
これは、逃げじゃない。大切なものを守るための、堂々とした“選択”だ。前を向いて、胸を張って、笑顔で旅立つ。……そういう別れ方を、この人は、私に用意してくれていた。
前世の私なら、きっと、黙って消えていた。誰にも迷惑をかけないように。誰にも心配をかけないように。夜逃げみたいに、そっと。……そのほうが、"自分らしい"と、思っていた。でも、それは、たぶん、いちばん寂しい消え方だった。
ネルさんは、そうさせてくれなかった。
◇
「それに、ね」
ネルさんは、少し声を落として続けた。
「送り出す会をやれば、あなたは、ちゃんとみんなにお別れができる。……こそこそ消えたら、街のみんな、あなたが突然いなくなって心配するでしょう。ジオじいさんなんて、寂しくて寝込むかもしれない」
その言葉に、胸が、きゅっとなった。
……そうだ。私は、この街のみんなに、たくさんもらった。あたたかさを。居場所を。「おかえり」と言ってくれる人を。それを、黙って置いていくなんて、できるはずがなかった。
冬に、私の蓄えを「金貨より価値がある」と言ってくれたジオじいさん。数字の合わなさに気づいても、見なかったことにしてくれたネルさん。人だかりから、体を張って守ってくれたガーゴさん。……一人ひとりの顔が、次々と浮かんでくる。
「ちゃんと、笑って、送り出させてよ」
ネルさんの声が、少し震えた。
「あなたは、この街をあたためてくれた、大事な子なんだから。……こそこそ消えるみたいな別れ方は、嫌。ちゃんと、みんなで『いってらっしゃい』を言わせて」
「……ネルさん」
私は、こみ上げるものをこらえて頷いた。
「……はい。約束します。ちゃんと、みなさんにご挨拶してから。……笑って、旅立ちます」
こうして、私の“笑って消える”ための作戦が、静かに動き出した。




