第73話 その報せは、青い顔でやってきた
その報せは、翌日の夕方、ネルさんが青い顔で運んできた。
箱庭の扉を叩く音が、いつもよりずっと急いていた。開けると、ネルさんが息を切らして立っていた。仕事帰りのまま、上着も羽織らずに。
「レンちゃん。……ちょっと、いい? 外じゃ、話せない」
ただならぬ様子に、私は黙って中に通した。ティルとヒノには、先に休むよう言って、二人きりで、かまどの前に座る。
ネルさんは、あたたかいお茶をひと口すすってから、声をひそめて言った。
「……帝国が、動いた」
◇
「知り合いの行商人から聞いたの。信用できる人よ。あちこちの街を回って、情報を売り買いしてる」
ネルさんは、指先で湯呑みをなぞりながら続けた。
「この前の斥候たち。街であなたを鑑定しようとして、失敗して。……路地で、剣も魔法も効かないところを見せられて、逃げ帰ったでしょう。あの連中が、本国に報告を上げたのよ」
私は、静かに頷いた。あの日、私は繭で、斥候の攻撃をぜんぶ跳ね返した。「これで帝国は確信する」と、あのとき、自分でも思った。……その予感は、当たっていた。
「報告は、こう伝わったそうよ。『辺境の街に、あらゆる攻撃を無効化する聖女がいる。鑑定はランク1なのに、剣も魔法も通さない』。……で、それを受けて、上のほうが動いた」
「……上のほう」
「ええ」
ネルさんは、一度言葉を切って、それから、低い声で言った。
「スキリア帝国が、"回収部隊"の編成を決めたって。……あなたを連れ去るための、専門の部隊よ」
かまどの火が、ぱち、と爆ぜた。
◇
回収部隊。
その言葉の冷たい響きに、私は、背筋がすっと冷えるのを感じた。
「スキリア帝国はね。"スキルは国家資源"を掲げてるの。珍しいスキル持ちを見つけては、国のものにする。……乱暴なようで、案外、慎重な国よ。確実に手に入ると踏むまでは、動かない。でも――一度"確実だ"と判断したら」
「……容赦なく、来る」
「そう。前に言ったとおり。街ごと囲んででも、来る」
私は、湯呑みを両手で包んだ。手のひらのあたたかさが、なんだか、遠く感じた。
「……その部隊は。誰の、命令で?」
「そこまでは、はっきりしないわ。ただ、行商人が言うには……その編成には、皇族の名が絡んでるらしいの。スキリアの皇女――たしか、アイリス、とかいう名の。まだ若いけど、スキル収集に、ずいぶん熱心な方だ、って」
アイリス。
初めて聞く名前だった。顔も、人となりも、何も知らない。ただ、その名の下で、私を"回収"する部隊が、今、動き出そうとしている。それだけが、確かなことだった。
「本人が来るわけじゃ、ないと思う。皇女様が、こんな辺境まで、わざわざ足を運ぶとは考えにくいわ。……でも、その名の下で、部隊が組まれた。それは、つまり」
「……本気だ、ってことですね」
ネルさんは、こくり、と頷いた。
回収部隊。……その言葉の重さが、二人の間に、静かにのしかかった。




