第71話 ティルには、隠せない
最初に、私の異変に気づいたのは、やっぱりティルだった。
朝ごはんの席。私がなんとなく、ぼんやりしていると、ティルが、じっと私の顔を覗き込んできた。
「レン。……げんき、ない」
「え? そんなことないよ。ほら、ちゃんと食べてる」
「うそ。……レン、わらってるけど。め、わらってない」
どきり、とした。
この子は、鼻がいいだけじゃない。人の心の機微にも恐ろしく敏感だ。里で大人たちの顔色をうかがって生きてきた子だ。「怒られないように」「見捨てられないように」。そうやって、人の表情を読む力を身につけてしまった。
……本当は、そんな力、身につけずに済んだほうが、よかったのに。
「ごめんね。ちょっと、考え事してただけ。……大丈夫だよ」
私は、ティルの頭を撫でて、笑ってみせた。今度は、ちゃんと目も笑うように。
でも、ティルは、こくり、とは頷かなかった。ただ、じっと私を見ていた。何か言いたそうに。でも、うまく言葉にできない、というふうに。
◇
その日、私は街に出なかった。
露店を開ければ、また、「守り神に」とすがる目に囲まれる。それが今日は、少しだけしんどかった。
だから、箱庭で、のんびり料理でもしようと思った。……いや。のんびり、なんて嘘だ。本当は、一人になって、あの、重すぎる答えと向き合う時間が欲しかっただけ。
ティルは、そんな私のそばを離れなかった。
いつもなら、ヒノと外を駆け回ったり、街の友達と遊びに行ったりする子が。今日は、ずっと私の近くで、手伝えることを探すみたいに、うろうろしていた。
「レン。……ぼく、なにか、てつだう?」
「んー。じゃあ、この豆、選り分けてくれる?」
「うん!」
ティルは真剣な顔で、豆を選り分け始めた。小さな手で、一粒ずつ、丁寧に。その横顔を見ていたら、なんだか少しだけ心があたたかくなった。
……この子がいてくれて、よかった。
でも、そのあたたかさが、かえって私の胸を締めつけた。
このあたたかさを守るために、私はたぶん、この街を出なきゃいけない。この子たちを連れて。ネルさんや、ジオじいさんと離れて。……そんな未来を、この子は、まだ知らない。
台所に、ことこと、と鍋の音が響く。いつもなら、心を凪がせてくれるその音が、今日は、なんだか遠く聞こえた。
◇
夕方。豆を選り分け終えたティルが、ふいに手を止めて言った。
「ねえ、レン。……ぼく、きいても、いい?」
「うん。なに?」
「レン、ちかごろ、まちのひとに。『まもってくれ』って、いわれてるでしょ」
……聞いていたのか。私は、少し驚いた。
「うん。まあ、そうだね」
「レン。……こまってる。ひとりで、かんがえこんでる。……ぼく、みてて、わかる」
ティルは、まっすぐに私を見た。金色の目に、いつものあどけなさとは違う、何かが宿っていた。
「レンは、いつも、そう。……ぜんぶ、ひとりで、しょいこむ。ぼくを、まもるときも。ヒノを、まもるときも。まちのひとを、まもるときも。……ぜんぶ、レン、ひとりで」
その言葉が、ぐさりと胸に刺さった。
子どもの、たどたどしい言葉のはずなのに。ネルさんに言われたことと同じ、いや、それ以上にまっすぐに、私のいちばん痛いところを突いてきた。
「ぼく、ずっと、まもられてた。レンに。……でも、ぼく、もう、ちいさくないよ」
ティルは、ぎゅっと拳を握った。
「ぼくも、レンを、まもりたい。レンの、にもつ。……ぼくにも、もたせて」
◇
私は、しばらく言葉が出なかった。
守られる子だった、ティル。里で殴られ、飢えさせられ、置き去りにされた、あの子。「出来損ない」と呼ばれ続けた、あの子が。
今、私に、「あなたを守りたい」と言っている。「荷物を、持たせて」と。
……いつのまに、こんなに大きくなったんだろう。
「……ティル」
私はしゃがんで、ティルと目線を合わせた。もう、あんまり屈まなくてもいい。この子も私も、少しずつ大きくなった。
「ありがとう。……あなたの、その気持ち。すごく、嬉しい」
「じゃあ」
「でも。……あなたには、まだ、背負わせたくないな」
言った瞬間。ティルの顔が、くしゃっと歪んだ。
「……なんで。ぼく、やくに、たたない? やっぱり、できそこない、だから……?」
「違う! 違うよ、ティル」
私は、慌てて、ティルの両肩を掴んだ。
しまった。この子は、すぐこう考える。「役に立てない自分は、いらない子だ」と。里で刻み込まれた呪いだ。私の言い方が、その古傷を抉ってしまった。
「あなたは、役に立つ。すごく、立ってる。……ただ、私が、あなたにつらい思いをさせたくないだけ。あなたは、もう、じゅうぶん、しんどい思いをしてきたから」
「……でも。レンだって、しんどいでしょ」
ティルの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
「レン、いつも、しんどいの、かくす。だいじょうぶって、いう。……でも、ぼく、しってる。レンも、まもられたいはず。だれかに、よりかかりたいはず。……ぼくじゃ、だめ?」




