第68話 繭は、いつでも安全地帯
「ひ、退け……退けっ!」
斥候たちは恐慌をきたして逃げていった。剣を取り落とす者すらいた。
あとには、困惑と恐怖の余韻だけが残った。
……ふう。私は繭を解いて、小さく息を吐いた。
正直に言えば、少しだけ心臓がどきどきしていた。攻撃は効かない。それは頭ではわかっている。でも、大の男が数人がかりで剣を振り下ろしてくれば、やっぱり体は少し身構える。……前世で染みついた“危険には近づくな”という本能は、そう簡単には消えない。
でも――繭は、今日も完璧に私を守ってくれた。かすり傷ひとつない。その確かな事実が、私の震えをすぐに鎮めてくれた。
「……レン。すごい。ぜんぜん、へいき、だった」
ティルが私の背中からそっと顔を出して、目をまんまるにしていた。
「うん。……私、絶対に傷つかないから。何が来ても平気なの。……だからね、あなたは私の後ろにいれば、絶対安全。この繭の中は、いつでもどこでも、世界でいちばん安全な場所なんだ」
私はそう言って、ティルの頭を撫でた。
繭の中は安全地帯。……たとえ国の兵に囲まれても、たとえ剣を向けられても、私と、私が守ると決めた者は、絶対に傷つかない。
それは、私がこの世界で授かった、いちばん頼もしい力だった。「痛いのは嫌」。その切実すぎる願いが形になった、伝説の盾。
「レン、かっこよかった。……ぜんぜんこわがらなくて。まるで、おとぎばなしの、まもりの、けんし、みたい」
ティルが興奮気味に言った。さっきまで震えていたのに、もうけろっとしている。……子どもの切り替えの早さは、羨ましい。
「剣士じゃないよ。だって私、剣、持ってないもん。……ただ、“殴られても痛くない人”なだけ」
「でも、それって、せかいでいちばんつよいんじゃない?」
ティルの無邪気な言葉に、私は少し考えて、それから笑った。
「……どうかな。強い、とはちょっと違う気がする。私、誰かを倒すことはできないから。……ただ、“守る”ことだけは、世界一得意かもね」
守ることしかできない。攻撃はゼロ。……でも、それでいいと思う。私は誰かを傷つけたいわけじゃない。ただ、大切なものを傷つけさせたくない。それだけなのだから。
攻撃力ゼロの絶対防御。……なんて私らしい力だろう。痛いのが嫌で、誰かが傷つくのも嫌で、だから“ただ守るだけ”の力を授かった。神様もなかなか、私のことをわかっている。
◇
でも、手放しで喜べる状況ではなかった。
「……まずいな」
逃げていく斥候の背中を見ながら、私は呟いた。
あんなに派手に、攻撃が効かないところを見せてしまった。……これで向こうは確信するだろう。「あの聖女は“ただの子ども”じゃない」と。何か規格外の力を持っている、と。
鑑定では「ランク1」としか出ない。でも実際には、剣も魔法も通さない。……この矛盾こそが、帝国がいちばん欲しがる“証拠”だ。
逃げていった斥候たちは、震える手でこの光景を報告するだろう。「あの聖女はあらゆる攻撃を無効化する。鑑定は“ランク1”なのに、剣も魔法も効かない」と。
それは帝国にとって、喉から手が出るほど欲しい“力”だ。一軍の兵に傷ひとつ負わせない、絶対防御。……それを“国家資源”として囲い込みたいはずだ。
「これで帝国は本気で動く。……“回収する価値がある”って判断される」
私は静かにそう悟った。
のらりくらり、とぼける作戦はもう通用しない。攻撃が効かないところをこれだけはっきり見せてしまえば、「まぐれ」では押し通せない。
……潮時が近い。そう思った。
◇
その夜。箱庭で、私は一人、かまどの火を眺めながら考え込んでいた。
今日のことで、帝国は確信するだろう。「あの聖女は“ただの子ども”じゃない」と。……もう、“のらりくらり”では済まない。近いうちに、もっと大きな力が、この街に押し寄せてくる。
繭があれば、私は傷つかない。捕まらない。それは確かだ。
でも――問題はそこじゃない。
私がこの街にいる限り、帝国はこの街を狙う。私を探して、街の人を脅したり、乱暴を働いたり。……最悪、街ごと囲まれるかもしれない。ネルさんが言っていた。帝国は“確実だ”と踏めば、容赦なく来る、と。
私は逃げられる。傷つかない。でも、ジオじいさんは。女将さんは。ガーゴさんは。……街のみんなは違う。普通の人間だ。
私のせいで、このあたたかい街が兵に踏み荒らされる。……それだけは、絶対に嫌だった。
だとしたら、答えはひとつしかない。
――私が、この街から消えること。
そうすれば、帝国はこの街に用がなくなる。追うのは私だけ。……皮肉な話だ。このあたたかい場所を守るために、私はここを去らなければならない。
……でも。
私はまだ、決心がつかなかった。
この街での暮らし。ティルと出会って、ヒノと家族になって、ネルさんやジオじいさんと笑い合って。……ようやく手に入れたあたたかい日々。それを手放すのは、あまりにつらかった。
「……まだ、大丈夫。まだ、ぎりぎりまではここにいられる」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。
繭の中は安全地帯。でも、その繭は街のみんなまでは守れない。……その当たり前の事実が、じわじわと私の背中を“その日”へと押していく。
寝床ですやすやと眠るティルとヒノ。その穏やかな寝顔を見ながら、私は思った。
……この子たちと、もう少しだけ、このあたたかい街で過ごしていたい。
でも、その“もう少し”がそう長くは続かないことも、私は心のどこかでちゃんとわかっていた。
別れの足音は、もうすぐそこまで、静かに近づいていた。
繭の中は、いつでも安全。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




