第65話 斥候の、鑑定をかわす
監視の気配が濃くなって、数日。
とうとう向こうから、しびれを切らしたらしい。
その日、露店の前に、あの斥候の一人がふらりと立った。旅装の男。感情の読めない目。前に密偵が見せたのと同じ、あの目だ。
「……スープを一杯、もらおう」
男はそう言って、じっと私を見た。
……来た。
この数日、ずっと遠くから感じていた視線。それがとうとう、目の前に立った。
周りの行列の常連たちは、まだ気づいていない。いつも通り和やかに、スープを待っている。この穏やかな日常の中に、冷たい刃みたいな男が一人、混じっている。
私はいつも通りの無害な笑顔を作った。心臓は少し嫌な音を立てていたけれど、表には出さない。前世でいちばん鍛えられた技だ。理不尽な上司の前で平然と笑ってみせる、あのスキル。
こういうときの鉄則は決まっている。慌てない。動じない。いつも通りに振る舞う。……“やましいことは何もない”という顔で。実際、私は嘘をついていないのだから、堂々としていればいい。
「はい、スープです。銅貨一枚。……ただの料理ですけど」
男は器を受け取った。でも、飲まない。じっと匂いを嗅いで、それから懐から、小さな水晶のようなものを取り出した。
……鑑定用の道具だ。
男はそれを私に向けた。私のスキルを、その場で鑑定するつもりだ。
◇
私は内心で、すっと意識を集中した。
落ち着け、私。……鑑定は今、“起動しているスキル”しか映さない。だから私は、料理以外のスキルを絶対に使わない。指一本、動かさない。
【硝子の繭】は常時発動だけど、あれは鑑定には“エラー”としか出ない。伝説級すぎて、水晶が処理落ちする。だから映るのは「ランク1・調理」だけ。
水晶が私に向けられる。
……この瞬間が、いちばんの正念場だ。
私は心の中で、四つのスキルをぜんぶ器の奥に沈めた。料理の【秘密の隠し味】だけを表に残して。他の三つは息を殺すように、じっと動かさない。
特に【硝子の繭】。あれは常時発動している。消せない。でも――伝説級すぎて、鑑定水晶では“読めない”。処理落ちして、「エラー」か「ランク1」としか表示されない。……それが逆に、私を守ってくれる。
こういうときの私は、前世の経験が活きる。査察。監査。抜き打ちチェック。……そういう“疑いの目”の前で平然としていること。それは社畜時代に、嫌というほど鍛えられた。やましいことがなくても、疑われれば心臓は跳ねる。でも顔には出さない。淡々と、事実だけを差し出す。
男の水晶が、淡く光った。
男はその表示をじっと見て――眉をひそめた。
「……ランク1。調理。……ふん。噂の聖女が、こんなはずはない」
「あら。何か期待、されてました?」
私はあくまでのんびりと答えた。
「私はただの、料理が得意なだけの子ですよ。ギルドにもそう登録されています。……疑うなら、受付で記録を確認なさってください」
「……鑑定の記録がどうであれ、あのみなぎる力は、説明がつかん」
「さあ。……美味しいものを食べると元気が出る。それは当たり前の話じゃないですか?」
私は嘘をひとつもついていない。ただ、本当のことの外側だけを見せている。鑑定は「ランク1・調理」。それは揺るがない事実。この事実がある限り、私はどんなに疑われても崩れない。
嘘をついていない人間は強い。追及されても揺らがない。……前世で嘘の報告書に胃を痛め続けた私だからこそ、それが痛いほどわかる。
◇
男はしばらく、私を睨んでいた。
私が少しも動じないのを見て、探るように、次の手を考えている。
やがて男は、ちらり、と視線を私の後ろへ移した。
――ティルだ。
露店の片付けを手伝っていたティルに、男の冷たい視線が向く。
「……そこの竜鱗族の子ども。ずいぶんと珍しい。……鑑定させてもらおうか」
男が水晶を、ティルに向けようとした。
その瞬間だった。
私の中で何かが、ひやり、と冷たくなった。
この子を値踏みされる。この子を“商品”として測られる。……それだけは、だめだ。
思わず私は、ティルを庇おうと身を乗り出した。そして――ほんの一瞬。ほんのコンマ数秒。
【特等席のお嬢様】が、反射的に起動しかけた。
男とティルの間に、私の意識が割り込む。その視界を支配しかける、力の片鱗。
――しまった。
私は慌てて、それを引っ込めた。でも。
男の水晶が、ほんの一瞬。ちかっ、と、別の色に瞬いた。
◇
男の目が、すっと細くなった。
「……今のは」
「……? どうかしましたか?」
私は必死で、何食わぬ顔を作った。心臓が口から飛び出そうだった。
……見られた。ほんの一瞬だけど、私が別のスキルを起動しかけた、その片鱗を。
でも――男は確信は持てないでいる。あまりに一瞬すぎた。水晶の瞬きも、彼が見間違えた可能性もある。断定するには、証拠が弱すぎる。
私はその隙を突いた。
「あの。……お客さん。スープ、冷めちゃいますよ。飲まないなら、次の方に譲っていただけます? 行列、できてるので」
私はあくまで“営業中の料理人”を演じた。動揺なんてしていない、というふうに。むしろ少し、迷惑そうに。
男はしばらく私を見つめて、それから、ふ、と銅貨を置いて。
「……いや。失礼した。……美味いスープだった」
そう言って、彼は背を向けた。飲んでもいないのに、「美味かった」なんて。……嫌味な男だ。
でも、その背中には、明らかに“何かを掴んだ”という確信めいた気配が滲んでいた。




