第64話 濃くなる、監視の気配
翌日から、私は少しずつ“備え”を進めた。
ティルとヒノを連れて、深層のあの隠れ家の候補地へ何度か通った。(もちろん、斥候に尾けられないように気をつけて。……といっても、斥候はダンジョンの深層までは追ってこられない。私にとって深層は、いちばん安全な場所だ。)
岩室に【箱庭】をしっかりと根付かせて、あたたかい家を建てる。かまど。寝床。発酵蔵。……街の箱庭と同じように、少しずつ“帰れる場所”を作っていく。
食料も深層で採れる。時渡り羊にも、いつかまた会えるかもしれない。……ここは逃げ場所であると同時に、私の“夢の隠れ家”でもあった。
「レン。ここ、あたたかい。……ぼく、ここ、すき」
ティルが地底の家であたたかいスープを飲みながら言った。
「うん。……いつかここで、のんびり暮らせたらいいね。誰にも邪魔されずに」
私は笑って頷いた。
……不思議なものだ。帝国から逃げるための“逃げ場所”を作っているはずなのに、ここにいると、まるで遠足の秘密基地みたいでわくわくしてしまう。
ピンチを“楽しい暮らしのきっかけ”に変えてしまう。この私の能天気な性分は、こういうときこそ役に立った。悲観して縮こまるより、「よし、じゃあこの機会に、最高の隠れ家を作ってやろう」と思えるほうが、ずっといい。
ヒノも地底の家を気に入った様子だった。深層は街より涼しくて、火竜のヒノには少し物足りないかと思ったけれど。あたたかい我が家の匂いがするのが、安心するらしい。
備えは、着々と進んでいた。
◇
でも、街に戻るたびに、あの“監視の気配”は日に日に濃くなっていった。
露店に来る、見慣れない客。妙に私のことを探ってくる質問。夜、箱庭の入り口のあたりをうろつく影。
実は、街の人たちもうすうす気づいていた。
「なあ、聖女様。最近この街に、妙な連中が増えてねえか?」
ある日、ガーゴさんが声をひそめて言った。
「見慣れねえ旅の連中でな。冒険者でも商人でもなさそうだ。……なんかこう、目つきが悪い。あんたのこと、探ってる感じがするんだよ」
……ガーゴさんも気づいていたのか。この人は脳筋のようで、仲間の危険には意外と敏感だ。
「オレの勘だがな。あいつら、良くねえ連中だ。……聖女様。何かあったら、絶対オレに言えよ。冒険者仲間、集めて、あんたのこと守るからよ」
その言葉に、私は胸があたたかくなった。……でも同時に、だめだ、とも思った。
ガーゴさんたちを巻き込むわけにはいかない。相手は国だ。一介の冒険者では太刀打ちできない。……この人たちに、私のために危険な目に遭ってほしくはなかった。
「……ありがとうございます、ガーゴさん。でも大丈夫です。私、こう見えてけっこう、しぶといので」
私は笑ってそう答えた。ガーゴさんは少し不服そうだったけれど、「……まあ、あんたがそう言うなら」と頷いてくれた。
みんなの優しさが、じんと胸に染みる。……だからこそ、このあたたかい街を、私の問題に巻き込みたくはなかった。
ティルの鼻は、その“知らない匂い”が少しずつ増えていることを感じ取っていた。
「レン。……におい、ふえてる。ひとり、じゃ、ない」
斥候は一人じゃない。複数で、じわじわと、私を包囲するように、監視の輪を狭めてきている。
……そろそろ、かもしれない。
私は静かに覚悟を決めた。帝国が本格的に動き出す日が、もうそう遠くないところまで来ている。
でも、私は怯えなかった。
備えはしてある。逃げ場所もある。守るべき家族も、はっきりしている。……あとはその日が来たら、落ち着いて対処するだけだ。
その夜、私はなかなか寝つけなかった。
いよいよだ。長い、平穏な日々の終わりが近づいている。
……怖くない、と言えば嘘になる。前世の傷がうずく。「また追い詰められる」「また逃げられなくなる」。そういう恐怖が、胸の奥でちりちりと燻る。
でも、私は目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をした。
落ち着け、私。……相手は確かに強大だ。国そのものだ。でも、私には私の戦い方がある。
殴り合いにはならない。私は絶対に傷つかない。捕まらない。逃げ場所もある。そして――帝国がいちばん欲しがっている私の“力”。それを逆に使ってやる方法だって、あるかもしれない。
……そうだ。もし相手が私の“料理”を欲しがっているのなら。……いつか、その冷たい相手すら、あたたかい一杯で餌付けしてしまえばいいのかもしれない。
ふ、と、私は暗闇の中で小さく笑った。
……我ながら呑気なものだ。国に狙われているのに、「餌付けしてやろう」なんて。でも、たぶんそれくらいの気持ちでいたほうがいい。悲観して震えているより、ずっと私らしい。
「……大丈夫。何が来ても、私はあなたたちを守る。このあたたかい暮らしを守る」
箱庭のあたたかい食卓で、私はティルとヒノに、そっとそう誓った。
窓の外の景色は、私が選んだ穏やかな夕暮れ。でも、その扉の向こうの現実の街には、冷たい影が着実に忍び寄っていた。
――嵐の前の静けさ。
あたたかい日々を守るための“戦わない戦い”が、もうすぐそこまで来ていた。
忍び寄る、監視の気配。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




