第6話 箱庭の、初めての朝ごはん
ティルは、スープをそれは大事そうに飲んだ。
ひと口ごとに、目を閉じて、味わって。まるで、この一杯が消えてしまうのが惜しいみたいに。
「……おいしい」
昨日と同じ言葉。でも、昨日よりずっと力のこもった声だった。
「あのね」
スープを飲みながら、ティルが、ぽつぽつと話し始めた。
「ぼく、あさごはん、はじめて」
「……初めて?」
「里では、あさ、ごはん、なかった。ぼくの分は。……よるも、あまりものが、あれば」
さらり、と、とんでもないことを言う。
私は、スプーンを持つ手を一瞬止めた。それから、努めて軽い調子で言った。
「……そう。じゃあ、これからは毎朝あるよ。昼も、夜も」
「まいにち……?」
「うん。毎日。あったかいのが、毎日。……当たり前でしょ、そんなの」
当たり前だ。本当は。ごはんが毎日食べられることも、名前があることも、殴られないことも。全部、当たり前であるべきことだ。
でも、この子にとっては、その“当たり前”の一つひとつが、生まれて初めての奇跡だった。
ティルは、器を両手で握りしめて、また、ぽろぽろと泣き出した。今度は、怖くて泣いているんじゃない。それくらいは、私にもわかった。
ひとしきり食べて、少し落ち着いた頃。
ティルが、スープの椀から顔を上げて、上目遣いに私を見た。
「レンは……だれ、なの?」
「ん?」
「こんな、すごいお家、もってて。こわい男の人も、へいきで。ごはんも、まほうみたいに、おいしくて。……ほんとに、ただの、こども?」
鋭いところを突く。子どもだけど、馬鹿じゃない。というか、飢えた環境で生き延びる子は、たいてい人をよく見ている。
私は少し考えて、当たり障りのない範囲で、本当のことを言うことにした。嘘は、つきたくない。
「私はね、遠いところでいっぱい働いて、疲れて、死んじゃった大人なの。それで、なぜか、この体でもう一回、生き直してる。……信じる?」
ティルは、目をぱちくりさせた。それから、真剣な顔で、こくり、と頷いた。
「しんじる。だって、レンの目、ときどき、すごく、おとなだもん」
……ばれてたのか。
思わず、笑ってしまった。この子には、変な鋭さがある。
「そう。中身は、くたびれたおばさんなの。だから、いっぱい働くのは、もうこりごり。静かに、美味しいものだけ作って暮らしたいわけ」
「でも、ぼくのこと、ひろった」
「……それは、まあ、うん。誤算」
「ごさん?」
「腹を空かせた子を、放っておけなかった。前の私が、ちゃんと食べられてなかったから、たぶん、そういうのに弱いの」
言ってから、なんだか照れくさくなって、私はスープをすすった。
ティルは、しばらく私の顔を見つめて――それから、へにゃり、と笑った。
「じゃあ、ぼくが、レンを、たすける。レンが、いっぱい休めるように。ぼく、なんでもする」
「……はいはい。じゃあ、まずは、ちゃんと食べて、大きくなること。それが、いちばんの手伝い」
私は、自分のぶんの芋を半分、ティルの皿にのせてやった。
「泣きながらでいいから、食べな。冷めないうちに」
「……うんっ」
朝の光が差し込む箱庭で、小さな食いしん坊は、涙と一緒に、あたたかい朝ごはんをぜんぶ平らげた。
残さず、ひと口も。約束どおりに。
食べ終わると、ティルは器を両手でそっと持ち上げた。そして、ぺこり、と、器に向かって頭を下げた。
「ごちそうさま、でした」
誰かに教わったわけでもないだろうに、自然に、その言葉が出た。
……ああ、もう。
この子はどうして、こう、いちいち私の涙腺を狙い撃ちにしてくるんだろう。
「うん。お粗末さまでした」
私は、湯気に紛れさせるように、ちょっとだけ目元を拭った。大人だから、泣かない。ただ、朝ごはんの湯気が、目にしみただけだ。
……なるほど。
誰かと食べる朝ごはんっていうのは、こんなに賑やかで、しょっぱくて、あたたかいものなのか。
一人で食べていた前世の朝が、ふと、遠く思えた。
悪くない。というか――正直に言えば、かなり、いい。
だから、面倒は嫌なはずなのに。私はまた、明日の献立のことを考え始めていた。
あたたかい朝ごはんは、いいものです。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




