第53話 露店に、旅の吟遊詩人
ある日、露店に旅の吟遊詩人が立ち寄った。
あちこちの街を渡り歩いて、歌や物語を届けて回る旅人だ。使い込まれた竪琴を背負って、人の好さそうな笑顔をしている。
「やあ、お嬢さん。噂を聞いてね。この街に“食べると力が湧く、聖女様のスープ”があると。……ぜひ一杯いただきたい」
「はい、どうぞ。……ただの料理ですけど」
私はいつものように、スープをよそって出した。
詩人はひと口すすって――目を見開いた。
「……これは。……ああ、なんてあたたかい。……久しく忘れていた味だ」
彼はしみじみとスープを味わった。ひと口、ひと口、まるでその味を記憶に刻みつけるみたいに、目を閉じて、ゆっくりと。
その姿を見て、私は思った。この人はきっと、“あたたかいごはん”に飢えている人だ、と。お腹が空いているというのとは違う。心が、あたたかいものを求めている。
旅暮らしは、あたたかい食事とは縁遠い。冷えた携行食をかじりながら、一人、街から街へ。宿に泊まれない夜は、星空の下で丸くなって眠る。……華やかに見える吟遊詩人の旅も、その実、寂しさと隣り合わせなのだ。
その寂しさを、私は少し知っている。前世の私もそうだった。忙しさの中で、あたたかいものをあたたかいうちに食べる余裕なんてなかった。心が、ずっと乾いていた。
だからこそ、私はこの詩人に、いちばんあたたかい一杯を出したかった。湯気をちょうどいい温度に整えて、心まであたたまるように。
「お嬢さん。……私はね、たくさんの街でたくさんの“美味い料理”を食べてきた。王侯貴族の宴の料理も口にしたことがある。でも……このスープはそれとは違う」
「違う、ですか?」
「ああ。……これには“作った人の優しさ”が入っている。食べる者を思うあたたかさが。……そういう料理は、めったにない。腕だけじゃ出せない味だ」
その言葉に、私は少し照れて、それから嬉しくなった。
……この人はわかる人だ。料理のいちばん大事な“隠し味”を、ちゃんと味わってくれる。
詩人は二杯目、三杯目とおかわりをして、すっかり機嫌が良くなった。それから、ぽつり、ぽつりと自分の旅の話をしてくれた。
若い頃、故郷を飛び出して、歌ひとつを頼りに諸国を巡って。楽しいこともあったけれど、寂しい夜のほうがずっと多かった、と。
「……こうしてあたたかいものを食べさせてもらうと、ふと思うんだ。私もどこかに“帰る場所”が欲しかったのかもしれないって。……いや、年寄りの繰り言だがね」
その言葉が、少し胸に刺さった。
帰る場所。あたたかい食卓。……前世の私がいちばん欲しかったもの。この陽気な詩人も、本当はそれを探しながら旅を続けているのかもしれない。
「……よかったら、この街にいる間は、いつでも食べに来てください。あたたかいものを作りますから」
私がそう言うと、詩人は少し驚いた顔をして、それからくしゃっと笑った。
「……ありがとう。お嬢さんは本当に優しいね。……その優しさが、スープの味に出てるんだな」
◇
詩人はおかわりをしながら、私の料理をあれこれと褒めてくれた。「この発酵調味料の深みはなんだ」「この蒸し野菜の火の通り方は只事じゃない」と。……料理を本当にわかっている人に褒められるのは、何より嬉しい。
私はつい乗せられて、深層で採れた珍しい食材の話や、発酵蔵の話まで、楽しく語ってしまった。詩人は目を輝かせて聞いていた。
「……お嬢さん。あなたは料理を心から愛しているんだね。その情熱が、そのまま味に出ている。……いやあ、いい店に巡り合えた」
「店、というほどのものじゃないですけど。……ただの露店です」
「露店でも屋台でも、あたたかい料理とあたたかい人がいれば、そこは立派な“人の集まる場所”さ。……この街があなたのおかげであたたかいのが、私にもよくわかるよ」
その詩人が夜に歌った一曲が、また、面倒な噂の種になるのだった。




