第52話 甘いものは、心を整えます
ひとしきり泣いて、少し落ち着いたネルさんに、私はそっと言った。
「ネルさん。……ちゃんと休んでいいんですよ」
「でも……私が休んだら、みんなが……」
「みんなは大丈夫。あなたがいなくても、なんとかなります。……ううん、なんとかするべきなんです。あなた一人に背負わせちゃ、だめなんです」
これは、前世の私が、いちばん言ってほしかった言葉だ。
「休んでいい」「あなた一人のせいじゃない」「無理しなくていい」。……誰も言ってくれなかった。だから私は、壊れた。
だから私は、ネルさんにはちゃんと言う。何度でも。
「便利な道具にならなくていいんです。ネルさんは道具じゃなくて……私の大事な友達ですから」
ネルさんの目が、また潤んだ。
「……ずるいわよ、あなた。……そういうこと、さらっと言うの」
「はい。よく言われます」
二人で顔を見合わせて笑った。涙のあとの、あたたかい笑いだった。
「……ねえ、レンちゃん。私ね」
少し落ち着いたネルさんが、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「昔、才能がある、って言われて、ギルドに引き抜かれて。……そのとき思ったの。『ここでなら私、必要とされる』って。だから必死で働いた。頼られるのが嬉しくて。……でも、いつのまにか、“私じゃないと回らない”状況を、自分で作っちゃってた」
「……」
「気づいたら、休み方も、頼り方も……忘れてたの。一度それで倒れたのに……また同じこと繰り返してた。……馬鹿でしょ、私」
「馬鹿じゃないですよ」
私は静かに言った。
「そういう人ほど優しくて、真面目で。……周りのことを考えすぎちゃうんです。だから、自分のことが後回しになる。……前世の私も、そうでした」
ネルさんは、はっとした顔で私を見た。
「だから今度は、ちゃんと自分のことも大事にしてください。あなたが倒れたら……私が悲しいですから」
その言葉に、ネルさんはしばらく黙って、それからゆっくりと頷いた。「……うん。そうする」と、小さく。まるで長年、自分に許せなかった“休む”ことを、ようやく自分に許すみたいに。
◇
その日、私はネルさんを無理やり箱庭に連れ込んで、ゆっくり休ませた。
あたたかいお風呂。(ヒノの炎で沸かした、とっておきだ。)ふかふかの寝床。そして、たっぷりのあたたかいごはん。
ネルさんは久しぶりに、何も考えず、ぐっすりと眠った。ティルがそっと毛布をかけてあげて、ヒノがあたたかい風を送って。
その穏やかな寝顔を見ながら、私は思った。
料理で人を強くする。それも大事。でも、それ以上に大事なのは……たぶん、“整える”ことだ。
疲れた心を。張り詰めた気持ちを。冷えた体を。あたたかいもので、そっとほぐして、ちょうどいい状態に戻してあげる。
辛いものが攻撃なら、甘いものは……きっと“優しさ”だ。
そして優しさは、時にどんな力よりも、人を救う。
それから私は、ちょっとした“お節介”もした。
ギルドに顔を出して、ガーゴさんたち常連の冒険者に、こっそり頼んだのだ。「ネルさんに頼りすぎないであげて。たまには自分たちでなんとかして。……あの人、限界だったんです」と。
みんな、はっとした顔をした。ネルさんがいつもなんでもこなしてくれるから、つい甘えていた。彼女がそんなに無理をしていたなんて、誰も気づいていなかった。
「……悪かったな。オレたち、ネルの姉ちゃんに甘えすぎてた」
ガーゴさんが頭をかいた。それからみんなで、少しずつ仕事を分担するようになった。ネルさん一人に背負わせないように。
あたたかさは、分け合えば軽くなる。一人で抱え込むから、人は潰れる。
翌朝、すっきりした顔で目を覚ましたネルさんは、「……久しぶりに、ちゃんと眠れた」と照れくさそうに笑った。そして少しだけ上手に、「休む」ことと「頼る」ことを覚えて帰っていった。
帰り際、ネルさんはふと立ち止まって、私に言った。
「……ねえ、レンちゃん。あなたって、ほんと不思議な子ね。……料理でお腹を満たすだけじゃなくて、心のいちばん疲れたところまで、ちゃんと届く」
「そうですか? ……ただ、あなたに元気になってほしくて、作っただけですよ」
「……その“だけ”が、いちばん難しくて、いちばんあったかいのよ」
ネルさんはそう言って、今度は本物のしっかり者の笑顔で、でも少しだけ肩の力を抜いて、ギルドへと戻っていった。
その背中を見送りながら、私は思った。
……料理は、ただの燃料じゃない。ただお腹を満たすだけのものじゃない。
あたたかい一皿は、その人にこう語りかける。「あなたのこと、気にかけてるよ」「頑張らなくていいよ」「あなたは、ここにいていいよ」と。
言葉じゃ伝えきれない、その優しさを、料理は湯気に乗せて届けてくれる。
……前世で私がいちばんほしかったもの。それを今、私はあたたかい一皿に込めて、大切な人に渡すことができる。
それはたぶん、私がこの世界で授かった、いちばん素敵な力だった。
……あたたかい一皿は、誰かの限界を、そっと救うことができる。
私は、それができる。それだけで、この料理の力を授かってよかったと、心から思うのだった。
疲れた心にも、甘いものを。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




