第51話 疲れ果てた、受付嬢
その日、露店にやってきたネルさんは、ひと目でわかるくらい疲れ果てていた。
目の下には、濃いくま。顔色は青白い。いつものしっかり者の覇気が、まるでない。
「……ネルさん。大丈夫ですか? すごい顔ですよ」
「……はぁ。ひどい言い方ね。……でも、否定できないわ」
ネルさんは力なく笑った。
聞けば、ここ最近、ギルドがとんでもなく忙しいのだという。冷害のあとの復興で、依頼が山ほど舞い込んで、人手は足りなくて。ネルさんは毎日、朝から深夜まで書類と格闘しているらしい。
私はそっと露店の椅子を勧めた。ネルさんは崩れるように腰を下ろす。
「……ごめんね、レンちゃん。営業の邪魔して。でも、ちょっとあなたの顔を見たら……気が抜けちゃって」
その声には、いつもの張りがまるでなかった。しっかり者の受付嬢の仮面が剥がれ落ちて、ただ疲れ果てた一人の女性が、そこにいた。
「みんな、私を頼るのよ。『ネルさんなら大丈夫』『ネルさんに任せれば安心』って。……最初は嬉しかった。でも、もう限界。……なのに、断れないの。断ったら、みんなが困るから」
その言葉に、私はどきりとした。
……これは、前世の私だ。
「あなたならできる」「あなたに任せれば安心」。その言葉に応え続けて、断れなくて、積み重なって。……そして私は、あの非常階段で電池が切れた。
ネルさんも言っていた。昔、才能を買われて、期待されて、倒れるまで働いて。「便利な道具になってた」と気づいた、と。
……今のネルさんは、また、あの頃に戻りかけている。
◇
私は黙って、ネルさんにスープを出した。……いや、スープじゃない。
この人に今必要なのは、力じゃない。「頑張れる」料理じゃない。
「ネルさん。今日はこれ、どうぞ」
私が出したのは、とろとろに煮込んだ蜜熊のはちみつの、甘いデザートだった。あたたかくて、優しくて。ひと口食べれば、ふっと肩の力が抜けるような。
「……甘いもの? 私、そんな気分じゃ……」
「いいから。だまされたと思って、ひと口だけ」
この甘いデザートは、深層で採れた蜜熊のはちみつと、発酵蔵で少し寝かせた果実を使った特製だ。とろとろで、あたたかくて。ひと口口に含めば、優しい甘さがじんわりと広がる。
ネルさんは渋々スプーンを口に運んで――
動きが、止まった。
それから、ほろり、と涙をこぼした。
「……なに、これ。……なんで私、泣いて……」
甘いものは、心を整える。張り詰めていた糸が、ふっとゆるむ。抱え込んでいた疲れが、あたたかい甘さと一緒に溶けていく。
「……美味しい。……ああ、もう。だめだ、私。……疲れてたんだ、私」
ネルさんは泣きながらデザートを食べた。ずっと気を張って、「大丈夫」と言い続けて。本当はもう、とっくに限界だったのに。誰にも言えずにいた。
私はその隣に座って、ただ静かに待った。急かさず、何も言わず。
……こういうとき、無理に「頑張れ」とか「元気出して」とか言うのは、違うと思う。
疲れ果てた人に必要なのは、励ましじゃない。「頑張らなくていい」と言ってもらうこと。ちゃんと休んでいいと許してもらうこと。あたたかいものを食べて、少し泣いて、心の荷物を下ろすこと。
私の【秘密の隠し味】は、この甘いデザートに、ほんの少しの“落ち着き”のバフを乗せていた。ささくれ立った心をなだめる。張り詰めた神経をゆるめる。……戦うための力じゃない。心を整えるための優しさだ。
でも、たぶんバフなんてなくても、あたたかい甘いものはそれだけで、疲れた人の心をほどく。私のスキルは、そのあたたかさを少し後押ししただけ。
ネルさんはスプーンを動かすたびに、少しずつ、少しずつ、強張っていた肩の力が抜けていくのが、見ていてわかった。
そして、張り詰めていたネルさんの涙が、ほろりと、こぼれた。




