表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【新版】痛いのも苦労するのも嫌なので、お家で美味しいご飯を作って静かに暮らしたい(※ただしダンジョン最深部)  作者: 翠碧ノ人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
51/108

第51話 疲れ果てた、受付嬢

 その日、露店にやってきたネルさんは、ひと目でわかるくらい疲れ果てていた。


 目の下には、濃いくま。顔色は青白い。いつものしっかり者の覇気が、まるでない。


「……ネルさん。大丈夫ですか? すごい顔ですよ」


「……はぁ。ひどい言い方ね。……でも、否定できないわ」


 ネルさんは力なく笑った。


 聞けば、ここ最近、ギルドがとんでもなく忙しいのだという。冷害のあとの復興で、依頼が山ほど舞い込んで、人手は足りなくて。ネルさんは毎日、朝から深夜まで書類と格闘しているらしい。


 私はそっと露店の椅子を勧めた。ネルさんは崩れるように腰を下ろす。


「……ごめんね、レンちゃん。営業の邪魔して。でも、ちょっとあなたの顔を見たら……気が抜けちゃって」


 その声には、いつもの張りがまるでなかった。しっかり者の受付嬢の仮面が剥がれ落ちて、ただ疲れ果てた一人の女性が、そこにいた。


「みんな、私を頼るのよ。『ネルさんなら大丈夫』『ネルさんに任せれば安心』って。……最初は嬉しかった。でも、もう限界。……なのに、断れないの。断ったら、みんなが困るから」


 その言葉に、私はどきりとした。


 ……これは、前世の私だ。


 「あなたならできる」「あなたに任せれば安心」。その言葉に応え続けて、断れなくて、積み重なって。……そして私は、あの非常階段で電池が切れた。


 ネルさんも言っていた。昔、才能を買われて、期待されて、倒れるまで働いて。「便利な道具になってた」と気づいた、と。


 ……今のネルさんは、また、あの頃に戻りかけている。


    ◇


 私は黙って、ネルさんにスープを出した。……いや、スープじゃない。


 この人に今必要なのは、力じゃない。「頑張れる」料理じゃない。


「ネルさん。今日はこれ、どうぞ」


 私が出したのは、とろとろに煮込んだ蜜熊のはちみつの、甘いデザートだった。あたたかくて、優しくて。ひと口食べれば、ふっと肩の力が抜けるような。


「……甘いもの? 私、そんな気分じゃ……」


「いいから。だまされたと思って、ひと口だけ」


 この甘いデザートは、深層で採れた蜜熊のはちみつと、発酵蔵で少し寝かせた果実を使った特製だ。とろとろで、あたたかくて。ひと口口に含めば、優しい甘さがじんわりと広がる。


 ネルさんは渋々スプーンを口に運んで――


 動きが、止まった。


 それから、ほろり、と涙をこぼした。


「……なに、これ。……なんで私、泣いて……」


 甘いものは、心を整える。張り詰めていた糸が、ふっとゆるむ。抱え込んでいた疲れが、あたたかい甘さと一緒に溶けていく。


「……美味しい。……ああ、もう。だめだ、私。……疲れてたんだ、私」


 ネルさんは泣きながらデザートを食べた。ずっと気を張って、「大丈夫」と言い続けて。本当はもう、とっくに限界だったのに。誰にも言えずにいた。


 私はその隣に座って、ただ静かに待った。急かさず、何も言わず。


 ……こういうとき、無理に「頑張れ」とか「元気出して」とか言うのは、違うと思う。


 疲れ果てた人に必要なのは、励ましじゃない。「頑張らなくていい」と言ってもらうこと。ちゃんと休んでいいと許してもらうこと。あたたかいものを食べて、少し泣いて、心の荷物を下ろすこと。


 私の【秘密の隠し味】は、この甘いデザートに、ほんの少しの“落ち着き”のバフを乗せていた。ささくれ立った心をなだめる。張り詰めた神経をゆるめる。……戦うための力じゃない。心を整えるための優しさだ。


 でも、たぶんバフなんてなくても、あたたかい甘いものはそれだけで、疲れた人の心をほどく。私のスキルは、そのあたたかさを少し後押ししただけ。


 ネルさんはスプーンを動かすたびに、少しずつ、少しずつ、強張っていた肩の力が抜けていくのが、見ていてわかった。


 そして、張り詰めていたネルさんの涙が、ほろりと、こぼれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ