第48話 ティルの、里への想い
しばらくして、ティルがぽつりと言った。
「ねえ、レン。……ぼく、さとのこと、こわい。でも……ちょっとだけ、きになる。ばあちゃんの、おはかとか。……まだ、あるのかな、って」
あの、ティルにこっそりごはんを分けてくれた、優しいお婆さん。「鱗の厚さで生きる値打ちが決まるなんて、誰が決めたんだろうねえ」と笑ってくれた、あの人。冬に亡くなった。ティルがずっと、自分のせいだと抱え込んでいた、あの人。
あのお婆さんの話をするときだけ、ティルの声は、憎しみでも恐怖でもなく、あたたかい懐かしさで震える。
里は、ティルを傷つけた。でも、その里の中に、たった一人、この子を“人間”として扱ってくれた人がいた。飢えた子に自分の食事を分けてくれた、優しいお婆さん。「鱗の厚さで生きる値打ちが決まるなんて、誰が決めたんだろうねえ」と笑ってくれた人。
そのたった一つのあたたかい記憶が、ティルを“憎しみだけの人”にしなかった。この子がこんなに優しく育ったのは、きっと、あのお婆さんのおかげでもあるのだ。
「そっか。……いつか、一緒に行ってみようか。お婆さんに会いに」
私はそっと言った。
「あなたがこんなに元気になったって。ちゃんと名前も家族もできたって。……あたたかいごはんを毎日食べてるって。……報告しに行こう」
ティルの目が、じわりと潤んだ。
「うん。……いく。いつか、ぜったい」
「うん。約束」
私は小指を差し出した。ティルが小さな小指を絡める。
里は怖い場所だ。でも、その中にたった一つ、あたたかい記憶もある。
いつか、この子が、その記憶とちゃんと向き合える日が来るように。憎しみだけじゃなくて、あのお婆さんの優しさも、ちゃんと思い出せるように。
そのときは私も隣にいよう。……そう、心に決めた。
◇
その夜、箱庭に帰ってから。
私はティルに、あたたかいシチューを作った。あのお婆さんが分けてくれたという、里の素朴な料理。ティルの話を聞きながら、似せて作ってみたものだ。
ひと口食べたティルは、目を丸くして――それから、ぽろぽろと泣いた。
「……ばあちゃんの、あじ、に、にてる……」
「そっか。……よかった」
あたたかい味は、時を越えて人を支える。もういない人の優しさも、一杯の料理に込めれば、ちゃんとこの子の心をあたためられる。
ティルは泣きながら、シチューをぜんぶ食べた。「ばあちゃん、ぼく、しあわせだよ」と呟きながら。
食べ終えて、ティルは涙を拭って、それからまっすぐ私を見た。
「レン。……ぼく、きめた。いつか、さとに、いく。こわいけど。……でも、ばあちゃんに、あいたい。そして、いいたい。ぼくは、"できそこない"じゃ、なかったって。ちゃんと、なまえも、かぞくも、しごとも、あるって」
そのまっすぐな目に、私は胸を打たれた。
逃げるのでもない。憎むのでもない。ちゃんと向き合って、自分の値打ちを証明しに行く。……なんて強い子に育ったんだろう。
「うん。……行こう。一緒に。私も、ヒノも、ついてく。あなたが“出来損ない”なんかじゃないって、里のみんなに思い知らせてやろう。……あなたの美味しい料理で」
「うん!」
ティルの顔に、ようやく笑顔が戻った。涙のあとの、晴れやかな笑顔が。
その夜、私は心の中で、そっと、あの会ったこともないお婆さんに話しかけた。
……あなたが守ってくれた子は、今、ちゃんと幸せに暮らしています。名前も、家族も、居場所もできました。あたたかいごはんを毎日食べています。料理も覚え始めて、人を思いやれる優しい子に育っています。
……あなたの優しさは、ちゃんとこの子の中で生きています。だから、どうか安心してください。
もちろん、返事はない。でも――ティルの穏やかな寝顔を見ていると、なんだか、あのお婆さんも、どこかで微笑んでくれている気がした。
あたたかさは、時を越えて受け継がれる。お婆さんがティルにくれたものを、今度は私が受け継いで、ティルに渡していく。そして、いつかティルも、それを誰かに渡すのだろう。
……そういうふうに、あたたかさはめぐっていく。それが、この世界のいちばん優しい仕組みなのかもしれない。
……いつか、この子と、あの里へ行こう。お婆さんのお墓に、あたたかいシチューを供えに。
そのために、私はもっとこの子をあたためて、もっと強くしよう。憎しみに負けない優しさで。
あたたかい湯気の向こうで、ティルの涙が、少しずつ穏やかなものに変わっていくのを、私は静かに見守っていた。
帰れない里にも、いつか。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




