第36話 ティルの作った、はじめての一皿
何日か稽古を続けて、ある日、私はティルに言った。
「ティル。そろそろ、あなた一人で、誰かにごはん、作ってみようか」
「ぼく、ひとりで……!?」
「うん。作る相手は――あなたが決めていいよ。誰に食べさせたい?」
ティルは、うーん、と一生懸命考えて、それから、ぱっと顔を上げた。
「……ジオじいちゃん! このまえ、せきを、してた。げんきに、なってほしい」
ジオじいさん。街の、あの優しい老人。最近、少し風邪気味だと言っていた。
その答えに、私はまた、胸があたたかくなった。
この子は、ちゃんと覚えている。私が教えた、いちばん大事なこと。「食べてくれる人のことを思って、作る」ということを。
「いいね。じゃあ、ジオじいさんが元気になるごはんを作ろう。……どんな料理がいいと思う?」
「えっとね。……せきしてるから。あったかくて。のどに、やさしいの。……あまいのも、いれたら、げんきに、なるかな?」
甘味は、回復。あたたかいものは、体を癒す。……ちゃんと、法則もわかっている。でも、それ以上に、「喉に優しく」「元気になるように」という、その思いやりが、何より大事なのだ。
「完璧。……じゃあ、作ろうか。ジオじいさんのための、特別な一杯を」
◇
ティルは、一生懸命、作った。
あたたかいおかゆに、喉に優しい、すりおろした根菜。蜜熊のはちみつを少し。ヒノの優しい炎で、ことこと煮込んで。
手つきは、まだまだ拙い。味付けも、少し不安定だ。私は隣で見守りながら、危ないところだけ、そっと手を添えた。でも、味は――ティルが自分で決めた。
できあがったおかゆを持って、私たちはジオじいさんの家を訪ねた。
「おや、レンちゃん。それに、ティルぼうやも。どうしたね」
「ジオじいちゃん! これ、ぼくが、つくった! げんきに、なって!」
ティルが、少し照れながら、おかゆを差し出す。
ジオじいさんは、目を丸くして、それから、くしゃくしゃの笑顔になった。
「ほう……ぼうやが、わしのために。……こりゃあ、ありがたい」
ひと口すすって――じいさんの目が、うるんだ。
「……ああ。あったかい。……喉に、しみるようだ。……ぼうや。上手にできたなあ」
ティルの顔が、ぱあっと輝いた。生まれて初めて“誰かのために”作った料理を、「美味しい」と、「ありがとう」と言ってもらえた。その喜びに、ティルは、くしゃっと顔をゆがめて、泣きそうになった。
ジオじいさんは、おかゆを大事そうに最後まで食べて、それから、ティルの頭を、しわしわの手でそっと撫でた。
「ぼうや。……わしはな。長く生きてきて、わかったことがある。誰かのために、あたたかいものを作れる人間ってのはな。それだけで、もう、立派な一人前だ。……ぼうやは、もう、立派な料理人だよ」
「……ぼく、いちにんまえ……?」
「ああ。胸を張りなさい」
ティルは、こくこくと頷いて、それから、こらえきれずに、ぽろぽろと泣いた。里で「出来損ない」「使えない子」と言われ続けたこの子が。今、「立派な一人前だ」と言ってもらえた。
その言葉が、どれだけこの子の心をあたためたか。私には、痛いくらいわかった。
◇
帰り道。ティルは、まだ、興奮が冷めやらない様子だった。
「レン。……ぼく、うれしい。ジオじいちゃん、よろこんでくれた」
「うん。よかったね。……あのおかゆ、すごく美味しかったよ。ジオじいさん、きっと元気になる」
ティルの作ったおかゆは、正直、味付けは、まだ素人のものだった。私が作ったほうが、たぶん“美味しい”。
でも――あのおかゆには、私の料理にも負けない“何か”があった。
それはたぶん、「ジオじいさんに元気になってほしい」という、ティルのまっすぐな思いだ。
その思いこそが、いちばんの隠し味。
私の【秘密の隠し味】がなくても、誰かを思って作った料理は、ちゃんとその人をあたためる。ティルは今日、それを証明した。
「ねえ、ティル。あなた、いい料理人になるよ。……ううん。もう、なってる」
「ほんと……!?」
「うん。ほんと。……だって、あなたは、いちばん大事なことを、もう知ってるもの。誰かを思って作るってこと」
ティルは、へへ、と照れて、それから、私の手をぎゅっと握った。
「レンが、おしえてくれたから。……ぼくの、ししょうは、せかいいち」
その言葉がくすぐったくて、私は笑った。
あたたかい料理を作れる子が、また一人育っていく。もらったあたたかさを、今度は誰かに渡せる子が。
……料理人冥利に尽きる、というやつだ。私の、静かで賑やかな暮らしは、今日も少しずつ、あたたかさを広げていた。
教える側になる日も、来るのですね。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




