第35話 竜の子、料理の稽古はじめます
ある朝。ティルが、いつになく緊張した顔で、私の前に立った。
「レン。……あのね。ぼく、おねがいが、あるんだ」
「ん? どうしたの、あらたまって」
ティルは、ぎゅっと拳を握って、それから、意を決したように言った。
「ぼくに。……りょうり、おしえて、ください。ぼくも、レンみたいに、みんなを、しあわせにする、ごはん、つくれるように、なりたい」
まっすぐな、その目を見て、私は思わず微笑んだ。
里で“使えない子”と言われ続けたこの子が、「誰かを幸せにしたい」と言う。自分のためじゃなくて、誰かのために、何かをしたい、と。
……なんて、立派に育ったんだろう。
「いいよ。じゃあ、今日から、あなたは、私のいちばん弟子」
「いちばん、でし……!」
ティルの顔が、ぱあっと輝いた。しっぽが、ぶんぶん揺れる。ヒノも、面白そうに、ぐるる、と鳴いた。
「よろしく、おねがいします、ししょう!」
「師匠は、くすぐったいなあ。……まあ、いいか。じゃあ、さっそく始めようか」
◇
料理の稽古が始まった。
まずは、基本の基本から。包丁の握り方。野菜の洗い方。火の扱い方。
ティルの手つきは、相変わらず危なっかしかった。包丁で指を切りかけるし。(すぐ、鎮痛ゼリーの出番だ。)鍋を火にかけすぎて焦がすし、塩と砂糖を間違えるし。
いちばんの傑作は、塩のつもりでひとつまみ入れたのが、実は業火唐辛子の粉末だった、ときだ。
味見をしたティルは、しばらく無言で固まって、それから。
「……っ、から――――い!!」
口から火を噴きそうな勢いで、飛び跳ねた。(竜鱗族なので、比喩でなく、本当に噴きそうだった。)私もヒノも、大慌てで水を用意する羽目になった。
「あはは……ごめんごめん。でも、これも勉強。……ね、料理って、“味見”がいちばん大事なの。作りながら、ちゃんと味を確かめる。そうすれば、大きな失敗はしないから」
「……うう。からかった……」
涙目のティルが可笑しくて、私は、つい笑ってしまった。でも、ティルもすぐに、つられて笑った。失敗を笑い合える。それが、この家のいいところだ。
でも、私は一度も怒らなかった。
「そこ、もうちょっとゆっくり」「うん、上手」「大丈夫、焦げたら、やり直せばいい」
……そういえば、初めてこの子と朝ごはんを作った日も、こんな感じだったな。あのとき、ティルは、水をこぼして、「ぶたないで」と震えていた。
それが今は、「しっぱいしても、だいじょうぶ」と、笑ってやり直せる。
人は、変わる。あたたかい場所さえあれば、ちゃんと変われる。
その成長を見ているだけで、私は胸がいっぱいになった。
「レン、みて! にんじん、きれいに、きれた!」
「お、上手上手。……ね、料理って、楽しいでしょ」
「うん! たのしい!」
ティルのはしゃぐ声が、あたたかい箱庭に響く。
ヒノも、稽古に参加した。……というか、火加減の担当だ。
「ヒノ、もうちょっと、弱火で」
私が言うと、ヒノは、ふう、と優しく炎を細める。ティルが鍋をかき混ぜる。ふたり(一人と一匹)の、息の合った連携。まるで、小さな厨房のチームみたいだ。
……思えば、私も、前世で料理を覚えたときは、誰にも教えてもらえなかった。本を見ながら、失敗を繰り返しながら、一人でこつこつ覚えた。
誰かに「上手だね」と言ってもらえる。それだけのことが、どれだけ嬉しいか。私は、知らなかった。
だから、私はティルに、いっぱい言う。「上手」「いいね」「その調子」と。この子が、料理を“怖いもの”じゃなくて“楽しいもの”だと思えるように。誰かに認めてもらえる喜びを、知れるように。
それはたぶん、前世の私自身に、言ってあげたかった言葉でもあった。
そして、ティルが“はじめての一皿”を作る日が、やってくる。




