表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【新版】痛いのも苦労するのも嫌なので、お家で美味しいご飯を作って静かに暮らしたい(※ただしダンジョン最深部)  作者: 翠碧ノ人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/104

第32話 おなかを空かせた人を、放っておけない

 翌朝。その話をすると、ネルさんは、露骨に渋い顔をした。


「やめときなさい。時渡り羊が出るのは、相当深い階層よ。ベテランでも、生きて帰れない死地。……あなた、繭があるから、死にはしないでしょうけど。ティルちゃんや、ヒノを、そんな場所に連れて行くの?」


 その一言に、私は、はっとした。


 そうだ。私は繭がある。何があっても傷つかない。でも、ティルは違う。ヒノだって、まだ子どもだ。あの子たちを、危険な場所に連れて行くわけにはいかない。


「……そう、ですよね。すぐには行きません。もっと、ちゃんと準備してから」


「準備って、あなたね……」ネルさんは、ため息をついた。「まあ、あなたのことだから、止めても、いずれ行くんでしょうけど。……せめて、無茶はしないでよ。心配するんだから」


「……ネルさん。心配してくれるんですね」


「っ……! 当たり前でしょ! スープ、美味しいんだから。あなたにいなくなられたら、困るのよ!」


 顔を真っ赤にして、ネルさんは、そっぽを向いた。……本当に、素直じゃない。でも、あたたかい人だ。


「……ねえ、ネルさん。ひとつ、聞いていいですか」


 私は、ふと思いついて尋ねた。


「ネルさんの、いちばん懐かしい味って、なんですか」


 ネルさんは、きょとん、として。それから、少し考えて、ふ、と目を細めた。


「……そうねえ。子どもの頃、熱を出したときに、母が作ってくれた、すりおろしリンゴかな。あの、ちょっとすっぱくて、甘い……あれを食べると、あ、私、大事にされてるんだって、思えたの」


 その顔が、いつものしっかり者の受付嬢じゃなくて、ただの、昔の女の子の顔に見えた。


「……不思議ね。何十年も忘れてたのに。あなたに聞かれた途端、味まではっきり思い出したわ」


 懐かしい味は、その人のいちばんあたたかい記憶と結びついている。


 ネルさんには、それがある。ジオじいさんにも、あの行商人にも、たぶんある。


 私には――やっぱり、思い出せない。


 でも、その“ない”という事実が、なぜか今日は、そんなに寂しくはなかった。だって、私には、これからそれを作っていく相手が、いるのだから。


    ◇


 その日、露店の片付けをしながら、私はティルに聞いてみた。


「ねえ、ティル。あなたの、いちばん懐かしい味って、なに?」


 ティルは、うーん、と考え込んで、それから、ぱっと顔を上げて言った。


「レンの、はじめての、スープ」


「……え?」


「ぼくが、はじめて、レンに、もらった、スープ。あれが、ぼくの、いちばん、なつかしくて、だいすきな、あじ」


 不意打ちだった。


 この子にとって、いちばん懐かしい味は、遠い過去の思い出じゃない。つい、この前、私が初めてこの子に出した、あの一杯なのだ。


「レンは? レンの、いちばん、なつかしい味は、なに?」


 ティルが、逆に聞き返してきた。私は、少し言葉に詰まった。


「……わかんない、んだ。私、それが。小さい頃、あんまり、あったかいごはんを食べた記憶がなくてね。だから、“懐かしい味”っていうのが、私にはないみたい」


 ティルは、しばらく、きょとん、としていた。それから、真剣な顔で、私の手をぎゅっと握った。


「じゃあ、これから、つくろう。ぼくと、レンの、“なつかしい味”。まいにち、いっしょに、たべて。……いつか、それが、レンの、いちばんの、なつかしい味に、なるように」


 不意打ちだった。二度目の。


 この子は時々、こうやって、私のいちばん柔らかいところに、まっすぐ優しさを差し込んでくる。里で、あんなに傷つけられたのに。どうして、こんなに優しくなれるんだろう。


    ◇


 その夜、私は、ティルとヒノのために、いつもより少しだけ手の込んだシチューを作った。


 行商人が言っていた、“母親のシチュー”の話が、心に残っていたのかもしれない。私には、そういう記憶がないから。せめて、自分で作ってみたかった。あたたかくて、優しくて、いつまでも忘れられないような、そんな一皿を。


「わあ……いいにおい」


 ティルが、目を輝かせた。


「これはね、“はじまりの味”。私と、ティルと、ヒノの。これから、たくさん増えていく思い出の、いちばん最初の一皿」


 ティルは、ひと口食べて、ふにゃり、と幸せそうに笑った。ヒノも、器に顔を突っ込んで、美味しそうに目を細めた。


「……あったかい。ぼく、これ、ずっと、おぼえてる」


「うん。……いつか、あなたが大きくなって、何かにつまずいて、心が冷えたとき。今日のこの味を思い出して、また歩き出せるように。……そういう味になるといいな」


 私はそう言って、ティルの頭を撫でた。


 いつか、この子が大人になっても、今日のこのあたたかい味を覚えていてくれたら。そのとき、私がもう隣にいなくても、この味が代わりに、この子をあたためてくれる。


 ……料理人が残せるものは、たぶん、そういうものだ。あたたかい味の記憶。それは、時を越えて、人を支え続ける。ちょうど、あの時渡り羊の出汁みたいに。


 それでいい、と思った。


 懐かしい味は、遠い過去に探すものだけじゃない。これから、二人と一匹で作っていくものでもいい。


 ……それでも。いつか、あの羊の出汁を飲んでみたい。私の空っぽの記憶の、いちばん奥に、何があるのか。確かめてみたい。


 そのためには、もっと力をつけて、ちゃんと備えて、いつか、あの深い、深いダンジョンの奥へ。


 その思いを、そっと胸にしまって、私は今日も、あたたかい一杯を煮込むのだった。

一杯の出汁が、誰かの記憶を呼ぶ。

次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ