第29話 秋の終わり、冬支度
その年の、秋の終わり。
街に、少しずつ、不穏な噂が流れ始めた。
「今年は、どうも、作物の出来が悪いらしい」
「北の村じゃ、もう蓄えが底をつきかけてるって」
「この冬は……厳しくなるかもしれんなあ」
冷害、というやつだった。夏が短くて、秋が早くに冷え込んだせいで、あちこちの畑が不作になった。このままだと、冬を越すための食料が、街全体で足りなくなるかもしれない。
人々の顔に、じわじわと、不安の影が差し始めた。
市場では、日に日に食べ物の値段が上がっていった。買いだめに走る人。少ない食料をめぐって、いがみ合う人。あたたかかった街の空気が、少しずつ、ぴりぴりと張り詰めていく。
ギルドでも、ネルさんが頭を抱えていた。
「困ったわ……。備蓄は心もとないし、北から食料を運ぼうにも、どこも不作で。……この冬、越せるか、微妙なところよ」
飢饉。その恐ろしい言葉が、人々の頭をよぎり始める。
あたたかい食卓を脅かすのは、帝国だけじゃない。こういう自然の厳しさも、人から笑顔を奪っていく。
……でも。
◇
でも、私は、そう慌ててはいなかった。
なぜなら――私の箱庭には、たっぷりと蓄えがあったからだ。
毒霧スライムの発酵調味料。じっくり熟成させた干し肉。塩漬けの野菜。乾燥させたきのこや山菜。深層で採れた、日持ちのする食材。……この体になってから、私は、こつこつと保存食を貯め込んでいた。
前世で身に染みた教訓だ。備えは大事。心の備蓄が底をついて、私は一度、倒れたのだから。だから今世は、食べ物も、心も、たっぷり蓄えておく。
それが、今、街を救うことになるとは。
「ネルさん。私の保存食、街に出しましょう」
私がそう言うと、ネルさんは、目を見開いた。
「え……いいの? あなたの、大事な蓄えでしょう」
「はい。……でも、私一人が抱えてても、仕方ないですから。困ってる人がいるなら、使ってもらったほうがいい」
ネルさんはしばらく私を見つめて、それから、ふっと笑った。
「……あなた、ほんとに。自分のことより先に、人のこと、考えるのね」
「そんな立派なもの、じゃないですよ。……ただ、腹を空かせた人がいる街で、私だけ蓄えを抱えて、ぬくぬくしてたら。……ごはんが美味しくなくなりそうなので」
それは、本音だった。
目の前で、誰かが飢えているのに、自分だけあたたかいものを食べる。そんなの、味がしない。前世で、味のしない飯をさんざん食べた私には、それがいちばん耐えられなかった。
みんながあたたかいものを食べて、笑っている。その中で食べるごはんが、いちばん美味しいのだ。だから、これは優しさというより、私の“美味しく食べるためのわがまま”みたいなものだった。
「……ま。理由は、なんでもいいわ」ネルさんは、肩をすくめた。「とにかく、助かる。ありがとう、レンちゃん。……この恩は、街のみんな、絶対、忘れないから」
「大げさですよ。……さ、善は急げ。さっそく始めましょう」
◇
私は、箱庭の保存食を、少しずつ街に放出した。
発酵調味料を分ければ、少しの食材でも、深い味の料理が作れる。干し肉や乾物を分ければ、日持ちする栄養が行き渡る。
それだけじゃない。私は、ヒノとティルを連れて、深層へも食材の調達に通った。
冷害は、地上の話。ダンジョンの地底には関係ない。深層には、相変わらず、地底きのこや、光る苔や、地下水の魚が、豊かに実っていた。危険で、誰も手を出さない、その宝の山を、私は繭で身を守りながら、遠慮なく収穫した。
地上が飢える冬に、地の底から食料を運んでくる。……我ながら、とんでもない食料庫を持ったものだ。
「役に立たない場所なんて、ない、か」
誰も近づかない、危険な深層が、今、街の飢えを救う恵みの大地になる。危ない、怖い、と遠ざけられるものほど、ちゃんと向き合えば、とびきりの宝物になる。いつもの、私の口癖どおりだった。
そして――ここで活躍したのが、あの“炊き出し”の仕組みだった。
私が始めた、あたたかい支え合いは、もう、この街に根付いていた。パン屋も、八百屋も、冒険者も。みんなが少しずつ持ち寄って、困っている人に分け合う。
――冬は、もう、すぐそこまで来ていた。




