第20話 はじめての、みんなの「いただきます」
ぽつり、とこぼれた本音に、私はどきりとした。それ、前世の私だ。
「じゃあ、これからは、うちに来てください。冷めたパンより、あったかいスープのほうが、絶対いいですから」
「……もう。そういうこと、さらっと言うの、ずるいわよ」
ネルさんは、赤い顔でそっぽを向いて、それから、ちょっと笑った。
……ああ、そうか。
ふと、気づいた。
ここにいる人たちは、みんな、どこか、私と似ている。
ジオじいさんは、一人暮らしで、長いこと、誰とも食卓を囲んでいなかった。ネルさんは、有能すぎて、頼られすぎて、疲れきっていた。ガーゴさんは、強面のせいで、案外、友達が少ないらしい。ティルは、言うまでもない。
みんな、それぞれの理由で、一人でごはんを食べてきた人たちだ。
その人たちが、今、ここで、同じ鍋を囲んでいる。笑って、食べて、あたたかい湯気の中にいる。
私が、前世でいちばん欲しかったもの。
「ちゃんと食べてる?」と聞いてくれる誰か。あたたかいものを、あたたかいうちに、一緒に食べてくれる誰か。
それが――今、ここにあった。
私が作った。この、小さな、あたたかい食卓を。
鼻の奥が、つんと痛くなった。
「……レン?」
ティルが、私の顔を心配そうに覗き込んだ。
「どうしたの。ないてる?」
「……泣いてないよ。ただ、ちょっと」
私は笑って、目元をぬぐった。今日は、もうごまかさなかった。
「……美味しいなあ、って思っただけ。みんなで食べると、こんなに美味しいんだね」
一人で食べる一杯も、あたたかい。でも、みんなで囲む食卓は、それとは比べものにならないくらい、あたたかかった。
こんなことなら、もっと早く知りたかった。前世の、あの、味のしない孤独な夜に。
でも――今、知れて、よかった。心から、そう思った。
◇
宴が、お開きになる頃。
ジオじいさんが、帰り際、私の手を両手でそっと握った。
「聖女様。……いや、レンちゃん。わしは、今日のことを、死ぬまで忘れんよ。こんなにあたたかい夜は、女房が死んでから、初めてだ」
その、皺だらけの手が震えていた。
「また、来てくださいね。ジオじいさん。うちの食卓、椅子はまだ、たくさん空いてますから」
私が言うと、ジオじいさんは、くしゃくしゃの笑顔で、何度も頷いた。
ネルさんは、帰り際、少しだけ真面目な顔で、私に言った。
「レンちゃん。……今日、ありがとね。私、久しぶりに、仕事のこと忘れて、笑った気がする」
「また、いつでも来てください。まかない、作りますから」
「うん。……ねえ、ひとつだけ、いい?」
ネルさんは、少しためらってから言った。
「あなた、たぶん、これから、もっと有名になる。もっといろんな人が、あなたに群がってくる。……その中には、良くない奴もいると思う。国とか、そういう大きなやつが。だから、気をつけて。何かあったら、私を頼りなさい」
その言葉に、私は少し驚いた。この前の貴族。今日の噂。ネルさんは有能だから、私よりずっと先の危険が見えているのだろう。
「……はい。ありがとうございます、ネルさん」
「ん。……じゃ、また明日。仕事、行きたくないなあ」
ぼやきながら、ネルさんは帰っていった。ほんと、いい人だ。
みんなを見送って、箱庭に、私とティルだけが残った。
散らかった食器。空になった鍋。でも、部屋には、まだあたたかい空気と、みんなの笑い声の余韻が残っていた。
「……たのしかった」
ティルが、ぽつりと言った。
「うん。楽しかったね」
私は頷いた。
静かに暮らしたい。目立ちたくない。その願いは、もう完全に崩れてしまった。
でも――もう、いいや、と思った。
静かすぎる暮らしは、たぶん寂しい。私はそれを、前世で嫌というほど知っている。
だったら、少しくらい賑やかでも、いい。あたたかい食卓が、ここにあるのなら。
私は、散らかった食器を片付けながら、ふと、テーブルの椅子の数を数えた。
私と、ティルの、二脚。それに、今日、ジオじいさん、ネルさん、ガーゴさんが座った、三脚。
最初は、私、一人ぶんの椅子しかなかった。前世でも、今世でも、ずっと一人ぶんだった。
それが今は、五脚。
「……椅子、もっと増やそうかな」
ぽつり、と私は呟いた。
「いす?」
「うん。うちの食卓の椅子。……なんだか、これから、もっと増える気がするの」
根拠はない。ただ、そんな予感がした。あたたかい食卓は、たぶん、人を呼ぶ。腹を空かせた人、心の寒い人が、このあたたかい湯気を嗅ぎつけて、集まってくる。ちょうど、ティルがそうだったように。
それは、私の「静かに暮らしたい」という願いとは、正反対の未来かもしれない。
でも、不思議と、嫌な気はしなかった。むしろ、その賑やかな食卓を、少しだけ楽しみに思っている自分がいた。
「ティル。また、みんなで、ごはん、しようね」
「うん! する!」
小さな箱庭に、二人の声があたたかく響いた。
――こうして、私の食卓は、少しずつ賑やかになっていく。
この食卓が、いつか、この世界を変えてしまうなんて。
このときの私は、まだ、これっぽっちも知らなかったのだけれど。
みんなで囲む食卓は、あたたかい。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




