第19話 きっかけは、ほんの思いつき
きっかけは、ほんの思いつきだった。
その日は、ちょうど鋼牙イノシシの良い部位が、たっぷり余っていた。氷霧クラゲの一件も、無事に片付いた。ティルの狩りも板についてきた。なんとなく、めでたい気分だった。
「ねえ、ティル。今日は、ちょっと豪華にいってみようか」
「ごうか?」
「うん。……せっかくだから、何人か呼ぼうか。あの痩せたお爺さんとか。ネルさんとか。ガーゴさんとか」
言ってから、自分でも少し驚いた。
人を家に呼ぶ。誰かと囲んで食べる。そんなこと、前世でも今世でも、私は一度もしたことがなかった。ずっと一人だった。一人が気楽で、面倒がなくて、いいと思っていた。
でも、なぜだろう。今日は、そうしたい気分だった。
ティルが、ぱあっと顔を輝かせた。
「する! みんなで、ごはん、する!」
その顔を見たら、もう後には引けなかった。
……まあ、いいか。たまには、こういうのも。
◇
その夜。
箱庭に、お客さんが集まった。
露店の常連の、痩せた老人。名前を、ジオじいさん、というらしい。「わしなんかが、お邪魔していいのかね」と、何度も遠慮していた。
ネルさん。「私、呼ばれるほど、あなたと仲良かったっけ?」と言いながら、しっかり、手土産の果実酒を持って来てくれた。
ガーゴさん。「聖女様の家に招かれるなんて、光栄だ!」と、大真面目に正装してきて、その場違いっぷりに、みんなで笑った。
小さな箱庭が、ぎゅうぎゅうに賑やかになった。
テーブルには、私が腕によりをかけた料理が並んだ。蕩ける鋼牙イノシシの煮込み。琥珀色の出汁のスープ。ティルの鱗でふっくら蒸した野菜。氷霧クラゲの、ひんやり冷たい清涼スープ。保存していた素材を、全部使いきったごちそうだった。
実を言うと、私は料理を作っている間、ずっとそわそわしていた。人を招くのは初めてだ。喜んでもらえるだろうか。口に合うだろうか。柄にもなく、緊張していた。
でも、包丁を握れば、その緊張もどこかへ消えていく。刻んで、煮込んで、味をととのえる。そのいつもの手順を繰り返すうちに、心が静かに凪いでいく。私にとって、料理はそういう時間だった。前世の荒れた心を、いつも静めてくれた、唯一の時間。
だから、今日の料理は、いつにも増して丁寧に作った。このあたたかい時間を、来てくれる人たちに、まるごと味わってほしくて。
湯気が立つ。あたたかい匂いが、狭い部屋に満ちる。
みんなの顔が、その湯気の向こうでゆるんでいく。ジオじいさんも、ネルさんも、ガーゴさんも、ティルも。今日一日の疲れが、その一瞬だけ、どこかへ溶けていくみたいに。
「じゃあ……えっと」
私はなんだか、柄にもなく緊張していた。人を招いて食卓を囲むなんて、初めてだから。
でも、言うべき言葉は決まっていた。
「みなさん。……いただきましょうか」
みんなが、手を合わせた。
ジオじいさんも、ネルさんも、ガーゴさんも、ティルも。そして、私も。
「「「いただきます」」」
小さな箱庭に、いくつもの「いただきます」が重なった。
◇
それは、賑やかな夜だった。
ガーゴさんは、豪快に食べて、豪快に笑った。ネルさんは、果実酒を片手に、日頃の愚痴を面白おかしくこぼした。ジオじいさんは、蕩ける肉を一口ずつ、大事そうに味わった。ティルは、みんなに囲まれて、少し戸惑いながら、でも、ずっと嬉しそうだった。
「しかしよ、聖女様」と、ガーゴさんが肉を頬張りながら言った。「オレは、ずっと、強くなりてえって、そればっかり考えて生きてきた。でもよ、こうして、うまい飯を仲間と食ってると……なんつうか、これでいいんじゃねえかって、思えてくるな」
「あら、ガーゴ。あんた、意外と、いいこと言うじゃない」と、ネルさん。
「うるせえ。オレだって、たまにはしみじみするんだよ」
ジオじいさんが、くっくっと笑った。
「若いの。それは、大事なことだよ。わしは、この歳になって、やっとわかった。強さも、金も、あの世には持っていけん。でも、こうして、誰かと囲んだあたたかい食卓の記憶は……最期まで、心をあたためてくれる」
その言葉に、テーブルが、しん、と静かになった。
みんな、それぞれの人生で、それぞれの寂しさを抱えてきた人たちだ。ジオじいさんの言葉は、たぶん、全員の胸のどこかに届いていた。
「……なんか、しんみりしちゃったわね」と、ネルさんが照れ隠しみたいに、果実酒をあおる。「ほら、レンちゃん。おかわり。こんな美味しいもの、しんみりしながら食べたら、もったいないでしょ」
「はい、ただいま」
私は笑って、鍋におたまを入れた。みんなの器が空くたびに、おかわりをよそう。
「いやあ、聖女様の家が、まさかこんな不思議な場所とはな!」
ガーゴさんが、箱庭のあり得ない夕暮れの景色を見て、豪快に笑った。亜空間の家、なんていうとんでもないものを見ても、この人は細かいことを気にしない。「美味い飯が食えりゃ、なんでもいい!」の一点張りだ。ある意味、いちばん付き合いやすい。
ネルさんは、果実酒で少し頬を赤くしていた。
「……ねえ、レンちゃん。私ね、ほんとは、こういうの憧れてたのよ。仕事帰りに、気の置けない人と、あったかいごはんを食べるの。……でも、いつも書類に追われて、気づいたら、一人で冷めたパン、かじってて」
その何気ないひと言が、前世の私の胸を、そっと突いた。




