第17話 痛いのは嫌なので、痛み止めを作ります
事件は、些細なことから起きた。
箱庭で薪を割ろうとして――私は思いっきり、指をかまどの角にぶつけたのだ。
「――っっっ!! いっ……痛ぁぁぁいっ!!」
私はその場にうずくまった。じんじんと痺れる指を抱えて、しばらく動けなかった。
……そう。ここが、私の最大の弱点だ。
【硝子の繭】は、あらゆる攻撃を百パーセント防ぐ。魔物の牙も、剣も、魔法も、まったく効かない。でも、それは「繭を張っているとき」の話だ。
日常のふとしたうっかり。指をぶつけるとか、熱いものに触るとか。そういう不意打ちの痛みには、繭は間に合わない。というか、いちいち日常で繭を張っていたら、料理も掃除も、何もできない。
つまり、私は――「魔王の攻撃には無敵だが、家事でうっかり怪我する」という、なんとも締まらない存在なのだった。
「レン、だいじょうぶ!?」
ティルが慌てて駆け寄ってくる。
「……だいじょうぶ、じゃ、ない。痛い。世界でいちばん、痛いのが嫌なのに……」
私は涙目で、指をさすった。
痛いのは嫌だ。断固として嫌だ。魔物が怖いんじゃない。痛いのが嫌なのだ。
――よし。決めた。
「ティル。私、痛み止めを作る。二度と、こんな思いはしない」
ティルは、私のあまりの気迫に、こくこくと頷いた。
思えば、私という人間の行動原理は、ほとんどこの一点に集約される。「痛いのが嫌」。
魔物と戦わないのも、痛いから。目立ちたくないのも、面倒事に巻き込まれて心が痛むのが嫌だから。あったかいごはんを作るのも、冷たくて味のない、あの、心の痛くなる食事を、二度としたくないから。
私の伝説級のスキル、【硝子の繭】だって、そうだ。あれはたぶん、私の「絶対に傷つきたくない」という切実すぎる願いが、形になったものなんじゃないかと、時々思う。
痛いのが嫌。ただ、それだけ。それが、私のすべての原動力だった。
だから、この痛み止め作りにも、私は本気だった。料理より真剣だったかもしれない。
◇
痛みを和らげる。そのための素材。
私には、心当たりがあった。
ギルドで小耳に挟んだ話だ。街外れのじめじめした沼に、「氷霧クラゲ」という魔物が棲んでいる。ふわふわと宙に漂う、透明なクラゲ。厄介なのは、その体から漂う霧で、これに触れると体の感覚が鈍くなる。痛みも寒さも、感じにくくなるのだという。
冒険者にとっては、「感覚が鈍って戦えなくなる」ので、厄介な魔物。誰も近づかない。
でも――私の目から見れば。
「痛みを鈍らせる霧」なんて、これはもう、最高の鎮痛剤の原料じゃないか。
「行こう、ティル。クラゲ狩りだ。……といっても、私は狩らないけど」
「レンは、まもる、だけ?」
「そう。私は繭を張って、突っ立ってるだけ。あなたが頼りだよ」
ティルは、ぐっと拳を握った。この前の鋼牙イノシシで、少し自信がついたらしい。「まかせて」と、たどたどしく、けれど頼もしく頷いた。
◇
沼は、噂どおり、じめじめして薄気味悪い場所だった。
足元はぬかるみ、空気はじっとりと重い。冒険者が寄りつかないのも、うなずける。
白い霧が、ふわふわといくつも漂っている。あれが氷霧クラゲだ。近づくと、確かに、指先の感覚がすうっと遠のいていくのがわかる。
ふいに、沼の泥の中から、何かが飛び出した。牙をむいた、沼のトカゲ。私たちを獲物と見て、襲ってきたのだ。
ティルが、びくっと身を固くする。でも――もう、この子は逃げなかった。
「レンは、さがってて」
小さな声でそう言って、ティルは前に出た。薄い鱗の腕を構えて。この前とは違う。守られるのを待つんじゃない。自分から守ろうとしている。
私は、少しだけ口出しを我慢した。もちろん、いざとなれば繭で守る。でも、それまでは、この子の成長を信じたい。
沼トカゲが飛びかかる。ティルはぐっと踏みとどまり――狙いすまして、その顎に拳を叩き込んだ。ごつっ、と鈍い音。沼トカゲはひっくり返って、泥の中へ逃げていった。
「……やった。おいはらった」
ティルが、自分の拳を見つめて、ぱっと笑う。
「うん。かっこよかったよ。もう、いっぱしの狩人だね」
私が褒めると、ティルは照れて、鼻の下をこすった。その顔がなんだか、少したくましく見えて、私もつられて笑った。
「なるほど。これは確かに、痛みが鈍る」
私は試しに、霧に手をかざした。さっきぶつけた指の、じんじんした痛みが、すうっと引いていく。おお。効果てきめんだ。
問題は、この霧をどうやって持ち帰るか。そして、どうやって“痛みだけ鈍らせて、他の感覚は残す”よう調整するか。感覚が全部鈍ったら、それはそれで困る。料理の味が、わからなくなる。
私は、氷霧クラゲを、ティルにそっと捕まえてもらった(もちろん、私が繭で守りながら)。そして、箱庭に持ち帰って、じっくりと研究にとりかかった。
クラゲの霧の成分を、冷やして固める。濃さを、少しずつ変えながら試していく。濃すぎれば、感覚が全部消える。薄すぎれば、効かない。ちょうどいい塩梅を探る。
一回目は、濃すぎた。味見をしたら、舌の感覚までなくなって、しばらく、何を食べても味がしなかった。これは料理人として、いちばん避けたい事態だ。全力でやり直した。
二回目は、薄すぎた。痛みが、ちっとも和らがない。
三回目、四回目、五回目。ティルが隣で、心配そうに見ている。「レン、むりしないで」と。
「大丈夫。これは、私のいちばん大事な仕事だから」
痛くない暮らしのためなら、私はいくらでも粘れる。料理と同じだ。素材のいちばんいい使い方を探り当てるまで、諦めない。面倒くさがりのくせに、こういうときだけはしつこい。我ながら。
――そして、三日後。
私はついに、完成させた。
「痛み止めゼリー」。ぷるぷると透明な、涼しげなゼリー。ひと口食べると、痛みや不快な感覚だけが、すうっとやわらぐ。でも、味覚や他の感覚は、ちゃんと残る。我ながら、完璧な出来だった。
しかも、ほんのり、はっか(薄荷)のような清涼感がある。ただの薬じゃなくて、ちゃんと美味しい。ここは、料理人としてのこだわりだ。良薬は口に苦し、なんて、私は認めない。良い薬ほど、美味しくあるべきだ。そのほうが、みんな続けて食べてくれる。
試しに、氷霧クラゲの霧を、ほんの少し料理にも使ってみた。すると、暑い日にぴったりの、体の火照りをすっと引かせる、冷たいスープができた。素材は、使い方次第。痛みを鈍らせる霧が、真夏のごちそうになる。……やっぱり、役に立たない素材なんて、この世にひとつもない。
その“痛み止め”が、思わぬ形で役に立つ日は、すぐにやってきた。




