第15話 聖女様の、お通りです(誤解)
その日、ギルドの受付嬢・ネルさんは、明らかに様子がおかしかった。
朝から、私の露店を遠くから、じーっと見ている。手元の帳簿と私の鍋を、何度も見比べては、眉間の皺を深くしている。
この人がこういう顔をするのは、初めてじゃない。というより、私を見るとき、いつも少しだけこういう顔をしていた。有能な人特有の、「計算が合わない」という顔。数字の合わなさを放っておけない、職業病みたいなものだ。
でも、今日はいつもより、その顔が深刻だった。とうとう腹をくくったな、と、私にはわかった。
こういうときの有能な人は、面倒だ。前世でも、鋭い先輩ほど、私の「大丈夫です」の嘘を見抜いてきた。誤魔化しきれない相手、というのが、世の中にはいる。
……ああ。これは、いよいよだな。
案の定。昼の混雑が引けた頃、ネルさんは意を決したように、私のところへやってきた。
「レンちゃん。……少し、二人で話せる?」
「はい。どうぞ」
私たちは、ギルドの裏手の、人気のない一角に移動した。ネルさんは帳簿を抱えたまま、しばらく、言葉を選ぶように黙っていた。それから、意を決して口を開いた。
「単刀直入に聞くわ。……あなた、何者?」
◇
「あなたのスープを飲んだ冒険者は、格上の魔物を倒す。誰も食べられなかった鋼牙イノシシを、あなたは蕩けさせる。あなたの露店に並んだ人は、みんな翌日、調子がいいって言う」
ネルさんは、指を折りながら数え上げていく。
「私、受付嬢を長くやってるの。だから、わかる。これは偶然じゃない。あなたの、何かのスキルの効果でしょう」
鋭い。さすが、有能な人だ。
「それなのに」と、ネルさんは帳簿を開いて、あるページを私に見せた。私がギルドに登録したときの記録だ。
「あなたのスキル鑑定の記録は、『ランク1・調理』。たったそれだけ。……ランク1が、こんなことできるはずがないのよ」
私はその帳簿を、じっと見た。そこには確かに、「ランク1・調理」とだけ記されている。
嘘じゃない。これは、本当のことだ。私が鑑定を受けたとき、私は料理のスキルしか起動していなかった。だから、鑑定水晶にはそれしか映らなかった。
この街に来て、最初にギルドで登録したとき。私は慎重に、慎重に、料理のスキルだけを表に出した。他の三つ――痛みを防ぐ膜も、亜空間の家も、視界を操る力も、ぜんぶ器の奥に、そっと沈めて。
鑑定官は、水晶を覗いて、退屈そうに言った。「ランク1、調理。……はい、次」と。それで終わり。誰も、私を気に留めなかった。私はその瞬間、心の中で盛大にガッツポーズをした。作戦成功、と。
目立たない。期待されない。使い潰されない。それが、私の今世の最重要目標だったから。
この世界の鑑定は、「今、起動しているスキル」しか映さない。使っていないスキルは、器の奥に沈んで見えない。だから私は、人前では料理しかしない。そうすれば、私は永遠に「ランク1の料理好き」でいられる。
嘘は、ひとつもついていない。ただ、見せる手札を選んでいるだけ。
でも――それを、ネルさんに説明する気はなかった。
私はいちばん、のんびりした声で言った。
「ネルさん。世の中には、知らないほうが幸せなことも、あると思うんです」
◇
ネルさんは、私の顔をじっと見た。
私も、見つめ返した。にっこりと。いちばん無害に見えるように。
沈黙が、しばらく続いた。
ネルさんの目が、私の四つのスキルのいちばん奥まで見透かそうとするみたいに、細められる。有能な人特有の、答えに辿り着く直前の、鋭い目。
私は、その視線を平然と受け止めた。焦らない。動じない。顔色ひとつ変えない。
だって、私は嘘をついていないのだ。鑑定の記録は「ランク1・調理」。それは、本当のこと。私はただ、その本当のことの外側を見せていないだけ。嘘をついていない人間は、強い。追及されても、揺らがない。前世で、嘘のプロジェクト報告に胃を痛め続けた私は、それを痛いほど知っていた。
やがて――ネルさんが、先に目を逸らした。そして、盛大な、盛大なため息をついた。天を仰いで、両手で顔を覆って、それはもう、魂の抜けたようなため息を。
「…………はぁぁぁぁ」
「ネルさん?」
「わかった。わかったわよ。……うん。私は、なにも見てない。なにも聞いてない。あなたは、ただの、料理が得意なランク1の女の子。それでいい。それでいきましょう」
「……いいんですか?」
「よくない。よくないけど!」
ネルさんは、ばっと顔を上げた。その目には、諦めと、覚悟と、それから、なぜか少しの親しみが滲んでいた。
「私、長年の勘でわかるの。あなたに深入りしたら、絶対、とんでもなく面倒なことに巻き込まれる。国とか、そういう、大きくて厄介なやつに。……違う?」
「……否定は、しません」
「でしょうね!」
ネルさんは、がっくりと肩を落とした。それから、ふ、と力を抜いて笑った。
「でも、まあ。あなたの作るものが美味しいのは、本当だし。あなたが、あの痩せたお爺さんにタダでスープをあげてたのも、見てたし。……悪い子じゃ、ないのよね。むしろ、お人好しすぎる」
「お人好し、ではないですよ。ただの、めんどくさがりです」
「はいはい。そういうことにしておきましょう」
けれど、ネルさんの次のひと言が、私たちの関係を、そっと変えることになる。




