第14話 スープを飲んで、泣くお爺さん
その日、行列の中に、ひとり、ずいぶんと痩せた老人が並んでいた。
身なりは、みすぼらしい。手には、握りしめたほんの数枚の銅貨。順番が来ると、彼は申し訳なさそうに俯いた。
「あの……スープを、ひとつ。……いや、やっぱり、いい。もっと、必要な人が……」
言いかけて、老人は列を離れようとした。持っている銅貨でスープを買ってしまえば、たぶん、その日の他の何かが買えなくなる。そういう、ぎりぎりの暮らしの人だと、ひと目でわかった。
私は、その背中に声をかけた。
「おじいさん。ちょっと待って」
私は、いちばん大きな器にたっぷりとスープをよそって、具も多めに入れて、差し出した。
「これ、味見の残りなんです。売り物にできないから、もらってくれると助かります。……お代は、いりません」
嘘だ。味見の残りなんかじゃない。ちゃんとした一杯だ。でも、こういう嘘は、ついていい嘘だ。
老人は、目を大きく見開いた。それから、震える手で器を受け取って、ひと口すすって――ぽろぽろと涙をこぼした。
「……あったかい。あったかい、なあ……」
しばらく、誰も食べさせてくれる人がいなかったのだろう。
私には、その気持ちが少しわかった。前世の私もそうだった。忙しさの中で、誰も私に「ちゃんと食べてる?」なんて聞いてくれなかった。あたたかいものを、あたたかいうちに食べさせてくれる人なんて、いなかった。
だから。せめて、私にできることは、これくらいだ。
その日から、私はこっそり決めた。お金のある人からは、ちゃんと代金をもらう。でも、本当に困っている人には「味見の残り」を、そっと渡す。露店の売上で、その分は十分まかなえる。
施し、なんて大層なものじゃない。ただ、目の前で腹を空かせた人を見て、見て見ぬふりができないだけ。前世で、私がいちばんしてほしかったことを、しているだけ。
「おかわりもありますからね。ゆっくり食べてください」
ジオじいさん、というらしいその老人は、それから、毎日のように私の露店に来るようになった。もう、無理はさせない。私はいつも、こっそり「味見の残り」をたっぷり彼に渡した。
彼は、来るたびに少しずつ、顔色が良くなっていった。最初は、幽霊みたいに青白かったのに。あたたかいものを毎日食べる。それだけで、人はこんなにも変わる。
……ごはんって、すごい。あらためて、そう思う。剣でも、魔法でもない。ただのあたたかい一杯が、死にかけの人を生き返らせる。
私が、この世界でいちばん信じている力だ。
◇
老人が涙をぬぐいながらスープを飲む様子を、ティルがじっと見ていた。
そして、ぽつりと言った。
「レンは、やっぱり、せいじょさま、かも」
「え。ティルまで、それ言う?」
「だって。おなかすいてる人、ほうっておけないの、せいじょさま、みたいだもん」
まっすぐな目で、そう言われた。
私は、うーん、と唸った。
聖女、なんて大層なものじゃない。私はただ、腹を空かせた人を見ると放っておけないだけだ。それは優しさというより、むしろ――前世で、ずっと空腹を、心の空腹を放っておかれた側だったから、かもしれない。
放っておかれるのが、どれだけ寂しいか。知っているから。だから、目の前の誰かには、そうしたくない。
「……ま、聖女でも、なんでも、いいか」
私は、次のお客さんにスープをよそいながら、小さく呟いた。
呼び名なんて、どうでもいい。ただ、あたたかいものを、あたたかいうちに誰かに食べてもらえる。今は、それで十分だった。
――ただ、その日。
列のいちばん後ろに、見慣れない男が一人、立っていた。
冒険者でも、街の住人でもなさそうだった。旅装だが、身なりは妙に整っている。剣も荷物も、上等なものだ。そして彼は、スープを買おうともせず、ただ、じっと、私と私の露店を――正確には、私が食べさせた冒険者たちが、次々と格上を狩って帰ってくる様子を、観察していた。
値踏みするような、冷たい目。品定めをする商人のような、あるいは、獲物を探す狩人のような。
私と、目が合った。
男は、ふ、と薄く笑って、静かに列を離れ、人混みの中に消えていった。
……なんだろう。今の。
背筋が、ほんの少しざわついた。前世で、嫌なプロジェクトの気配を察したときの、あの感じに少し似ていた。
でも、私はその違和感を、すぐに忘れた。目の前の行列をさばくのに、忙しかったから。
――この「聖女様」の噂が、そう遠くない未来に、とんでもなく厄介な連中の耳に届くことを。
そして、あの男が、その最初の“きっかけ”であることを。
このときの私は、まだ知る由もなかったのだった。
おなかを満たすことは、心を満たすこと。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




