第12話 地味なスキルほど、よく働く
その日の売上を数えていると、あの受付嬢のネルさんが、こめかみを押さえながらやってきた。
「レンちゃん。……ちょっと、いい?」
「はい、なんでしょう」
「あなたが売った鋼牙イノシシの煮込み。あれを食べた冒険者が、今日一日で、討伐依頼の達成数、いつもの三倍を叩き出したんだけど」
「へえ。みなさん、頑張り屋さんですね」
「……頑張り屋さん、で済ませようとしないでくれる?」
ネルさんは、じとーっと私を見た。有能な人の目だ。数字の合わなさを、決して見逃さない目。
でも、私はにっこり笑って、いちばん無害な顔を作る。
「私はただ、美味しいお肉をお安く売っただけですよ。あとのことは、みなさんの実力です」
ネルさんはしばらく私を見つめて――それから、盛大なため息をついた。
「……わかった。もう、聞かない。聞いたら、負けな気がする」
「賢明なご判断です」
「その言い方が、いちばん腹立つのよねえ……」
ぶつぶつ言いながら、ネルさんはそれでも、私の売上の計算を手伝ってくれた。面倒見のいい人なのだ。口では文句を言いながら、結局、放っておけない。
……あ。この感じ、なんだか、私と似ている。
「ねえ、レンちゃん」
銅貨を数えながら、ネルさんがふと言った。
「あなた、こんなに稼いで、何に使うの? いい服でも買う? 大きな家でも建てる?」
私は少し考えた。
「んー。……美味しい食材と、良い調味料が買えれば、それで。あとは、ティルにあったかい布団と、お腹いっぱいのごはんがあれば」
「それだけ?」
「それだけです。私、欲がないので。……というか、たくさん持つと、たくさん働かなきゃいけなくなるでしょ。それが、いちばん嫌なんです」
ネルさんは、あきれたように、でも、どこか羨ましそうに笑った。
「……ほんと、変わった子。でも、そういうの、嫌いじゃないわ」
私にとって、お金は目的じゃない。あたたかい暮らしを続けるための、手段でしかない。たくさん稼いで、たくさん抱えて、その分たくさん働く。前世で、そうやってすり減った。だから今世は、小さく、あたたかく。それがいい。
◇
その夜。
箱庭に帰った私は、残しておいた鋼牙イノシシの肉で、ティルと二人、遅い夕飯を食べた。
売り物にした分より、ずっと良い部位を二人ぶん、こっそり取っておいたのだ。こういうところは抜け目がない。自分と家族のぶんは、いちばん美味しいところを食べる。これは料理人の、正当な役得だと思う。
「……とろとろ」
ひと口食べて、ティルがうっとりと目を細めた。
「うん。よく頑張って待ったもんね。えらかったよ、ティル」
あの、そわそわしながら「まだ?」と何度も肉を見に来ていた子が、今日はちゃんと待てた。待った時間の分だけ、肉は美味しくなり、ティルも、少しだけ大人になった。
「今日はね、ティル。あなたの鱗が大活躍だったんだよ」
私は肉を切り分けながら言った。
「あの落とし蓋がなかったら、こんなに均一には火が通らなかった。あなたがいなかったら、この肉は、こんなに美味しくならなかったの」
ティルは、自分の腕の薄い鱗を、そっと撫でた。
「ぼくの、鱗が……みんなを、よろこばせた……?」
「そう。あなたの鱗が作った肉で、街のみんなが笑ってた。すごいことだよ、これは」
ティルの目が、じわりと潤む。
里で「出来損ない」と呼ばれ、置き去りにされた、その鱗が。今日、街じゅうの人を笑顔にした。その事実が、この子の中で、少しずつ、少しずつ、古い呪いを溶かしていく。
「……ぼく、もっと、がんばる。レンの、やくに、たつ」
「うん。でも、無理はしないでね。あなたは、いてくれるだけで、もう十分、役に立ってるから」
「いてくれる、だけで……?」
「そう。一人で食べるごはんより、あなたと食べるごはんのほうが、ずっと美味しいの。それだけで、あなたは大手柄」
ティルはしばらくきょとんとして――それから、へにゃり、と笑った。
「ねえ、レン」
肉を頬張りながら、ティルがぽつりと言った。
「ぼく、しあわせ、かも」
「……そう?」
「うん。おなか、いっぱいで。あったかくて。……となりに、レンが、いて」
なんてことない口調で、そんな、とんでもなく大事なことを言う。
私は肉を噛みしめながら、天井を見上げた。目の奥が、ちょっと熱い。大人だから、泣かないけど。
「……そっか。よかった」
それだけ返した。
思えば、前世の私は「幸せ」なんて言葉を、ずいぶん長いこと使っていなかった。忙しくて、疲れて、幸せかどうかなんて考える暇もなかった。ただ、目の前の締め切りをこなして、こなして、こなし続けて、気づいたら、電池が切れていた。
この子は、まだこんなに小さいのに、「しあわせ、かも」なんて、当たり前みたいに言う。
その言葉に、私はたぶん、救われている。
幸せは、遠くにある大きな何かじゃない。あったかい肉と、隣にいる誰かと、「美味しいね」と言い合える、この、なんてことない夜のこと。それを、この子は思い出させてくれる。
……拾ったのは私のほうだと思っていたけれど。
案外、拾われたのは私のほうなのかもしれない。
静かに暮らしたい。目立ちたくない。その願いは、今日も盛大に崩れた。
でも――こういう夜が、その代償なら。
まあ、悪くないか、と。ほんの少しだけ、そう思ってしまう私だった。
地味なスキルも、使いよう。
次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




