幕間 第二夜(前編) ネルとガーゴに、こっそり
幕間、二夜目。レンは今日、こっそり街へ。旅立った“はず”の街のみんなに、そっと会いに行きます。
地の底の暮らしにも、すっかり慣れた、ある日のこと。
私は、久しぶりに街へ出かけることにした。
【箱庭】の扉を使えば、街と地の底は、いつでも行き来できる。街の、人目のない路地にそっと出て、フードを深くかぶって、髪を隠す。……ちょっとした変装だ。「聖女様は西へ旅立った」ことになっているから、堂々と顔を出すわけにはいかない。
「よし。……みんなに、会いに行こうか」
今日は、ティルとヒノはお留守番。さすがに、竜鱗族の子と火竜を連れて街を歩くのは、目立ちすぎる。「お土産、たくさん買ってくるから」と言うと、二人とも、機嫌よく送り出してくれた。
◇
まず向かったのは、ギルドの裏手。
案の定、ネルさんが、書類の山と格闘していた。……相変わらず、働きすぎだ。私がそっと近づくと、ネルさんは、顔を上げて――ぎょっとした。
「……レンちゃん!? もう、来たの!? ……気をつけなさいよ、まったく。フードくらいで、ばれたらどうするの」
口では、そう言いながら。ネルさんの顔は、ぱあっと嬉しそうにほころんでいた。
「元気そうで、よかった。……地の底の暮らし、どう?」
「最高です。あたたかくて、静かで。……ティルも、ヒノも、すっかり気に入ってます」
「そう。……よかった」
ネルさんは、しみじみと笑った。それから私は、持ってきた包みを、そっと差し出した。あの甘いデザートを、たっぷり。
「これ、差し入れ。……ネルさん、また書類ためこんでるでしょう。ちゃんと、休んでますか?」
「……うっ。相変わらず、痛いところを突くわね」
ネルさんは、ばつが悪そうに目を逸らした。……やっぱり。この人は、放っておくと、また倒れるまで頑張ってしまう。だから私は、こうしてこっそり甘やかしに来る。それが、共犯者の務めだった。
◇
「そういえば」と、ネルさんが声をひそめた。「帝国のこと、聞きたい? ……あれから、傑作なことになってるわよ」
「傑作?」
「ええ。回収部隊、地図を広げて、西の街を片っ端から、しらみつぶしに探してるの。『聖女は、この街のどこかにいるはずだ』って。……もう、何ヶ月も。いない人を、必死にね」
ネルさんは、くすくすと笑った。
「先週なんて、西の小さな村で『料理上手な女がいる』って情報を掴んで、大部隊で乗り込んだらしいわ。……行ってみたら、ただの、気のいい宿屋のおかみさん。腰を抜かして、平謝りして、逃げ帰ったって」
私も、思わず噴き出してしまった。
……ご苦労なことだ。世界でいちばん大きな力を持つ帝国が、世界でいちばん近い場所――自分たちが立っている、この街の真下を、まるで気づかずに。遠い、遠い西の彼方を、いつまでも探し続けている。
「あなたを"品物"扱いした、罰よ。せいぜい、走り回ればいいわ」
ネルさんは、痛快そうにそう言って、あたたかいお茶を、ずずっとすすった。
◇
次に、酒場のガーゴさんに会いに行った。
ガーゴさんは、私を見つけるなり、豪快に笑って――それから、慌てて声を落とした。
「よう、せ……いや、"お嬢ちゃん"! 達者にやってるか!」
……ちゃんと、名前を呼ばないように気をつけてくれている。不器用だけど、こういうところは、抜かりない。
「はい。ガーゴさんのおかげで、無事に暮らせてます。噂、広めてくれて、ありがとうございます」
「はは、任せとけ。……オレの演技、大したもんだったろ? いまだに酒場で『聖女様は西へ行った』って語ると、みんな、しんみりするんだぜ」
ガーゴさんは、得意げに胸を張った。それから、少しだけ、声をあたたかくして。
「……たまには、こうして、顔、見せに来いよ。オレは、いつでも、あんたの味方だからな。……うまい獲物が手に入ったら、こっそり、届けてやる」
その不器用な優しさに、私は、胸があたたかくなった。「はい。……また、来ます」と約束して、ガーゴさんが狩ってきたばかりだという良いお肉を、お土産に持たせてもらった。
……もうひとり、こっそり顔を見ておきたい人が、いた。




