幕間 第一夜(後編) 夕暮れと、おやすみ
夕方。採ってきた食材で、夕食の支度をする。
地の底の我が家に、湯気が満ちる。かまどの、あたたかい灯り。窓の外は、私が選んだ穏やかな夕暮れ。……ふと、思い出す。ついこの前まで、私は、街の露店の隅っこでスープを煮ていた。もっと前は、ギルドの、いちばん隅っこで。たった一人で。
あの頃から、ずいぶん、遠くまで来たものだ。
毒を出汁に変えて、ティルを拾って、ヒノを飼い慣らして、街のみんなと繋がって。……そして、帝国から、大切なものぜんぶを抱えて、この、地の底のいちばんあたたかい場所へ、逃げ延びた。
帝国は、今も、遠い西の彼方で、いない私を探し続けている。……ご苦労なことだ。私は、あなたたちのいちばん近くて、いちばん遠い場所で、こうして、あたたかいごはんを煮ているのに。
◇
夕食ができた。
深層の極上の食材で作った、あたたかい鍋。ヒノの好きな上等なお肉も。ティルの好きな蒸し野菜も。
「いただきます」
あたたかい声が、重なる。
賑やかで、あたたかい夕食の時間。ティルが、今日採った珍しいきのこの話を、得意げにする。ヒノが、大きな器に顔を突っ込んで、大満足そうにしている。……私は、その真ん中で、みんなの器が空くたびに、おかわりをよそう。
この時間が、私はいちばん好きだった。あたたかいものを作って、大切な人が美味しそうに食べる。「いただきます」と「美味しいね」に包まれる。……前世で、いちばん欲しかったもの。それが今、確かにここにある。
◇
夜。ティルとヒノが、寝床で、すやすやと眠り始める。
私は、あたたかいお茶を飲みながら、一日を振り返る。
……何も、特別なことは起きなかった。朝起きて、ごはんを作って、畑と発酵の世話をして、食材を採りに行って、また、ごはんを作って、食べて、眠る。ただ、それだけの、ふつうの一日。
でも、この「ふつう」こそが、私がずっと、ずっと欲しかったものだった。
前世の私には、「ふつうの一日」がなかった。朝も夜もなく働いて、味のしない飯を一人でかき込んで、また働く。あたたかい朝ごはんも、のんびりした昼も、賑やかな夕食も。……何も、なかった。
だから、この、なんてことない一日が、私には、宝物みたいにまぶしい。
「……いい一日だったな」
私は、ぽつりと呟いた。
寝床の、二つの寝顔を、そっと見つめる。ティルの、穏やかな寝息。ヒノの、あたたかい体温。窓の外の、私が選んだ星空。……ぜんぶ、私の、大切なもの。
◇
明日も、たぶん、同じような一日になる。
朝起きて、ごはんを作って、畑の世話をして、深層で食材を採って、また、ごはんを作って、みんなで食べる。……ふつうの、あたたかい一日。
それでいい。いや、それが、いい。
派手な冒険も、大きな栄光も、いらない。私が欲しかったのは、ただ、この、あたたかい「ふつう」だった。「いただきます」と言えて、「ただいま」と言えて、「おかえり」と迎えてもらえる。……そういう、ささやかな幸せ。
「痛いのも苦労するのも嫌なので、お家で美味しいご飯を作って静かに暮らしたい」。……その願いは、叶った。世界でいちばん危険な場所で、という、とんでもないおまけつきだけど。
私は、くすっと笑って、あたたかい我が家の灯りを、そっと落とした。
――地の底の、ふつうの一日。それが、静かに、あたたかく更けていった。
もっとも。この、あたたかい「ふつう」の日々は、まだ、少しずつ賑やかになっていく。……ティルの、いちばん古い場所へと、あたたかいごはんを届けに行く、その日まで。でも、それは、まだ、もう少し先のお話だった。
地の底の、なんてことない一日。……この当たり前のあたたかさが、レンのいちばんの宝物です。
★次回は「幕間 第二夜」。街のみんなに、こっそり会いに行きます。 次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




