幕間 第一夜(前編) 地の底の、朝と昼
第一章、完結おつかれさまでした。ここからは、しばしの休息――「幕間 全五夜」。地の底の、なんてことない、でも愛おしい日々を、どうぞ。まずは、レンたちの“ふつうの一日”から。
朝が来た。
……といっても、ここは地の底だ。日の光なんて、届かない。だから、私の「朝」は、窓の外の景色で決まる。
寝床から起き上がって、窓の外を、気持ちのいい青空に切り替える。ぱあっと、朝の光が部屋に満ちる。……本物の光じゃない。【箱庭】が見せる、私の"気分"の景色だ。でも、これで十分。天気に機嫌を左右されない朝は、なかなか、いいものだった。
「ん……レン、おはよ……」
寝ぼけ眼のティルが、もそもそと起きてくる。ヒノも、ぐるる、とあくびをして、大きな体を伸ばした。
「おはよう、ティル。ヒノ。……よく眠れた?」
「うん。……ここ、しずかで、あったかいから、よくねむれる」
地の底の、いちばん深いところ。世界でいちばん危険な場所。……なのに、この子は「静かであたたかいから、よく眠れる」と言う。……ふふ。それでこそ、我が家だ。
◇
朝ごはんの支度をする。
かまどに火を入れて――といっても、火を入れるのはヒノの役目だ。ふう、と優しく炎を吐いて、ちょうどいいとろ火にしてくれる。出会った頃は、街を焼きかねない暴れん坊だったのに。今は、立派な、我が家のかまど番だ。
鍋に、昨日仕込んだ出汁を張る。ことこと、と煮える音。畑で採れたばかりの地底野菜を、ことん、と落とす。淡く光る苔で育った、不思議な色の野菜。でも、味は、驚くほどまっとうに美味しい。
「今日は、ティルの好きな甘い木の実も、焼こうか」
「やった!」
あたたかい湯気が、我が家いっぱいに満ちていく。窓の外の青空。窓辺の、ぼうっと光る白い花。ずらりと並んだ、椅子。……このなんてことない光景が、私はたまらなく好きだった。
「いただきます」
二人と一匹の声が、重なる。
……この「いただきます」を、私はずいぶん長いこと、一人で呟いていた。前世でも。この世界に来た当初も。誰も聞いていない、小さな声で。
それが今は、毎朝こうして、あたたかい声と重なる。……それだけで、もう、十分すぎるくらい幸せだった。
◇
朝ごはんのあとは、家の仕事だ。
まずは、畑。移住してから育て始めた地の底の畑は、少しずつ実をつけ始めていた。ティルが、毎日せっせと水をやった、その成果だ。
「レン、みて! めが、でてる!」
ティルが、嬉しそうに小さな芽を指さす。日の光もないのに、光る苔とティルの鱗のあたたかさで、ちゃんと芽吹いた。……「日の光がなきゃ育たない」なんて、誰が決めたんだろう。この畑を見ていると、そんなことを思う。
次は、発酵蔵。ずらりと並んだ壺を、一つずつ見て回る。街から運んできた、大事な壺たち。半年、一年と寝かせてきた宝物。
「ティルの壺は……もう少しだね。あと三週間くらいかな」
「さんしゅうかん……! まだまだ、だ……」
ティルが、がっくり肩を落として、それから、けろっと笑う。「でも、いいの。たのしみ、ずっと、つづくもんね」。……ちゃんと、覚えていてくれた。"待つ楽しみ"を。飢えていた頃のこの子には、なかった余裕だ。その成長が、私は何より嬉しい。
◇
昼は、深層へ、食材を採りに行く。
我が家の周りは、危険な魔物だらけの最深部。……でも、私には繭がある。どんな攻撃も効かない。ティルの鼻が、危険と食材を嗅ぎ分けてくれる。ヒノも、今は扉で行き来できるから、留守番の必要がない。三人(二人と一匹)で、宝探しみたいに歩き回る。
淡く光る苔。ぷりぷりの地底きのこ。透きとおった地下水の魚。……街では絶対に手に入らない、珍しい食材の宝の山。料理人としては、たまらない場所だった。
「役に立たない場所なんて、ない、か」
誰もが恐れて、近寄らない、危険な地の底。でも、料理人の目で見れば、そこは、とびきりの宝庫。……危ない、怖い、と遠ざけられるものほど、ちゃんと向き合えば宝物になる。いつもの、私の口癖どおりだった。
時々、危険な魔物とすれ違う。でも、私が繭を張って、のんびり歩いていれば、向こうも「こいつには、何をしても効かない」と、なんとなく察して、道を譲る。……最深部の"ご近所さん"とは、そういう微妙な距離感で、うまくやっていた。
その中でも、いちばん大きな魔物の巣穴の前を通るときは、さすがに、ティルが少し緊張する。でも、私が「大丈夫。私たちは、ただの通りすがりのご近所さんだから」と笑うと、ティルも、ふっと肩の力を抜いた。……危ない場所を、"楽しいお散歩コース"に変えてしまう。それが、いつのまにか身についた、私たちの暮らし方だった。
なんてことない一日は、まだ、半分残っている。……いちばん好きな、夕暮れが、これから始まる。




