第100話 ただいまの、いちばん近い場所
街のみんなにこっそり会って、私は、たくさんのお土産を持って、地の底の我が家へ帰った。
ネルさんからは、街の美味しいパン。ガーゴさんからは、狩りたての良いお肉。……みんな、私が“すぐ近くにいる”と知って、あたたかい差し入れを持たせてくれた。
「ただいまー」
我が家の扉を開けると。
ティルが、ぱたぱたと駆けてきた。ヒノも、ぐるる、と嬉しそうに鳴きながら。
「おかえり、レン!」
その言葉に、私は、思わず、足を止めた。
……おかえり。
◇
おかえり、って。
私は、その言葉を、生まれて初めて聞いた気がした。……いや。正確には、覚えている限りで、初めて。
前世の私が、家に帰っても、誰もいなかった。「おかえり」と言ってくれる人は、一人もいなかった。暗い部屋に、ただいまも言わずに帰って。冷たい弁当を食べて。また眠って、仕事に行く。……その繰り返しだった。
「ただいま」を言う相手も。「おかえり」と迎えてくれる人も。私には、いなかった。
でも、今は。
「……ただいま、ティル。ヒノ」
私は、涙をこらえながら、もう一度、そう言った。
「うん! おかえり!」
ティルが、満面の笑みで、私に抱きついてくる。ヒノが、あたたかい鼻先を、私の手にすり寄せる。
……ああ。これだ。
これが、私が、ずっと、ずっと欲しかったもの。「ただいま」と言えて、「おかえり」と迎えてもらえる。ただ、それだけの、当たり前のあたたかさ。
◇
その夜。私たちは、街のみんなからのお土産も加えて、とびきり豪華な夕食を囲んだ。
あたたかい湯気。いい匂い。窓の外の星空。窓辺の、光る白い花。……そして、大きな食卓を囲む、三人(二人と一匹)。
「いただきます」
あたたかい声が、重なる。
……思えば、遠くまで来たものだ。
前世で擦り切れて死んだ、私。味のしない飯を、一人でかき込んでいた、私。「いただきます」も、「ただいま」も、「おかえり」も。何も言えなかった、私。
その私が、今。地の底のいちばん深いところで、あたたかい家族と、あたたかい食卓を囲んでいる。「いただきます」を言い合って。「ただいま」と「おかえり」を、交わし合って。
……痛いのも、苦労するのも嫌で。ただ、静かに、あたたかいごはんを作って暮らしたかった。その、ささやかな願いは、今、こんな形で叶っていた。世界でいちばん危険な、ダンジョンの最深部で。……それも、また、私らしい。
◇
食事のあと。
私は、あたたかいお茶を飲みながら、ふと思った。
帝国は、今も、遠い、遠い西の彼方で、いない聖女を探し続けている。……私を“国家資源”として囲い込もうと。“品物”として手に入れようと。
でも、私は、ここにいる。あなたたちの、いちばん近くて、いちばん遠い場所に。大切な家族と、あたたかい食卓を囲みながら。
……いつか、また、帝国が、私を見つけ出す日が来るかもしれない。皇女アイリスとやらが、本気で私を追ってくる日が。そのときは、そのときで、ちゃんと考える。私には、繭がある。あたたかい料理がある。そして――一人じゃない、という強さが、ある。
でも、それは、また別のお話。
今は、この、あたたかい暮らしを、ゆっくりと味わおう。ひと口ずつ、大切に。あたたかいごはんを食べるみたいに。
◇
ティルとヒノが、眠ったあと。
私は、あたたかい我が家を、そっと見回した。
窓辺の、光る白い花。ずらりと並んだ、椅子。あたたかい、かまどの残り火。……そして、寄り添って眠る、私の大切な家族。
地の底の、いちばん深いところ。世界でいちばん危険な場所。でも、この扉の中は、世界でいちばん、あたたかくて、安全で、幸せな我が家だった。
「痛いのも苦労するのも嫌なので、お家で美味しいご飯を作って静かに暮らしたい」。……その願いは、叶った。「※ただしダンジョン最深部」という、とんでもないおまけつきで。
私は、くすっと笑った。……我ながら、変な生き方だ。でも、悪くない。むしろ、最高だ。
窓の外の星空を見上げる。あたたかい光が、この、地の底の我が家を、優しく照らしている。
……ここが、私の“ただいま”の、いちばん近い場所。
これから、どんな日々が待っていても。ここに帰ってくれば、あたたかい「おかえり」が待っている。あたたかい食卓が、待っている。
それだけで、私は、どこまでも強くなれる気がした。
私は、そう思いながら、あたたかい我が家の灯りを、そっと落とした。
――こうして、私の、地の底での、あたたかい暮らしは、始まった。
痛いのも、苦労するのも嫌いな、元社畜の私が。世界でいちばん危険な場所で、世界でいちばんあたたかい食卓を囲む。……そんな、あべこべで、幸せな物語は。まだ、始まったばかりだった。
(第一章・完)
第一章、最後までお付き合いくださって、本当にありがとうございました……! 一杯のスープから始まったレンの物語が、「ただいま」と「おかえり」の言える、いちばんあたたかい場所に、たどり着きました。
この後は、しばしの休息――地の底のあたたかい日々を描く「幕間 全五夜」を、お届けします。レンたちの、なんてことない、でも愛おしい暮らしを、もう少しだけ。そして幕間のあとは、いよいよ第二章。ティルの里へ、あたたかいごはんを届けに行きます。
引き続き、あたたかく見守っていただけたら嬉しいです。
★次は「幕間 第一夜」。次回もどうぞ、あたたかくお過ごしください。




