第八話 「零番相位」
黒域が脈打っていた。
鼓動みたいに。
都市全体が、
少女へ反応している。
道路。
高層ビル。
崩壊した空間。
その全てが、
彼女を中心に揺れていた。
「……おい」
俺は少女を見る。
少女自身も混乱していた。
震えている。
怯えている。
まるで。
自分の力を知らなかったみたいに。
「わたし……」
少女が自分の手を見る。
白い指先。
その周囲だけ、
空間が僅かに歪んでいた。
さっき白百合部隊の腕を消した時と同じ現象。
榊一臣が静かに呟く。
「やはり覚醒段階か」
その声には、
興奮が混じっていた。
嫌な感じだった。
研究者が未知の標本を見つけた時の目だ。
「何を知ってる」
俺が睨むと、
榊は視線をこちらへ向ける。
「零番相位計画」
聞いたことがない。
だが。
少女の顔色が変わった。
「……やめて」
「永久機構が進めていた、
完全固定存在生成実験だ」
観測者が静かにこちらを見下ろしている。
巨大な眼。
あれは攻撃してこない。
まるで。
少女の反応を観察している。
「人類の再生には限界があった」
榊は続ける。
「人格劣化。
記憶破損。
感情ノイズ。
不完全再生」
白百合部隊の兵士たちが無言で立っている。
感情のない顔。
人形みたいな兵士。
「あれが現在の完成形だ」
「完成?」
吐き気がした。
「あんなものが?」
「だから次段階へ進んだ」
榊の視線が少女へ向く。
「“再生”ではなく、
最初から崩壊しない存在を作る」
零番相位。
そのための実験。
その結果が。
この少女。
「……人間じゃないって言いたいのか」
榊は少し考えるように黙った。
そして。
「まだ人間だ」
そう答えた。
「少なくとも現段階では」
少女が後退する。
その瞳には涙が浮かんでいた。
「違う……」
震えた声。
「わたしは……」
「名前も思い出せないか?」
榊が静かに問う。
少女は答えられない。
「当然だ。
零番相位は存在固定を優先する。
人格情報は副次要素に過ぎない」
怒りが込み上げる。
「お前ら、人間を何だと思ってる」
榊は本当に不思議そうな顔をした。
「情報だろう?」
その瞬間。
観測者が動いた。
巨大な眼球がゆっくり開く。
『零番相位反応、
不安定化を確認』
少女の身体が震える。
黒域が連動する。
空間歪曲。
ノイズ。
崩壊。
都市全体が少女の精神状態へ同期していた。
「まずい……!」
榊が初めて焦りを見せる。
『固定率低下』
観測者の周囲で、
黒い亀裂が増殖する。
その瞬間。
少女が苦しそうに頭を押さえた。
「いや……!」
耳鳴り。
視界が揺れる。
俺の侵食痕が激しく脈動する。
そして。
脳裏に映像が流れ込んだ。
◆
白い研究室。
ガラス越しに泣いている少女。
幼い。
今よりもっと小さい。
『適合率上昇』
『零番固定を開始』
『人格維持限界を突破』
複数の研究員。
白衣。
永久機構の紋章。
その中央で。
一人の男がこちらを見ていた。
白髪。
細い目。
榊一臣。
『君は人類を救う』
幼い少女が泣きながら首を振る。
『いや……』
『死ななくて済む世界になる』
『いや……!』
『だから壊れてくれ』
◆
「――っ!!」
意識が現実へ戻る。
呼吸が乱れる。
少女が膝をついていた。
泣いている。
黒域が暴走していた。
榊が静かにこちらを見る。
「見たか」
俺は拳銃を向ける。
「お前ら……」
怒りで声が震えた。
「子供に何をした」
榊は答えない。
だが。
その沈黙が、
全てを肯定していた。




